| たゆたう空間 〜川辺と文化〜 |
| 森 淑子 |
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中洲の横をかすめるように流れる那珂川。夜になるとこの川の水面には中洲のネオンがきらめき、たゆたい、また時にはよどむ。まぶしいほどのネオンとその光を反射させる川辺とを背景にして、ここでは多数の若者たちが自分たちの存在を依拠している。彼らはさまざまな手段で自己を表現する。自らの手で旋律を奏で、また自らの声で歌う。殺伐とした都市の中に彼らの声は響き渡り、道行く人々の足を止める。中洲を通る那珂川周辺とそんな流れ者の若者たちは絶妙に反響し合い、街並みを彩っている。本計画では日本を代表する繁華街である中州の街を背景にして流れる那珂川の川沿いに、新たな文化を生み出すともいえる若者たちの活動の場所を造っていく。 河原において生まれた芸能は意外なことから発展していった。その芸能が芝居町を構成していく。芝居町は、現実にそうであったとともに、それ以上に強く、「川」「河原」「橋」「船」と結び付いていた。京都の芝居小屋は、まず五条河原にあり、やがて四条河原へと移った。出雲のお国は四条河原で「かぶき踊り」を始め、歌舞伎役者は「河原者」と呼ばれていた。芝居町は江戸時代、川や水に深い関わりのある空間として、人々に捉えられていた。河原はそもそも葬礼の地であり、そして鎮魂のために芸能が演ぜられるべき地であった。人々が集合しやすく、興行するに相応しい広く平坦な土地が存在するといった合理性だけではない。河原の持つ鎮魂の場としての性格が、そこに芸能を導いたと考えられるのである。神々とともに遊ぶという祝祭空間の無意識の伝承が、そこには生きている。河原で始まった芸能が日本の伝統文化になっていったようにまた遠い未来にはこの場所から発生する何かが伝統芸能に発展していくとすると面白いことである。
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〔九州芸術工科大学〕 〔環境設計学科卒業計画〕〔クイック アクセス〕