序章 T 自動車の普及
U 日本における自動車
V 自動車の社会的費用
W おわりに
レジメ Asahiro
序章
1.自動車の問題性
・ 戦後日本の高度経済成長の特徴を端的に表す自動車の普及
貧しさ: 住宅環境、教育、医療、自然の荒廃
膨大な投資: 高速道路などの自動車関連施設 → 自動車の利便性の向上、保有台数の増加、
→ 世界に類をみない、都市・自然環境の貧しさと自動車の社会・私的資源の拡大
・ 自動車使用の問題点
○人間のための街路における死傷事故
自動車は道路という社会的資源の使用を生ずる。
道路とは、一般の人々の生活に欠くことができない、都市環境の最重要な環境要因である。
自動車の走行を主眼に整備されてきた日本の道路は、自動車通行が市民生活に与える被害を無視できない。
∴ 自動車の運転は、自由な私的選択の次元を超えて、社会的観点から問題にされなければならない。
参考文献:「経済成長の代価」(ミシャン、都留重人監訳、岩波書店、1971)
家の近くで死亡事故は頻発している。しかし、事故は忘却され、自動車による歩行者の阻害は続く。
事故にあった被害者、家族の悲しみはふかい。この悲惨さに対する人々の感覚は麻痺したようにみえる。
このような状況にもかかわらず、
自動車事故による死亡者は、年間2万人。負傷者は100万人
参考資料: 警察庁ホームページ http://www.npa.go.jp/police_j.htm
歩車道分離のされていない欠陥道路
子供たちに必要な、自動車を避ける技術
貴重な遊び場だった、街路の自動車による占有
遊び場の喪失
このような、非人間的な状況を、どう理解するか。
参考文献:「人間のための街路」バーナード・ルドルフスキー
このように、人々が自由に安全に都市の街路を歩き、田舎の道を歩くことができないような国を、はたして文明国と言ってよいのであろうか?
○排気ガス、騒音などによる公害の悪影響
日本における可住面積当たりの自動車の保有台数は、アメリカの約8倍。
人家の密集した街路に及ぼす自動車の影響は、公害現象を通じて市民の健康を破壊している。
Ex.
窒素酸化物(NOx)、粒子状物質(PM)、炭素酸化物、騒音、振動
○その他の問題
・
交通犯罪の増加:少年犯罪や、殺人・強盗などの凶悪犯罪も自動車を利用して行われる。
・
観光道路の建設と、自動車通行にともなう自然環境と社会環境の破壊。
・ 自動車の便益と社会的害毒
自動車関連施設への公共投資の配分に関しては、コスト・ベネフィット分析が援用される。
自動車通行により人々の享受する経済的便益の計測
= 社会的便益の推定
道路の建設・維持への投資、被害発生への評価額
= 社会的費用の推定
社会的便益が社会的費用をどれだけ上回っているかにより、道路のルート、規模を決める考え方。
この問題点は、たとえどのように大きな社会的費用を発生したとしても、社会的便益がそれを大きく上回るときには、望ましい公共投資として採択されることになり、実施的所得分配は更にいっそう不平等化する。
2.市民的権利の侵害
社会的費用をもたらす自動車通行に対し、コスト・ベネフィット分析的な基準を適用するのは、市民社会の重要な前提条件を否定するものである。以下の、近代市民社会の特徴的な観点から指摘できる。
○市民は市民的自由を享受する権利を持つこと。
職業・住居選択の自由、思想・信条の自由だけでなく、健康にして快適な最低限の生活を営む生活権の思想を含む。
このような基本的権利のうち、安全かつ自由に歩くことができる歩行権は、市民社会に不可欠の要因。
○他人の自由を侵害しない限りにおいて、各人の行動の自由が認められるという基本原則
自動車通行は、歩行者の安全を阻害し、住宅環境を汚染・破壊しているにも関わらず、あえて自らの私的な便益を求めて自動車を使用している。その際の被害が無視できないにも関わらず、その点が十分配慮されていない。
参考文献;「悪夢の自動車」、アリスデーア・エアード
「私達の代償は支払いきれないほど高く、現在はほんの一部を支払い、将来コストは想像できない。〜」
日本では、市民的自由に関する明確な意識が形成される前に、高度経済成長が続けられたから深刻さを増した。したがって、欧米諸国よりはるかに遅れたかたちでしか、自動車に関する社会的費用の内部化がなされてこなかったといえる。
これは逆に、自動車の所有・使用が極めて低廉なコストで可能であり、自動車を普及促進させた。
そして、各人がそれぞれ自らの便益のみを追求しようとする一般的傾向を生み出してきた。
この時に発生する社会的費用は、第三者または社会一般に転嫁され、所得分配の実質的配分を、さらに不平等なものとし、市民の基本的生活を営むことをいっそう困難なものにしつつある。
・ 悪循環のプロセスを断ち切るには
この設問は現代経済学にかせられた重要な問題の一つ。
しかし、近代経済学の理論的支柱を形成する新古典派の理論的フレームワークでは、次の二点から不可能。
@
生産手段の私有制が基本的前提条件となっており、社会的な資源については十分解明できない。
A
人間をたんに労働を提供する生産要素として強調され、社会・文化・歴史的な存在が捨象される。
したがって、社会的費用のもっとも重要な側面に十分な光を当てることができない。
新古典派経済理論の限界は、このほかに、都市問題、公害、環境破壊などの現象についても同じである。
○新古典派経済学が近代経済学の理論的支柱を形成した理由
個々の経済主体の合理的行動に関する公準から出発して、市場均衡のプロセスを定式化して組み立てられた、唯一の形式論理的に整合的な理論体系である。
これは、現実的妥当性を持つことを意味しないが、最低限要請されている。(他の理論よりはまし?)
・ 著者の提案
社会的費用の内部化は、歩行、健康、住居などに関する市民の基本的権利を侵害しないような構造を持つ道路を建設し、自動車の通行は原則としてそのような道路にだけ認め、そのために必要な道路の建設・維持費は適当な方法で自動車通行者に賦課することによって、はじめて実現する。
本書は、自動車通行に伴う現象を統計的に説明するものではなく、それは他の書に譲る。
ここでは、自動車の社会的費用という問題に対し、これまで経済学がどのように考えてきたか、、そして新しい方向に対する模索を試みる。
|