第U部 経済学理論としての自然支配 −フィジオクラートたち
−「自然価値」再検討−1章 歴史的現象としてのフィジオクラシーとその現代的現実性の根拠
1.フィジオクラートタチハ科学的経済学の創設者に数えられる。しかし、経済理論の歴史の中では彼らは一面的に叙述されている。フィジオクラシーの学説の本質的な命題は見逃されている
2.忘れ去られたもの:フィジオクラシーとは自然の支配を意味する
3.フィジオクラシーを歴史的に育んだものはフランスにおける物質的な生産基盤の危機であった
4.今日なぜフィジオクラートたちを問題にするのか。彼らを重要な問題として取り上げることが正当であるということに関するいくつかの仮説
2章 生産理論
1.ケネー博士の偉大な発見 −自然的生産諸力の経済学
2.生産に関するフィジオクラシーの理論:自然が生産し、人間が手伝う
3.生産過程の経済構造
4.この世のいっさいのものは純正産物によって成果を上げる
5.自然の富の無尽蔵性−自然的再生産のための一般理論への萌芽
3章 価値理論
1.価値問題 −ほとんど省みられなかったもの:フィジオクラシーの全く異なった価値理論
2.自然の純然たる贈り物としての価値 −自然価値学説の原基
3.フィジオクラシーの混乱:何が生産的なのか−土地かそれとも農業労働か?
4.首尾一括しない例外:農業だけが生産的なのではない
5.一般的な自然価値学説への途上で
6.フィジオクラシーの価値学説に対する総括的批判
7.フィジオクラシーの価値学説が我々にとって依然として価値があるとすれば、それはいかなるものであるのか?
以下、レジメ
Asahiro
2章 生産理論
1.
ケネー博士の偉大な発見 −自然的経済諸力の経済学
E.ハイマン:フィジオクラットの偉大な業績 → 経済的過程の循環形成の発見
「経済表」を展開したケネー:
フランスにおける疲弊した農業に対し、純生産物の増大、国王と国民の富の増大をもたらす経済的な可能性を求めた。
農業生産の物質的・技術的側面の分析 → 価値(費用、価格、利潤、租税)の分析
農業の生産物の生産諸要素を経済的諸要素として理解し、その相互関連を見る。
→ 自然によって与えられる生産力は土地の肥沃さによるのみでなく、経済的な措置によっても高められうる。
∵ 全ての農業の剰余生産物は封建的に収奪され、人間と家畜と土地を過度に疲弊させる。
結論:王と封建領主たちは農業を搾取する程度を緩めなければならない。
→ 生産性の増大 → 搾取できる量の増大。
2.
生産に関するフィジオクラシーの理論:自然が生産し、人間が手伝う
生産とは:欠くことのできない物質的生活必需品の一部を作り出すこと。
フィジオクラシーの生産理論では、自然の生産過程、生物の成長過程そのものが社会的生産の一部として理解されている。外的自然が中心的生産要素。
→ 生産過程の目標は、社会の(農業)労働を媒介にして、食料や自然の素材の形態で生産された富を自由に使用させること。
生産的農業労働の意味:自然の贈り物を手に入れるのを助ける労働。
マルクスによる「労働生産物の理論」としての自然的生産理論の相対化
農民の労働なくして自然の贈り物を手にすることはできないとの理由により、フィジオクラートの言う純粋の自然の贈り物を労働生産物として取得する観点に立ち理解する。
フィジオクラート ← → マルクス
自然生産物学説 ← → 労働生産物学説
自然価値学説 ← → 労働価値学説
労働は自然の実りを助ける ← → 労働は剰余生産物の源泉、自然の生産性は労働の中に現れるだけ。
3. 生産過程の経済構造
・フィジオクラシーにおける特異な社会階級区分
1.
労働により自然生産物を獲得:生産的階級(農民、借地農)
2. 土地財産を用意する階級:地主階級
3.
「自然の外部」で労働し、純正産物に関わらない:不生産的階級(商人等)
・上述の階級区分は下記の論理が前提とされる。
1.人間の労働ではなく、外的自然が物を生産する。
2.自然生産物を収穫する労働のみが生産的である。
ケネーは、手工業者や商人、経営者が純正産物を生産しないことから不生産的と考えたが、フランス絶対主義が解体され、手工業、工業の比重の高まり、フランス革命が近づくと共に、このような考え方は人々の納得を得難くなっていった。
フィジオクラシーの生産理論の詳細
生産機能:「自然生産物」を経済的措置によって増大させること。
生産過程の分析:外的自然と人間労働と生産手段がいかに協働するかを明らかにすること。
ケネーの問題:単純再生産の為の手段を調達し、将来の生産のために必要な前払いを自由にできるか。
農場経営の費用−収益関係を最高に有利な状態にするために必要な三つの支出。
1.年前払い:種子、肥料および労働力の使用に対する支出。1年間に前払い
2.原前払い:道具、器具、作業用具、用畜、種畜。
3.土地前払い:土地の肥沃度、長期間にわたる耕作の改善。(土地改良の一種)
1.2.は借地農により年総生産物から「耕作者の回収」として控除、3.は地主もち。
フィジオクラシーとマルクス主義理論及びブルジョア理論との相違
1.
「生産階級」と「地主階級」の区分は、再生産費用を借地農と地主に配分するという、資本性生産過程においては普通ありえないことを想定する。
2.
彼らの生産過程は、素材的自然的な価値の形成過程であると考え、貨幣・価値でその大きさを付与する。交換価値を使用価値の流通に必要な物と見なす。
農産物価格について
貨幣経済が支配的な経済的交換形態であったフランスで、ケネーは高価格政策を指示した。
ケネーの根本思想は、限りなく多くの使用財が産出され、国家によって保護された高い価格が社会の諸収入を保証すること。
後世の生産理論的諸分析(アダム・スミス)
土地所有者の前払いを、地代増大の手段と見なす。フィジオクラシーでいう純生産物を、地代、あるいは資本に対する利子という観点で説明する。
フィジオクラート達の生産過程の経済学的体系化は、社会的生産に関する科学的考察を大いに進展させ古典経済学に大きな影響を与えた。しかし、生産理論の核心である自然の生産力に関する学説は受け継がれなかった。
4.この世のいっさいのものは純生産物によって成果を上げる
デュボン・ド・ヌムール:「全ての人間の幸福は可能な限り大きな純収益と密接に結びついている。」 → 純生産物の発見は、封建的・絶対主義的国家の経済と社会は何を獲得したのか?
政治的に自然を合理的に使用する正しい措置を講ずれば、収入は永久に増大するという理念は、純正産物を受け取る土地所有者、貴族、国王などの熱狂的支持を受けた。
また、決定的に支配階級のものであったこの利益を、無償で自然から出てくるものだという考え方により、階級対決を回避し、かつ、労働を行う農民や借地農に対し公平を期すために彼らが支出した全ての再生産費用を補償した。
ケネーは純生産物の最大化と前払いの三形態の結び付きを強調することにより、農村住民の社会的および経済的状態が本質的に改善される経済政策を促した。
この純生産物の中には、固定資本と経営資本が統合されており、マルクスの言う意味での不変資本(生産手段)と可変資本(賃金所得)に区別はできない。農民からの搾取は必然的に純生産物の減少を意味することとなり、社会的な封建経済が論じられていたと言える。
ケネーの考える農業は、裕福かつ資産のある借地農や農民を対象とすることで、最大の自然生産を目的とした経済政策を志向する理論であった。
5.自然の富の無尽蔵性 −自然的再生産のための一般理論への萌芽
フィジオクラシーにおける物象的・自然的再生産概念について
前払いの三形態が生産期間の始点と終点で同じである場合:単純再生産
土地所有者が生産的前払いを増大させる場合:拡大再生産が可能となる。
再生産システムの危険性
生産的支出がないがしろにされがちである。
フィジオクラシーの再生産理論における「柱」
生産は常に再生産によって包み込まれていなければならない。
生産成果の安定した増大は生産諸条件の永続的な修復を必要とする。
生産成果の増大は、改良され、拡大された生産諸条件を前提とする。
また、これらの前提条件として、彼らは下記のことを経験的に知っていた。
自然的生産力はそれを社会的に利用するのにコストを必要としない。
自然力は傷つきやすく壊れやすいため、経済的手段によって保持されねばならない。
生産過程の体系的組織によって、自然生産諸力の増大が達成できる。
ケネーは農業改革により生産が2倍以上になると見積もり、王国と人々に裕福をもたらすと考え、かつ、フランス革命、ブルジョアジーの成長を前にして、この理論は大いに支持された。
彼らは、自然的生産諸力の永続的な再生産能力を意識的に自らの理論とした。あえて、この業績を非難するならば、自然生産力を農業のみに認め、自然的生産諸力の普遍的性格を全ての生産分野と生産様式にわたって認めなかった。
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