第6章
自然および環境保護についてのマルクス主義者の解釈
6.1 マルクス主義とは
6.2 マルクス主義者による自然の見方
6.3 マルクス主義者と環境問題
6.4 環境保護主義者に対するマルクス主義者の批判
6.5 環境保護の対するマルクス主義者の見解
第7章 エコロジー環境保護主義の政治的ルーツ
7.1 政治のスペクトル
7.2 エコ社会主義
7.3 ”エコファシズム”
7.4 結論
第8章 教育は”最大の資産”たりうるか?
8.1 環境保護主義者の万能薬
8.2 社会や経済の変革を妨げる教育
8.3 私たちは何をなすべきか
レジメ Asahiro
第8章 教育は"最大の資産"たりうるか?
8.1 環境保護主義者の万能薬
・ 教育は"最大の資源"であるという考え方は
テクノ中心主義者:エコロジーの乱用を避け、自然の法則に関する知識から展開する
エコ中心主義者:より基本的な問題に対する回答を提供すると考える
教育が最大の資産であるのは、自然への敬意を養い強化するからである。(シューマッハ)
・
しかし、環境教育の形態については一致した意見がない
環境について及び環境からの教育 →
環境の質の悪化を継続させ、不十分な環境や社会的・政治的現状が維持される。
環境のための教育 →
環境の安寧を高めるための理論と実践を提供する。 (ハックル)
・ 環境についての教育 → テクノ中心主義の視点
新亜種の環境科学者を生み出しただけで、新しい政治学も経済学も含まれていない。(O'
Riordan. 1981B)
環境の"事実"認識に終始し、"広域社会の実用主義"的価値観しか提示してない。(Huckle,
1983)
・ 環境からの教育 →
新しいモラルを主張するエコ中心主義思想と符合
シューマッハやスコリモフスキーが提唱している道徳的・倫理的(価値)教育。(Skolimowski,
1981)
野外学習はスキルを培い、自然との接触は人格の成長や道徳性の発達を助けるとされる。
環境からの教育はその"政治的に無関心な"姿勢ゆえに反動的であるとして拒否。(Huckle,)
・ 環境のための教育
環境づくりの道徳的決定や政治的決定に対する生徒たちの意識を高め、彼ら自身による決定や政策への参加を助ける。
論争を基盤とし、プロジェクトにしたがってコミュニティ活動を推進する。
→
生徒や学生を比較的自立した思考者とし、自らの理性を独自に行使して人生を生き抜けるよう発達を促す。
・ ラテン語の education = 「引き出すこと」
、環境教育はこのタイプの教育である。
人間自身と環境の理解、従来の慣習的価値への批判的自覚、歴史及び人間行動の宿命論に疑問視
しかし、現代社会は全体としてこの種の教育アプローチを受け入れられない。
・
教育も社会的制約を受けるという事実ゆえに、教育は"最大の資産"ではあり得ない。
8.2 社会や経済の変革を妨げる教育
・
教育は多くの場合、批判的意識や新しい創造的な思考能力を促進することができない。
→
テクニックは強調しても、価値とか道徳性に関して考察することはない。
∴ 生徒や学生は、受け取った知識に疑問を持ったりはしない。
・ 科学教育では、"事実"の収集と機械的暗記を中心に、学生はパラダイムの探求者ではなく、パズル解きに専念させられる。
・ 科学者の"客観的" →
観察・記録・実験のプロセス = 周辺にとらわれない視点 ←→
道徳的解釈との乖離
・ 教育という手段による"国家の利害"の情報伝達。合理性と効率性の倫理、官僚制、競争、経済成長の正当化。
・
不満分子の排除:社会ダーウィニズム、唯物主義、倫理の相対主義、実証主義(階級制、競争、任務への服従などの教育)
・
イギリスの学校教育:産業労働と同一パターンの専門知識の階層組織化。
→
学業の細分化、標準化、ルーティン化。組織の社会的管理、教育者
→ 監督者へ 、知識の商品化 → 消費
・
教育は資本主義のイデオロギーに連動し、労働予備群の排出、管理者の能力主義の合法化、労働者集団の分裂強化、
そして、若者を経済システム内部の支配と従属という社会関係に馴化させる。(Apple,
1979)
8.3 私たちは何をなすべきか
・
教育の内容や方法の閉鎖性や生産関係全体の閉鎖性は、決定論的というより弁証法的である。
→
教育の改革:教師たちは、教育制度や教育課程の民主化を執拗に求めるべきである。
→
それは、特別な世界観の押しつけではなく、自立的な学習を促し、教育の場での力関係を排除する。
イデオロギーの神秘性を剥ぎ取り、一般知識の矛盾や間違った意識を暴露し、意識を高揚するような教育。
・ 教育の改革は、"反教育的"手段によって刺激された大衆意識の高揚が伴わなければ、自由で民主的な資本主義の下での教育が組織化された体系的な現実の歪みを生むことは変わらないだろうというのは、私たちの結論である。
・
現代社会における現実的な前進を得る方法は、教育改革と歩調を合わせ、社会の物質的基盤の改革を模索することである。
→ 科学者の"客観性"に関する懐疑が正当でも、彼らの警告に注意を払い、指摘される脅威から目をそらせてはいけない。
・ 新たな経済システムの萌芽 →
人々の物質的・精神的要求を資本主義が満足させることができなかったことへの反動
→
社会に有用な商品のためのオルターナティヴ(代替)な生産形態への投資
= 資本主義よりはエコロジーの目標と合致
・
エコ中心主義の思想家や活動家達は協力し、新たな経済システムが資本主義のオルターナティヴとなるよう働きかけるべき。
→
それは、大衆のための社会、自立した決定、真の批判的教育を得、次のメッセージを宣言できる。
あなた方がより多くの科学書や批評書を読み、それらについて考えるだけでは、あなた方の信念の任意性を体験することはありません。あなた方の外部から何か、または誰かが、あなた方の現在の信念に心地よく適合していない現実のある局面に目を見開かせるように、あなた方を激しく揺り動かす必要があります。おそらく、それはほんの一瞬のことかもしれません。もしそれが起きたら、これにしっかりとしがみついて、これを大きく広げて、これを探求しなさい。決してこれを抑圧したり、否定してはいけません。むしろそれまでに持っていた信念の何かが、より豊かな現実のために場所を開けるように求められているのではないかと、問いなさい。(Vince
Taylor, 1980) |
訳者あとがき
(科学とテクノロジーの検証 →
教育の混迷、ジャーナリズムの安易さ、農山村の荒廃と変貌等など、環境問題の根は広範囲で深い。私たちに求められているのは、時代の傍観者になることではなく、しっかりした未来社会へのヴィジョンをもって可能な複数の選択肢を見出す努力であり、その中からより良いものを選択することのできる見識を培うことであり、そのうえで実行に移す決断であるに違いない。
(訳者:柴田和子)
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