第T部 古典経済学以前−古典経済学−マルクス
−「価値なき」自然と「自然なき」価値−6章 カール・マルクス −自然と価値理論
1.「使用価値は経済学の考察範囲外にある」 −マルクスにおける
2.使用価値と自然
3.マルクスの価値学説における労働と自然
4.どのようなものが剰余価値の源泉なのか −剰余価値生産への自然の質的関与
5.剰余価値生産への自然の量的関与
6.二重の神秘化
7.マルクス主義政治経済学における経済と自然の関係について
以下、レジメ
Iwamoto
6章 カール・マルクス -自然と価値理論
マルクスの(哲学的・経済学的)体系の統一性:ブルジョア社会の否定,疎外された労働の使用,社会主義社会の革命的な創出へと至る工業文明の現実の歴史的帰結に関する科学的知識
マルクスの主張する人間と自然の関連性:労働の疎外=自然の疎外
疎外された労働は人間から,(1)自然を疎外し,(2)自己自身を,人間に特有の活動的機能を,人間の生命活動を,疎外することによって,それは人間から類を疎外する.疎外された労働は,(3)人間の類的存在を,すなわち自然をも人間の精神的な類的能力をも,人間にとって疎遠な本質として,人間の個人的生存の手段としてしまう.疎外された労働は,人間からそれ自身の身体を,同様に人間の外にある自然を,また人間の精神的本質を,要するに人間の人間的本質を疎外する.
共産主義 =人間による人間のための人間的本質の現実的な獲得
社会的すなわち人間的な人間としての人間の,意識的に生まれてきた,また今までの発展の全成果の内部で生まれてきた完全な自己還帰
完成した自然主義として=人間主義,完成した人間主義として=自然主義
☆しかし,マルクスの示した価値学説は正しかったのか? (マルクスに対する新たな評価方法の登場)
なぜならば,マルクスによって革新的に予見されたような自然との宥和のチャンスはより低くなっている.
・学説の内的論理は理解可能だが,実際には自然との関係が根本的に変わってしまった社会が存在している.
・人間の労働が自然を破壊し,そのことによって人間の生存そのものが脅かされる危険性の可能性増大.
・工業社会の生産諸力は,生産様式の革命的進歩ではなく,自然と生命の物象的破壊の方向へと動いている.
☆結局マルクスは「古典的経済学批判」の立場にたちつつも,リカードウと古典経済学の延長線上にあり,その自然観はある程度までブルジョワ的自然像と関わり合っていたのではないか?
■マルクスにおける自然と経済学 「使用価値は経済学の考察範疇外にある」
スミス,リカードゥ:近代社会の経済的運動法則がどのように機能するかを明示しようとした.
マルクス:経済法則の機能を知ることで,近代社会の矛盾をはらんだ発展を認識しようとした.
経済学は,なぜ労働が価値に,そしてその継続時間による労働の計測が労働生産物の価値量に表れるのか,という問題は,未だかつて提起したことさえなかった.
商品の一般的価値形態=労働生産物の価値形態の分析
マルクスは商品を使用価値と交換価値の二つの視点から問題にするが,それら二つの価値がどこから生まれてきたかについては考察していない.
使用価値がどのような自然的特性によって根拠づけられているのかについては述べられておらず,使用価値の概念は交換価値の概念に対置するものとして使用価値を経済学の考察範囲外においてしまう.
=使用価値はあらゆる時代の生産に普遍的な生産の素材的側面に関わるにすぎない.
☆これらはリカードウの示した,使用価値と交換価値の完全な分離をそのまま受け入れた結果では?
使用価値とその分析を経済学の関心外の問題であるとすれば...(マルクスの政治経済学批判の危機!)
→意識的に価値と自然との切り離しが行われる.
→労働力商品の使用価値も政治経済学の対象ではないことになる
→労働力の価値と使用価値の違いを認識していないというリカードウ批判も成り立たない.
しかし,マルクスの場合,商品の使用価値範疇は,その使用価値が労働力の使用価値であるか,それとも具体的な生産物の使用価値であるかによって,異なった取り扱いを受ける.
☆それはどのような仕方で行われるのであろうか?
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