第71回 ボランタリー経済学への招待
下河辺淳監修、香西泰編、
実業之日本社(2000)  戻る

 

 02年7月23日(火) 18:00〜 (笹野、平松、朝廣)

対談 「ボランタリー経済学への招待」刊行にあたって
下河辺淳+香西泰

第一部 
ボランタリー経済の構図


レジュメ Asahiro

対談「ボランタリー経済学への招待」刊行にあたって
■ ボランタリー経済への着想
・ ?年, ドラッガー:「第一セクターの政府、第二セクターの企業、今、第三セクターであるNGOの活躍が、アメリカの経済にとって重要な時期が来た → それが、ボランタリー経済」。市場経済の中で理解したいと着想した。
・ 第三セクターはシステムを開発する優れた人材が必要だが、日本の実情は、思いの強い滅私奉公的で細々。しかも、行政や企業の助成頼みで、第一や第二のフォローや補足といった意味しかないのではないか。経済的に成り立つのか?
■ 営利、非営利の違いと一体性
・ 政府や企業の役割が複雑になる中で、発展のエネルギーは組織に求めるより、個人のボランタリーな活動に求めるようになってきたように思うし、実際の商品開発は、そういった活動に頼るところが実は多いのではないか。
■ 市場、個人、競争
・ 第一〜第三セクターが活きる社会であるためには、個人の「ボランタリー」に依存することが大きくなければならない。そのために、ボランタリー経済を勉強していただきたい。
・ 市場経済における勝ち負けは、社会的貢献度合いでもなければ文化的価値で決まるわけでもなく、利益の要素が多い。市場経済の活性は、所得格差などのマイナス要素を拡大せざるを得ず、理解のしがたい事実がある。
■ 市場、企業、利益
・ 市場における利益の処分のあり方や、入札制度における適正利潤の考え方は、自由競争とはいいながら、実務的には計画的に生産・販売活動を行っている。あながち、フリーではない。
■ 自由と規制を超えて(香西)
・ ボランタリー・エコノミーを今考える理由は、社会主義、資本主義に続く第三のシステムが必要とされる流れがある。
■ キーとなる個人のボランタリー性
・ 昨今の情報の流れは組織よりも個人間で行われ、戦略主体としての個人が大きな力を発揮しうる。
■ 日本的経営の特質
・ 日本の終身雇用制や年功序列は、キャッチアップ体制として効果的であったが、個人が企業の枠を超えて活躍しなければならない時代には合わなくなってきた。
■ 望まれる多様な雇用形態
・ ヒューマンキャピタルの蓄積は、女性も含め、労働市場への出入りが自由にできるような条件を整える必要がある。
■ これからの企業と一人ひとりの社員
・ 企業のあり方のビジョンとして、個人のボランタリーな社会貢献にかかわらず寄付や調査などの活動が行われているが、こういったものが必ず企業の収益につながるという前提に切り替えた方がよい。
・ 多様化する企業競争の中で、C.Iを持ち、安くよい商品の提供できる企業が求められる。ボランタリーや公的サービスの部分に企業も参与していくと考えられるが、競争の中でパフォーマンスが向上しなければ、経済活動として継続できないだろう。



ボランタリー経済の構図 香西泰

■ プロジェクトの発足
・ 東京海上研究所は、98年に「ボランタリー・エコノミーについての経済学的研究」プロジェクトを発足。
・ 本書は、10回の研究会で報告された論文を中心に構成されている。
・ 発意者である下川辺淳東京海上研究所理事長の狙いは、ボランタリー・エコノミーに経済学上での市民権を与え、今後の研究を促進することにある。
・ 本書では、問題領域の展望はできるものの、体系的な原論を書き上げるほど議論は煮詰まっていない。
■ 各論文に見るボランタリー・エコノミーの姿
・ ボランタリー・エコノミーの存在を実感するのは、NPO・NGOの活動の活発化である。
・ 土志田論文では、その時代的背景に触れ、企業の利潤追求の一方で、「他の目標を重視する主体の活動の場が広がる」に至ったとしている。規制緩和、民営化、PFIの拡大は、活動余地が広がるだけでなく、適切な供給という条件も整われなければならない。
・ 猪木・福田論文は、ボランティア活動や組織の役割を理論的に分析している。猪木は、個人と国家の二極化の流れの中で、「独立的な自治組織」「中間組織」の役割を軽視してきたと批判する。コモンの可能性に着目。
・ 福田論文では、「市場の失敗」を是正するボランティア活動の役割が期待されているが、非効率性を排除する市場経済の厳しい米国では「市場の外」で行われるのにたいし、日本では、競争圧が緩やかなため、市場と共存させてきた。しかし、昨今の構造変化は、市場でのボランティア活動を狭め、市場の外に押し出そうとしている。
・ 市場内外での活動の可能性があるが、この二分論を乗り越えるには、ボランティア活動が市場機構を高めることを証明していく必要がある。
・ 岩田論文では、「実体化された法」について、ハバマスは個人の「生活世界」を脅かし、個人の尊厳や自立性を損なっていると批判しているという。法や契約は費用を高くし、トップ判断、企業の壁を高くする弊害を生じる。
・ これに対し情報通信革命が深い関係をもつと思われるが、三田論文では、ボランタリーコモンズと相互関与財の二点を指摘している。ボランタリーコモンズとは、自発的に、一つの課題の解決を目的に参集し、相互理解、共感の上に相互に関与しあう主体と場のことである。これは「知縁」」を通じて結びつき、中間組織として広がる。ここを基盤として行われる経験や知識の交換は、お互いの努力ではじめて生まれ、相互関与財として生産される。生産者と消費者、専門家同士が協働して作り出した財は、知縁によって不確実性を減らし、相互関与によって人々の多様な欲求を実現することができる安定した経済社会であると結論付けている。
・ この結論は、話が上手すぎると感じる部分があり、創出の課題の整理が必要だし、需要と供給が生じるとも限らない。しかし、共鳴するところは大きく、情報技術革新の中で、生産者と消費者の距離が近くなり、協働とも言える現象が生まれている。
・ 「仕切り」を越えるということは、個人が仕事人として組織の枠を超えて活躍するだけでなく、生産と消費、産業と生活、産業と文化、産業と科学の仕切りも越えることが予想される。産業において、デザイン、ソフトウェア、ビジネスモデルなどの占める地位の高さを見ると、両者の仕切りは相互浸透が可能になっているのかもしれない。生産のモチベーションはデザイナーや科学者であり、利潤は目標というより結果かもしれない。
・ ボランタリー経済が出現すれば、自由市場経済の勝利を覆う可能性がある。これは、精神と心情の回復によって、大量生産型機械文明の硬直性を打破できるかどうかという問題でもある。




 

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