第六章 エコソフィにおけるエコ政治 1 エコソフィは政治を排除できない
2 政治の三角形の三頂点(青・赤・緑) −三角形分析の限界
3 エコ政治の諸問題の一覧と諸問題の拡張
4 汚染・資源・人口というエコ政治の基本的領域への追記の追加
5 地域性と世界性の強化
レジュメ Asahiro
1 エコロジー運動は政治を排除できない
(a) すべては政治に関連するが、すべてが政治とは限らない
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私達の消費行動は、諸国の環境問題に関連しており、エコロジー運動は、諸国の政策に影響を与えていると考えられる。原則的に、エコロジー運動をする全ての人が政治活動に参加するのが望ましいが、自然の中で生活する多くの人々の存在は、政治的に注目されていない現状にある。この運動が、政治的のみに意味を持つわけではないのである。
(b)力の分析が必要である
・ 現代における政策決定は、一部の圧力団体や企業に握られている。環境闘争は、関係する力の構造を詳しく描くことが大切である。
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一般的に環境保護運動者達は、生産と消費の決定プロセスを知らないため、自分たちのライフスタイルの変更で社会を変革しようと努めている。しかし、個人の選択による影響は期待できず、力・宣伝・マスメディアの力の分析が緑の政策に効用をもたらす。
(c)自然保護を政治に持ちこむ
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60年代における殺虫剤への反対闘争の中で、この問題の所在は生産システムというよりも、生産と消費の社会的慣習であることが明らかとなった。新しい観念に基づいた体系を取り入れるには、政治により解決されるしかないのである。
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総合的な視点を旨とするディープ・エコロジー運動に反対する人々は、脱政治化を標榜し、科学による問題解決を志向する。しかし、行政の雇う専門家のモデルは、持続的な経済成長に都合よく、社会の問題に対し正面から向き合うものではない。
2 政治の三角形の三頂点(青・赤・緑) ―三角形分析の限界―
・ 工業諸国の政党の関係は、青・赤・緑の三極を結んだ三角形で説明される。
・ この三極を円で描いた場合、その重なる立場もあるのである
緑と青:個人企業の価値を強調。官僚制に対する闘い。
緑と赤:社会的責任を強調。抑制を欠く市場経済に対する闘い。
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しかし、緑は、青や赤と同種の選択肢と考えるよりも、あらゆる所に影響を及ぼす未開拓な尊重されるべき意見であるべきで、青も赤も、緑に収斂されることが望ましい。
・ 緑の党派は、それぞれの問題に精通した専門家を擁し、他党派の活動を、緑の視点から厳しく評価し、公表なければならない。
・ 緑の変革は、規制を増やすことよりも、心の変革による実現を目指すべきである。
3 エコ政治の諸問題の一覧と諸問題の拡張
・ 問題に対面する政治計画に資する、基本的な政策領域は次の六つの分類できる。
(1A)人間の環境の汚染に対する政策
(1B)人間以外の生物生息地の汚染に対する政策
(2A)人間のための資源政策
(2B)人間以外の生物のための資源政策
(3A)人間の人口政策
(3B)人間以外の生物の個体数に関する政策
・ 以上の列挙は、シャロー・エコロジーの立場の討論を、さらに深めるためであり、この3種類の問題が、狭い意味でエコ政治の論点の核をなしている。
・ また、緑の政策は、青、赤の政治に対して、次のような反対の立場を取る。
(1) 長期的展望を危惧し、政府機関による如何なる短期的な政策にも警戒する。
(2) 相互支援は地球的視野の基に、地域的連携により実施する。
(3) 地域・地方・国家・地球規模の階級差の撤廃を支持する。
・ 政治家達が、本当に意義のある計画を推し進めるためには、草の根からの明瞭で力強いサインが必要である。
4 汚染・資源・人口というエコ政治の基本領域への注記の追加
(a)汚染
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汚染に対する政治的解決は、工場の設置を地方や発展途上国に追いやることが少なくない。想定被害者を、一部の地域や現世代に限ることで、政治的責任を最小化しがちでもある。やはり、あらゆる生物の立場にも立てる国際機関の設置が必要である。
(b)資源
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政治的に、広い関連性から、使用に適した資源かどうかの公正な判断のなされることは少なく、浪費されやすい。特に、成長競争のイデオロギーに対しては、それを大幅に削除しなければ、資源浪費への効果的な批判はありえない。また、懐疑的な専門化のデータを支持するよりも、規範的な立場を主張した方が良い。
(c)人口
・ 今世紀初め、人間が定住していない土地は"空白"とか"荒れ果てた"という表現がなされ、開拓者向けに認識されていたが、最近では"束縛のない自然(free
nature)"といわれ、生命にあふれる土地である。
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人口容量は、他の生物や文化などの豊かさが内部化されておらず、明白な過剰人口をなんとかしなければならない。地球的な環境問題が進行している現代において、「手付かずの自然」という言葉は空虚であるが、私達は、自らの充実のために、そのような自然を必要としているように思われる。
・ 地球環境をも視野に入れた広い人間中心主義が、人間らしい仕事を行い、人間が深く必要とされる時代になろうとしている。
5 地域性と世界性の強化
(a)自己決定
・ 自己実現という体系には、自己決定能力、潜在性を実現する能力が必要とされる。
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社会の状況は、自己決定の展開により、良くも悪くもなり得え、人は、生の本質として強制に抵抗できなければならない。特に、中央集権的な決定に対し、エコロジーの政策は反対する。もし、中央で問題が生じたとき、自己を救援する選択肢の幅が狭められてしまうからである。
・ 他の人と共に生存できる都市と地方の関係が必要で、相互の能力が高められるべきである。大きいことも、小さいことも良いわけではない。
(b)自己への信頼
・ 国家間の輸出入の関係は、相互の物質的生活水準に効果を与え、文化の多様性も高めたが、一方で、驚くほどの犠牲も払ってきたのかもしれない。
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文化の多様性の低減は、その独立性を損ね、自己への信頼と創造的な自己活動を難しくする。文化の交流は、固有の価値を、物質や精神面で大切にするために好ましい場合に限り、行われるべきである。
・ それぞれの自己への信頼を高めるには、相互の価値に関する障害を認識し、状況改善に必要な政策について明確に意識する必要がある。
(C)地域共同体の実現
・ ヨーロッパの社会学では、共同体(Gemeinschaft)と社会(Gesellschaft)の違いが区別される。ディープ・エコロジーでは、共同体という意味での地域性と共存が運動の中心的キーワードである。
・ この運動では、現代社会のようなものに吸収されることに抵抗感を持つが、しかし、望ましい地域共同体の特徴が何なのかを明確にすることは容易ではない。
・ 緑の共同体は、過去20年間に渡り、以下のような特質を育成してきた。
(1) 仲間の数は、集団を保つ安定化要因がある。
(2) 全ての仲間に影響する決定事項は、直接伝達・直接民主制で決定される。
(3) 反動的な反社会行為は、友情をもって直接に阻止される。
(4) 生産の様式や手段は、緊密に一次生産につながっている。
(5) 科学技術は、本質的にソフトで身近なものである。
(6) 文化と快楽は、高度に地方色を持つ。
(7) 学業は、地域で必要な科学技術の習得に向けられている。
(8) 収入の差も富みの差も小さい。
(9) 地理的広がりが小さく、自転車での移動で十分。
(10) 共同体の中には、国や国際機関があっても良い。
・また、緑の共同体の維持と発展には、下記の政治的障害が残っている。
(1) 経済政策は中央集権化されており、地方の財政バランスが崩壊しやすい。
(2) 文化政策もメディアにより中央集権化されている。
(3) 娯楽も同様で、草の根の創造力が乏しい状況にある。
(4) 福祉政策も同様で、地域別の生活改善活動が展開できない。
(5) 世界規模の競争と、資本の移動が、地域を荒廃させる。
(6) 自己やソフトテクノロジーに寄与する経済政策が打たれない。
(7) 地域の技能は専門性が低いと見なされ、潜在力をつぶしている。
・ これらに対し、対抗策を打たなければ、地域の共同体も、産業に関係ない文化も、崩壊し続けるだろう。
・ また、中央集権化の影響を避けるためにも、地域共同体は、地域の行政単位と一線を画すべきである。
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