第17回 ヨーロッパ帝国主義の謎アルフレッド・W・クロスビー著岩波書店(1998.4.24)  戻る

 99年3月9日(火) 18:00〜 (古賀先生、岩本、太田、山口、中村、朝廣)

第一章 プロローグ
第二章 パンゲア再訪
第三章 ノルマン人と十字軍
第四章 幸多き島々
第五章 遙か彼方の海を吹く風
第六章 達し得るが捉え難い土地

以下、レジメ 

iwamoto

第1章 プロローグ 

ヨーロッパ人の移民と彼らの子孫は,現在,世界のいたる所に移住している.これは説明を要する事柄である.


・ヨーロッパ人の分布状態における特異性
多くの人種は,民族が異なる場合でも,ほぼ同じ地域,同じ大陸,もしくは同じ緯度に位置する,似通った気候の地域に居住している.そしてもともとの居住地域から,少しずつその領域を広げていく形で広がっていく.しかし「ヨーロッパ人だけは,地球上のあらゆる場所へと一足飛びに飛び移ったのである」.

・ヨーロッパとネオ・ヨーロッパ
有史以前からヨーロッパ人が住んできた地域(ヨーロッパ)に対し,現在ヨーロッパ以外の地域で,彼らがそこにおける住民の多数派を占めているような所をネオ・ヨーロッパと呼ぶ.
 オーストラリア  ほとんどがヨーロッパ人の子孫
 ニュージーランド 10分の9がヨーロッパ系
 メキシコ以北のアメリカ大陸 80%以上がヨーロッパ系
 南回帰線以南のアメリカ大陸 国によって違いはあるが,大部分(4分の3以上)はヨーロッパ人

・ネオ・ヨーロッパの特徴
 その位置する場所が住民大多数の文化的人種的伝統と一致していない
 食料の生産性が高い(=消費される量に対する生産量の比率が高く,よって輸出に向けることのできる剰余の生産量が多い)地域である                             →最終章へ

・なぜヨーロッパ人は,彼らの住む世界(旧世界)と全く違う場所(新世界)へと移住していったのか? 1820年から1930年の間に,優に5000万を越えるヨーロッパ人がはるばる海を渡ってネオ・ヨーロッパ の各地に移住.(当時のヨーロッパの総人口の5分の1)
 理由(ヨーロッパサイド)
  爆発的人口増,それに伴う耕地の不足,国家間の軋轢,少数民族の圧迫
  蒸気機関の動力の,海上,陸上交通手段への応用
 理由(ネオ・ヨーロッパサイド)
  生物地理学的要素
  ネオ・ヨーロッパの各地の位置:そのほとんどが同じ緯度の同じ気候(温帯地方)に位置する
  →ヨーロッパで生息する植物,飼育されてきた家畜等に適した気候

ネオ・ヨーロッパ各地の生物層は,それぞれが異なる進化の過程を経ており,ヨーロッパや他のネオ・ヨーロッパ諸国のそれを比べた場合,それぞれ非常に異なる性質を持っている.しかし,ヨーロッパとは違う土着の植物誌,動物誌を有するこれらの国々の生物層は,わずか500年間で,ヨーロッパのものに取って代わられることになる.ヨーロッパ人がネオ・ヨーロッパの国々を簡単に制圧し,支配することができたのは,彼らの武力的,あるいは社会組織的な優越,あるいは熱心な信仰心だけが理由ではない.ヨーロッパ帝国主義の成功には,ある生物学的,生態学的な要素がひそんでいるのである.

第2章 パンゲア再訪

■第1段階:パンゲアの分裂

2億年前:地球上のすべての大陸が一つに固まっている状態(パンゲア)
 生物の形態はあまり変化に富んでいない.       は虫類の支配.
1億8000万年前:パンゲアが割れはじめ,今日見られる各大陸が誕生
 海嶺の誕生→「大陸移動」→山岳や海溝などが生まれる.ほ乳類の支配.
パンゲアの分裂→北(現在のヨーロッパ+北アメリカ)と南
 この分裂によって,ヨーロッパとネオ・ヨーロパの生物相の違いが生まれた

■第2段階:パンゲアの再構築

大陸移動によって分裂した大陸では,それぞれ独自の進化の過程を経て現在までいたっている.それに逆行するような生物相の混交は,これまでほとんど見られなかった出来事である.この地質学的事件として起こり,誰にも止めることのできない大陸移動による生物相の分断は,しかしながら約500年前ぐらいに突然停止する.産業の発展が,人間の遠距離移動を可能にし,それによって世界各地の生物相が混交され,生存競争を経て一つに統一されていくような,生物学的に見れば,パンゲアの再構築とも見られる状況が進んでいるのである.これは地球の地理学的事件によるものではなく,人間の引き起こした一種の文化的事件であり,技術の進歩の方向のゆがみとその進歩のスピードが,パンゲア再構築を引き起こしているのである.
4万年前:脳の容量の拡大と精密化→ホモ・サピエンスの誕生→言語と道具の使用,文化の所有

 氷河期をはさんで,最初の人類大移動(地理的拡大)→大陸における生物相(特に動物相)の変化    海面上昇による各大陸の分離
 第二の人類大移動(文化的拡大)→大陸における生物相の混交
 (文化的突然変異=新石器革命,農耕の開始,家畜の飼育,文字の発明,都市の建設,文明の創出...)
  地域によって発展の速度が異なる(新世界における文明化の遅れ)のはなぜか?
   地形の違い(山脈の位置,大陸の形...)→文明が依拠する重要作物の伝播の速度の違い
   それぞれの地域に適した農作物の生産性の違い
   動物の飼育能力の違い→安定した栄養摂取,動力と機動性,労働力の増加や緊急時の食料,動物の皮革を利用した様々な道具,土壌改良
  遠距離での人々,あるいは生物種の交流が生みだしたものは?
   雑草の誕生
  「共働効果」による害虫の誕生とそれによる疫病の発生

■ヨーロッパからヨーロッパへの移動 -民族淘汰の一例として(シベリア原住民を例に)

シベリア:ヨーロッパと隣り合った地理的位置,似通った生物相.
シベリア原住民:ユーラシアの諸民族に近い,新石器文化の最初の諸要素,トナカイの放牧.
シベリアは旧ヨーロッパと非常に似通った性質を持っているにもかかわらず,現在では両者の経済的格差は広がる一方である.その理由は何か?
 ヨーロッパからの侵入者→新石器文明の残りの要素の導入=新種の作物と雑草,飼い猫・ネズミ・ミツバチ,             病気の病原菌
 さらに,原住民族の生活習慣,シベリアの気候的条件が,ヨーロッパ人によって持ち込まれた要素(特に病原菌)を広め,猛威を 振るわせる原因となった.

Yamaguchi

第3章 ノルマン人と十字軍
ヨーロッパ人が中世に、彼らの故郷の大陸の外部に永続的な居住地を設ける試み
1. 北大西洋の島々(アイスランド、グリーンランド西南地域)
・10世紀末、ノルウェー人による植民。何度も試みられる。→定住は成功しなかった。(15世紀末に成功)
◇ 失敗の理由
・人口が少なかった。(居住地が貧しく、大勢の人を引付ける魅力が無い。農業生産物の剰余が無い。)
・ヨーロッパに永久的な需要のある特産物が無かった。
・インディアンに対する圧倒的な数に対する劣性を均してくれる「調整器」の欠如。
・天然痘による人口減(全人口が1/3となった。)
◇アメリカへの植民までに至らなかった理由
・地理的に遠すぎた。→航海術、船の設計の改良が必要←その後、十字軍がレバントより持ち帰る。
2. 東地中海地域
・11世紀後半、第一次十字軍の派遣。→永住には失敗。
◇ 失敗の理由
・十字軍のレバントにおける地位は、ヨーロッパからの絶えざる補給によって保たれてきた。→補給が消えると同時に、キリスト教都市は消滅。
・船の技術力不足のため、ヨーロッパから十字軍都市への大量移民がおこらなかった。
・イスラム教徒の団結、キリスト教徒の不和。
・十字軍国家内の、諸都市に生気を与えるべき十分なラテン・キリスト教徒の不足。
・十字軍での感染症(マラリア)の流行。→その土地の微生物への馴化期間がなか った。特にマラリアは妊婦にとって危険な病気。
□数の上で現地人に優れなかった。

第4章 幸多き島々
・アフリカ・ポルトガル沿岸諸島への植民
1. アドレス諸島
・小麦栽培の成功→本国へ輸出
・富の源泉としてではなく、中継地としての意味。
2. マデイラ諸島
・気候温暖、土地は肥沃、雨量が多い。→ヨーロッパ人の需要が多い、熱帯性の作物を栽培。(砂糖)
・砂糖生産によって、人口が急増。奴隷の使用。→プランテーション植民地の原点
3. カナリア諸島
・グアンチェ人の滅亡
◇ 理由
・数は多いが、団結しなかった。→グアンチェ人をさらい、奴隷市場で売る。
・文化的方向感覚の喪失。(←キリスト教)
・侵略者が持ち込んだ生物の、島での適応。→ヨーロッパ人の到来が、生態学的大
変動を引き起こした。(砂糖生産一本槍に変形)


Asahiro

第5章    遙か彼方の海を吹く風

東部大西洋の島々でのヨーロッパ人の成功には、生態学的帝国主義の予兆が感じとれる。

大洋を越える大事業に必要だった五つの事柄
@     ぜひ海外で帝国主義的冒険を試みたいという強い欲望
A     船荷や乗客を十分乗せることができる大きく速く運航できる船
B     大洋の真っただ中で方向を失わない一新された装置と技術
C     船に乗せれるに小型で、原住民を脅すほどに強力な武器
D     大洋を越えて船を運行するエネルギー (いつ、どこの風か)

歴史家によるとこれら五つの条件は、ほぼ1490年代に満たされている。
コロンブスもバスコ・ダ・ガマの成功もこの十年。
しかし、15世紀初めには中国の海洋技術が進歩しており、鄭和が東部アフリカまで遠征している。これ以降、科学は大きく航海に貢献し、問題は風だった。

羅針盤は中国より、三角帆はイスラムより取り入れたが、船主、投資家、心持つ貴族・国王、地図製作者、数学者、探検家、天文学者、船乗りは、皆ヨーロッパ人であった。J・H・パリーはこの冒険を「海の発見」と言う。つまり、大洋では、どこで、いつ、風が吹くか、海流のどうかの発見だからである。

風のシステムとは? (ヨーロッパから新しい世界へ向かう鍵)
大西洋と太平洋の風は巨大な風の輪をなして吹く。
赤道より北では時計回り、南では反時計回りに回る。(温帯偏西風)
赤道上に吹き込む風。(貿易風:trade wind)
低気圧の帯は赤道無風地帯。これらが季節毎に、北へ南へ大きく変動する。

マリネイロ(ボルトガル語で航海者)の学びの場:カナリア諸島
貿易風で一週間、獣皮、染料、奴隷などの利益目的。
この貿易風と海流に逆らって、戻ってくる方法の発見が後の大航海を可能にした。

逆風をめぐって航海する。
できる限り風向きに接近して船を進め、舵を一定に保ち、望みどおりの風域に達するのを待つ。カナリア島からは、北西に舵を取り、大洋のただ中へとひたすら進み、熱帯から抜け出て、温帯の偏西風の優勢な地点から一路故郷へ向かう。
この航海方法を考え出したポルトガル人を「ボルタ・ド・マール」と呼んだ。
貿易風で遙か彼方へ出て、偏西風で戻ってくる冒険旅行が可能となった。

15世紀 ポルトガル人航海者はカナリア諸島を越えて、黄金、胡椒、奴隷の交易を目的にアフリカ沿岸を南下した。(ディアス南端まで航海)
1492年 スペイン人のクリストファー・コロンブス(ジェノバ人の地図製作者)
西インド諸島の発見
1497年 ポルトガル人のバスコ・ダ・ガマ、インド洋航路の発見、喜望峰の回航
1519年 スペインに仕えるポルトガル人のフェルナンド・マゼラン、世界一周
        初の太平洋横断、北緯10°、順風の中を三ヶ月と二十日間
1522年までにヨーロッパ人は北極圏と南緯40°間の風の動きを知った。次に成すべきことは植民地帝国の建設であり、交易という名の金もうけであった。
1600年には一市民でも定められたスケジュールにのっとって世界一周ができた。

第6章    達し得るが捉え難い土地
ネオ・ヨーロッパと成得た二つの基準
@気候の要素がヨーロッパと似ていること
A旧世界から遠く離れていること

ネオ・ヨーロッパに成得なかった、中国、韓国、日本の状況
強力な中央政府の伝統と強靭な諸制度、文化的自信を備えた稠密な人口
ヨーロッパとそっくりな穀物、家畜、微生物、病原体

ヨーロッパ人帝国主義者は暑く雨の多い地域に惹かれ、染料、胡椒、砂糖、奴隷など金になる産物が目的だった。しかし、永続的なヨーロッパ人の共同体は建設できなかった。原因には、マラリアなどの南アジアの病原菌や、そのような環境に定住を考える女性移住者はあまりいなかったこと、そして、穀物栽培や家畜に向かなかったことなどが上げられる。

熱帯東北オーストラリアのクィーンズランドでは、健全な植民地の建設となった。それは、原住民の人口密度が高くなく、彼らとの接触=寄生生物との接触が少ないことに加え、非白人の移民の禁止、微生物学革命の応用が有効だった。

読書会メモ

新石器革命(農耕)は生態系をつくりかえ、エコロジカルな勝負では決定的な影響を与えた。
  ○侵略者の方が広い動植物の家族に支えられていること(p126)
  ○侵略者のもたらす病原菌に対して、原住民は無防備なこと
技術・意思・努力ではなく、生態的なものが決定的に歴史を動かしてきた。

均一化の流れの中で、どう環境的公正を行っていくか?
人間は生態系の一部だけれど、生態系と一致してはならない?
劣勢な種族にとって、人種差別は強力な防衛手段であった?
植民地主義:新石器時代よりある人の移転(独立国家と認める場合新植民地主義)
帝国主義:産業資本主義による原材料の調達


asahiro@kyushu-id.ac.jp