5.森をめぐる戦い ーギリシア(2) 6.闘技場と浴場の都
ーローマ
7.海を越えて ーイスラムの地中海
8.ある通商国家の衰亡 ーヴェネツィア
9.産業革命はなぜ起きたか
Asahiro
5.森をめぐる戦い ―ギリシア(2)
ホメロスの時代の小アジア
:紀元前700年以前、住民の生活は辺境の開拓者(自給自足)
ホメロスの時代以降の小アジア:
小アジア沿岸の森だけでは、アナトリア高原のギリシア人の需要を賄いきれない。
人口の急増、家内産業から大規模産業への移行 →
内陸への移動:メアンダー川、カイクス川、カイスター川の流域(図19)
流域の森林より丸太を切り出し、小麦の農地へと転換した。
重なる連作は、土壌を侵食し大量の沈泥が川にあふれた。→
農地の荒廃と、港への沖積・徒労に終わった多くの浚渫作業。
ヘシオドス時代のギリシア本土:
紀元前八世紀、大地の復元と生活の興隆 →
紀元前五世紀、アテネの黄金時代
復活を築いた辺境の民:「仕事と日々」、ヘシオドスが詩に記している。
労働・勤勉に対する倫理観が述べられ、後のプロテスタント的倫理として知られる。)
能率のよい仕事と日々の備え:すり鉢、槌、場所の軸・車輪、鋤、建築(木材の利用)
ヘシオドスは歴史的には「鉄器時代」に生きているが、「木の時代」と呼ぶにふさわしい。
ペルシアに勝利したアテネ
紀元前六世紀後半のアテネ近郊の田園地帯は、以前森に恵まれていた。
当時、多くの森林はペルシア支配下にあり、敵国への資源の供給を押さえた。
アテネは豊かな森から船を建造し、サラミスの海戦でペルシアを打ち破る。
木材資源の支配
= 海軍力
パルテノン神殿を頂点として、多くの建物が木を用いて建築された。神殿が大理石なのは、手に入る木が品薄になったからではないかと筆者は推測している。
増える木材の消費:木炭の生産(銀精錬・生活の燃料)、建物の建設、船の建造
効率化の動き:パッシブソーラー、木材の備蓄、
長期化したペロポネソス戦争へ
紀元前五世紀後半、アテネとスパルタの覇権争い →
意図的な森の破壊
アンフィポリスを失ったアテネはトゥキユディスに責を問うた。(「ペロポネソス戦争」著者)
アテネ周辺の極度な森林破壊と、生産高の減少
森は二面性をもって記述された:植民の障害として、また、森の重要な役割
生き残るための新技術
紀元前四世紀、持続的な農業論、省エネ、木の使用規制、森林再生の法整備
木材に関する消費者保護:輸入業者の価格申告の規定、仲介業者への売買の禁止規定
信仰的な保護:森は神々の宿る聖なる場所を守るため、しかし、法律はざる法であった。
マケドニアの台頭
ギリシャ周辺の森林地帯のマケドニアによる支配 →
アテネでの木材の高騰
6.闘技場と浴場の都 ―ローマ
イタリア初期の原生林
イタリアはかつて森林資源に恵まれていた。ローマ伝説上の建国者「シルヴィス」(森の民)
紀元前三世紀までのローマは木の文化であった →
都市と農地の拡大化 = 近隣の森の減少
ローマは近隣森林の保護政策を取らず、森林地帯の征服・併合を進めた。
紀元前二世紀:リグリア地方、紀元前三世紀後半:ポー川流域
北アフリカ、ドイツのヘルシニアの森、
浴場
一世紀以降、浴場は極めて人気の高い集会場と化し、あらゆる階層の人々が集った。
浴場風景:喧噪と熱い風呂にゆで上がるまで漠然と湯に浸かる人々
浴場へ陽の差し込む窓ガラスの設置・気密化、
技術の発達:ガラスの一般化、セントラルヒーティング、巨大土木建築物
木材の消費:薪、建材の製造、 森林 →
小麦畑とブドウ園
一世紀頃の都市の規模:人口百万、貯水池七百、給水所百三十、
資源の節約
青銅器鋳造の燃料を木から木炭へ変更、ガラスの再利用市場の活況、
合成部材の建材利用、太陽熱を利用した建築配置計画、林間農業の発達
木の不足と産業資本の撤退
イタリア中部:基幹産業が木の不足のために木が豊富な地域に移動
陶器製造業:エトルリア地方 → 南フランス
ガラスの製造:ローマ →
南フランス(ローヌ川下流)
鉄の採鉱と精錬:ローマ →
ガリア地方、東サセックス、
木工: → 北アフリカ
銀資源: → イベリア、
二世紀頃には、属州がローマ帝国の産業と資源を支え、資源と奴隷の酷使を極めた。
属州のローマ化は同じ問題を各地に引き起こし、ローマ帝国の末期には各地の樹木は枯渇し、産業は廃業に追い込まれた。
ローマ帝国の衰退
三世紀末には通貨である銀の質を落としたため、物納制やギルドの設立で政府の破産を引き伸ばした。四世紀のローマでは飢饉に陥るに至った。
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