第20回  経済学は自然をどうとらえてきたかハンス・イムラー 著農文協(1993.12.30)  戻る

 99年4月27日(火) 18:00〜 (古賀先生、岩本、皆川、山口、鹿島、中村、朝廣)

第T部 古典経済学以前−古典経済学−マルクス
  −「価値なき」自然と「自然なき」価値−

1章 序 論

2章 価値の源泉としての労働と自然
    −アリストテレスから初期古典学派まで

 1.アリストテレスの使用価値と交換価値
 2.自然価値〈Valor naturalis〉−中世からの漂石
 3.アルベルトゥス・マグヌスとトマス・アクィナス
   −客観的価値学説の先駆者か? −労働の価値について


以下、レジメ 

Iwamoto

第I部 古典経済学以前-古典経済学-マルクス 「価値なき」自然と「自然なき」価値

1章 序論

 近代の科学的経済学は18世紀における自然理解を基盤に構築されてきたが,現在起こっている生態系の危 機は,その基盤そのものの変革を求めるものである.

本書の目的
 経済学における自然の役割の研究.
 生態系の危機(人間の自然的な生存・生活条件の危機)の経済学的な把握.
 生態系の危機を特定の経済学的判断力とそれに照応した人間の行為の論理的帰結として認識しようとする 試み.

自然とは何か?
 「自然は,何よりもまず,人間の物象的な環境<physische Umwelt>である.」(p2)
 物象的な環境の破壊→人間とその生活諸条件そのものの破壊→人間の本性の危機

自然の定義
 自然<Natur>:抽象的に意識されたものとの対照.人間によって形成された自然<Physis>と同義.
 自然の領域に属するもの:物質,自然<Physis>,自然価値,使用価値,自然的価値,生産力,具象性,具 体性...
 抽象的価値の領域に属するもの:交換価値,貨幣価値,価値生産物,価値関連的生産性,抽象的労働...

■労働と自然の関係
 物象的な自然は,すべての生命とすべての富を生み出す源であるにもかかわらず,人間の営み(人間労働)は,その生存の基盤,生命と進歩の源泉である自然を根底から破壊していく.現在の生態系の危機,およびそれに付随して起こる人間生存の危機とは,人間固有の労働の結果が人間存在にかかわる危機に転化した結果である.こうした矛盾はなぜ起こるのだろうか?

□経済学の根底にある労働と自然の分離
 人間は労働によって,様々な生活手段を生産し,それを消費する.この生産と消費という行為は,労働過程の二つの側面である.しかしそれは同時に,人間が生産と消費という行為によって,外的自然に介入し,それを改造する過程,あるいは逆に人間が自然によって形成される過程でもある.よって人間の労働過程は,同時に自然過程でもある.
 しかし,経済的価値形成に関するたいていの古典的学説は,人間労働に基礎を置く.そこにおいては,始めから労働と自然とは分離されている.人間の物象的環境は,たんに前提とされているにすぎず,それゆえ物象的環境はそれに固有の経済的ないし経済学的分析を必要としないのである.
 科学的経済学の成立から今日に至るまで,自然は概念的に経済理論の外に置かれてきた.自然は人間の労働を介して,商品化され,経済学的な把握の対象となる.しかしそれを可能にするのは,労働による外的自然の搾取に他ならない.外的自然は常に生産と消費に置いて確実に「使用」されるのであるが,この使用は自然的領域の外にある基準によって規定され,制御されているのである.つまり,科学的経済学はその成立以来すでに,原理的に自然を破壊してきたのである.
 さらに,自然と労働の分裂から出発した科学的経済学を基盤としている工業的生産様式の経済理論においては,自然はたんなる生産条件にすぎず,工業的生産様式は自然を自らに従属させようとし,自然の障壁を乗り越えようとする.工業的生産様式は自然の生産諸力を支配しようと試みる.工業的生産様式のもとでは,自然は労働の生産的なパートナーとはみなされず,加工され,自己のものとすべき素材であると見なされている.

□抽象的・量的な経済学と物象的・質的な自然 -労働と自然は分裂しているのか?
 経済学が人間労働を基盤にしているからといって,経済学に置いて自然が無視されているわけではない.むしろ反対に,工業的生産様式の特徴は,自然の生産諸力を科学的・技術的に最大限に利用する卓越した能力を発展させたことにある.工業社会のすべての科学的・技術的な進歩は,究極に置いて,人間労働によって自然の諸力と潜在能力が開発され,取得されるという事実によるものである.
 しかしながら,経済学が物象的な自然に向かい合う場合は,生産と消費に置いては確実に全自然が利用されるのに,この自然の一部しか社会的・経済的に評価されない.経済的実践はそのいっさいの行為において自然を使用し,わがものとするのであるが,経済的実践はこれをせいぜい自然から何かを切り取ってくるようなことであると解釈するのである.
 よって,「実際存在している労働と自然の緊密な関係は断ち切られているように見える」(p6)のであるし,「自然は自然として,つまり自然全体において経済的に把握されないままであるのだから,すべての工業社会においては著しく矛盾した生産行動と消費行動が現れる」(p6)ことになる.

□今,経済学に必要なこと
 18世紀の自然理解を基盤とする工業的生産様式の経済理論には限界がある.今後は,物象的広がりをもった自然そのものを,基本的な経済学的範疇として把握する試みが成功するよう,公理そのものの訂正に着手することが課題となる.
 -過った自然理解を基礎としている工業的生産体制に対する根本的批判.
 -現に存在するすべての価値体系の基準あるいは尺度の検討と,その作用の停止.

■経済的価値
「経済的価値の問題は経済理論と経済活動における自然理解にとってきわめて決定的な意味を持っている.物象的な自然との対決は必然的に価値をめぐる検討へとわれわれを導いていく.」(p8)

□自然の価値をその交換価値の観点から考察することによって起こる問題
交換価値経済の絶対的な前提は商品であり,商品としてのみ交換価値をも受け取ることができる.
交換価値を有するためには,個人にとって何かある効用を持っているというだけでは不十分で,加えて私的に取得され,個人的に所有され,そして個人と個人の間で交換されるという力能がなければならない.
しかし,物象的な自然は,交換価値によって規定される合理性が求めるこれらの属性を,限定的にしか受入れえない.(物象的な自然と交換価値との間の第一の根本的な矛盾)
→「交換価値経済は,すべての物象的自然を使用するが,他方,この自然の一部のみがその価値体系によっ て把握されるにすぎない.」(p9)
交換価値経済は必要な両立性に欠けているのであろうか?
交換価値と自然との間の合理的な関係は定義上ありえないのであろうか?

□商品に保有されているすべての質的属性が,抽象的な量に還元されることによって起こる問題
物象的な自然の中にも量が存在しているのは当然のことであるが,質的・具体的属性の保有という物象的自然の本質を無視し,自然をたんなる量へ還元することは自然がもっているさまざまな質の喪失をともなう.その合理性がもっぱら抽象的,無限定的,非具象的な価値概念に基づいている経済学が,その認識のためには質的,具体的,具象的な理解に頼らざるをえない物象的自然を正当に評価することができるのだろうか?

□社会における抽象的・量的価値基準の優越による自然の価値低下 -自然と社会との分離ブルジョワ的・工業的社会においては,社会的行為が本質的に抽象的な交換行為として理解されることにより,社会的領域と自然的領域の分裂が生ずる.社会的なものという概念は原理的に物質性を奪われ,主体間の交渉と関係,つまり最も広い意味でのすべての交換行為が社会的であると見なされる.そこにおいて自然は,社会の物象的基盤たる自然として,一つの前提概念にすぎなくなる.経済的・抽象的価値基準の優位性は社会の脱自然化と物象的自然の脱社会化という結果をもたらす.

□社会と自然との衝突「交換価値によって規定されている社会の内的関係は個人と個人の間の商品交換を通して形成される.交換社会の主体は,分業しながら生産し,その生産物を市場においてその価値で販売する個人である.それゆえ交換社会は本質的に個人社会である.」(p11)
市場によって規定される秩序体系は,複合的関係を細分化し,個別的利益に従って評価することを求めるが,物象的自然体系は,これとは全く逆のこと,複合的体系としての理解に頼らざるをえない.よって個別化された市場過程に還元されえない物象的自然と市場社会との間の秩序維持をめぐる衝突を避けることはできないのである.

 

Yamaguchi Hiroko

第2章 価値の源泉としての労働と自然─アリストテレスから初期古典学派まで
1. アリストテレスの使用価値と交換価値
○ 所有物(クテーマ)が使用される場合の2つの“用”-----
・ 「物に固有のもの」-----使用価値
・ 「固有でないもの」-----交換価値
EX.靴には、“靴として履く用”と、“交換品としての用”がある。

○ 交換価値の中には、比較できる何物かが含まれていなければいけないこと、交換に置いては同等性と交換の尺度が存在していなければならない。

○ アリストテレスの矛盾-----交換価値が同時には持ちえない2つの属性を交換価値に求める。
・ 社会内部における不平等な需要が交換を成立させ、社会構成員を結合させる。
・ この需要は、交換において“何か共通なもの”と“同等なもの”を基礎としている。
※交換されるべき財(商品)には、何かある不平等なものと、何かある共通するものが、同時に含まれていなくてはならない、という内的矛盾。
↓(この矛盾に対し)
・ 差異のあるいろいろなものが通約的になるということは、ほとんど不可能なのであるが、需要ということへの関係から十分に可能となる。
※需要を、同等性と通約性の真の尺度にしようとする。→需要は、交換を成立させる不平等な物
※貨幣は普遍的な通約性を有している。→貨幣はこの通約性をどこから受け取るのか?
∴貨幣の価値の解明は、商品の価値の解明へと戻る。

○ 2つの生産様式
・ 家政術<Okonomik>-----自然経済的獲得術。「生活に必要で、かつ家や国の共同体に有用である」諸財を獲得すること。=使用価値生産の概念(→第2の段階に在る。ここでの所有物は商品形態を取っている。)
・ 取材術<Chrematistik>-----これが基となって、富や財産には限りがないと思われる。貨幣は虚偽の富であるとアリストテレスは批判。
※ これら2つに同一の使用価値、交換価値の概念を使用。
※ これら2つの相違点-----交換目的の変化。交換経済的な使用財供給の体系から、無制限な貨幣獲得の体系への変化にある。(しかし、純然たる貨幣獲得の体系においては、使用価値は、別の取り扱いを受ける。)

○所有物の物象的価値<physischen Wert>をその直接的な有用性に限定することはなく、人間の生活にとってそれがもっている「必要性」を強調する。

○ 自然的生産の異なった諸段階
第1の段階: 交換と売買のない「自然的労働」の段階。人間は直接自然の果実によって生きている。
第2の段階:「足らぬところのある生活を、ちょうど自足的であるには不十分にある点において、補充する」段階。→単純な「交換」が発生する段階。「需要」概念。

○ 需要とは?
・人間と人間の外的自然との間の具体的な関係から規定される。「人間の願望」と、「自然」の2つによって、二重に規定される。
・自然への自生的な依存から生じるとともに、自然に対する人間の行為能力からも生じる。

○ 需要・有用性・使用・富などの諸概念を、「何かある自然基礎の上に築かれたもの」として認識しようとする。「有用である」、「使用できる」ことは、ものの孤立的な属性ではなく、人間と自然の間の多様な生命連関から得られたものであるとする。

● まとめ
・もし有用性と使用価値がもはや物象的需要に規定されるのではなく、貨幣獲得の際限なき追求によって規定されるようになれば、使用価値の危機が生起しうる。
・物象的に限定された使用価値と限度なき交換価値とのあいだに生じる矛盾。.

2.自然価値 <Valor naturalis>

○ アウグスティヌス------自然と経済的使用価値の分離。

○ 自然<Physis>に対する2つの評価
・自然価値<valor naturalis>----自然の秩序によって定まる。(上位の生物がより下位の生物より大きな価値がある、という見方。)普遍的なもの、物象的全体、または全体としての人間社会の観点から考察されている。生命序列は、生命の前提条件であり、「下位」の生命の破壊には、最高位の生命(人間)の破滅が含意されている。→生命を理解するための基準
・使用価値<valor usualis>----人間の効用によって下す評価によって定まる。個々人の直接的な利益関心から受け取る価値。この概念にアウグスティヌスは批判している。
(批判の内容)
・感覚のないものが感覚を持つものの上位に置かれることがありうる。
・単なる材料の所得にとって有利な結果になるように、感覚を与えられたものが破壊される危険性が生じる。これは、物象的な全体構成で占められている自然な場と位階を認識できなくなっていることに基づいて生じる
・人間は、自らの行為の結果をよく知ることができるか、あるいは予感することができるとしても、物象的な構成全体ないし構成のある部分を破壊する。→(理由)人間は主観的な快楽を、客観的な必然性よりも高く位置づけるから。

彼は、2つの価値体系間の根本的な矛盾に対する注意を喚起している。
自然の倫理的な諸条件を認識するが、他方では個別的な有用性、欲望に従う人間の思考と行為は、生命を保持するための倫理的諸条件をも充足することができないことを示した。
彼の見解によると、経済発展前の、純然たる現物経済の体制のもとにおいても、すでに2つの価値の衝突が生じるとする。

3.アルベルトゥス・マグヌスとトマス・アクィナス

○ 中世の経済的変化の「価値問題」に対する影響
・交換過程において生じる価値関係の詳細な検討
・価値形成に関与する要素としての「労働」の意味の拡大

○ アルベルトゥス・マグヌスの物の交換に関しての3つの原則
・支配者による、市場価格の規制のなかでの交換
・意図のない取り決めに基づく交換
・販売者と購入者間の、価値において等量のものを所有すべきであるという交換契約が締結されたもとでの交換

どういう場合に交換は価値の均等性に基づいているか?→客観的な要因に求めており、交換によって反対給付される生産物の中に含まれる価値によって基礎付けられていると考える。
交換を必要とし、交換によって分業的な社会を1つにまとめるものは、さまざまな異質の質的な効用、および使用に対する欲望である。

○新しい経済的価値学説(p44)

○ トマス・アクィナスの活動的生活<vita activa>の原理
・神の手になる全世界は、全なるものの完成へ向けた運動、そのための活動的な努力である。

労働に対する、積極的な考え方が生まれる。
トマス主義の理想像は、静止しており、わずかな生産的介入によって特徴づけられる自然社会ではなく、労働する個人からなる能動的、活動的な社会であり、受動的な保守からの転換、あるいは社会的関係の能動的な形態への方向転換をおしすすめた。

 読書会メモ

使用価値:物の使用によって得られる価値
交換価値:物の販売によって得られる価値
家政術:必要なものを獲得する(使用価値が目的)
取材術:貨幣を蓄財する(使用価値は手段)

アウグスティヌス−−自然と経済的使用価値の分離。=自然価値〈valor naturalis〉
矛盾:自然価値を知っているが、使用価値を止められないため、自ら死に至る。

アルベルトゥス・マグヌスとトマス・アクィナス
自然的価値が捨てられ、代りに労働と費用によって物の価値が決定される。しかし、この価値は価格と一致せず、市場によって均衡する。


asahiro@kyushu-id.ac.jp