第T部 古典経済学以前−古典経済学−マルクス
−「価値なき」自然と「自然なき」価値−2章 価値の源泉としての労働と自然
−アリストテレスから初期古典学派まで
4.ユートピア国家における裕福−トマス・モア
5.人間は狼同然であり、自然はその餌食である−トマス・ホッブズ
6.労働は富の父であり、土地は富の母である−ウィリアム・ペティ
3章 ジョン・ロック
1.労働による価値の生産−ロックの労働価値理論
2.物象的労働価値学説と私的所有の形成との関連
3.ロックとその時代の自然理解
以下、レジメ
Nakamura
4.ユートピア国家における裕福−トマス・モア(人間の良き性質)
トマス・モア(1478-1535、イギリス)…「使用価値の牧歌」、「ユートピア」国家、
○「ユートピア」において適用される倫理的・経済的諸規範
a.
私有財産に対する批判、共有財産に対する社会経済的主張
b.
交換価値と貨幣に結びつけられた抽象的な価値観念に対する根本的批判
→社会主義的、共産主義的思想/政治的ユートピア
ここでの社会経済的関係は感覚性、具象性および限定性(価値?)が抽象化と無限界性(価格、貨幣?)に対して優位を占めているところの自然的なものの倫理によって特徴づけられている。
○「ユートピア」における富、価値尺度
a.ユートピア国家においては、価値の物象的、自然的概念が使用される。ある物、あるいは生産物は、それが物象的・物質的生活の維持と改良に役立つときに価値が高いのである。→鉄>金
b.ユートピア国家の社会的富は、人間の生活に必要な物を、過度にではなく、節度を守って充足するのを自然が助けてくれるように、人間の労働によって働きかける市民の能力の中に存在している。
→富は自然が関与する部分と労働が関与する部分とからなる。
外的自然の富を保持すること、人間の生活を豊かにすることが決定的な価値源泉となる
c.トマス・モアの価値学説は、ストア主義者とエピクロス主義者の妥協であり、人間と自然の調和を包含している。
→個人の幸福に対する権利(エピクロス)/個人の幸福(ストア)を実現するための相互扶助
d.ユートピアは、ユートピア内部の交換手段としての貨幣が廃止されなければならないというだけではなく、交換価値関係は富を抽象的に把握するがゆえに、それだけではすでに貨幣によって媒介される交換価値関係は非人間的なものとして表れる。
→経済的価値=生活の質
経済的価値は交換価値によらない
5.人間は狼同然であり、自然はその餌食である−トマス・ホッブズ(人間の悪徳)
革命期イギリスでの自然権の復活(ストア学派とエピクロス学派の哲学に関する再考)に依拠した人間観
グロティウス(1583-1645)…ストア主義者
a.「社会的な欲求」<appetitussozialis>…人間社会は共同の目的を追求する同等の仲間による結合社会。従属-被従属の関係からなる社会ではない。
b.自然権=人間の良き本性に対応している、自然権は理性の律法
c.自然権に内在していた主体としての自然<Physis>は、剥奪され、物なる自然<Ding-Natur>へと転換していき、自然権は社会的な共同生活の理性法となる。
→論点は、人間と自然との関係ではなくて、人間と人間との間の社会的関係であり、人間の外側にある物象的自然は客体となる。
ガッサンディ(1592-1655)…エピクロス主義者
a.人間の決定的な衝動は、自己保存を求める衝動であり、その結果としてすべての権利は個々人にとっての必要と有益性から生ずるであろう。→個人的利己主義
b.国家は財産を護り、自己の快楽を充足するという利益のために集まる自由な個人の契約社会である。
→快楽主義的、功利主義的な欲望
幸福主義的な幸せではない
トマス・ホッブズ(1588-1679、イギリス)…人間の悪徳を強調「人間は人間にとって狼である」
○ホッブズの自然像
a.共同社会に従属する以前の個々の人間の自然状態における行動様式は、万人の万人に対する闘争によって特徴づけられる。「人間は人間にとって狼である」
b.狼的人間が共同的な形成物たる国家の保護のもとに入り、その法に従うことによって、結局は理性的人間が狼的人間を圧することになる。→リヴァイアサン的国家
c. 自然権=自己が生き残ることに対する権利
・人間と人間の間の行動に関するもの…自己の生命を他人によって否定されないように、そして自己が生き残るために使用する生活手段を各人が調達できるように配慮するためのすべての人間が持つ権利
・物、外的自然に対する無制限の権利…人間の外にある物象的自然を、人間の自己保存のための餌食と見なす。人間は誰でもすべての物に対する権利を有している。
→自然なる餌食は他の「狼」との競争によって絶えず脅かされている。
人間は思うがままに自然を占有できる
d.自然の法…「生き残るための理性」が万人の万人と万物に対する人間の闘争から人間を救い出す。人間は個々人の権利を契約によって平和確保のために放棄する、ないしは譲渡することができるということおよび取り結ばれた契約もまた遵守されなけらばならない。(かれら自身の保存のために)
→コモン・ウェルスの生成
隷属契約による国家建設の前提条件が創出される
ブルジョワ社会の形成
○コモンウェルスの生成と国家形成によって自然との平和も確立されるのか?
a.所有権proprietyの設定。自分のものと、あなたのものとかれのものを区別すること。法、あるいは契約によって自然財が財産という形態をとり、物象的自然と財産が同一視されるとき自然に対する戦争は終わるであろう。しかし、様々な自然現象は実体的に固定される可能性をもっていないし、私有財産となりえないものが多く、自然と財産の一体化は難しいため、これはありえない。(自然は、財、財産、商
品として規定することができない)
→自然に対する戦争は国家形成と財産保全によっても終結するものではない。
・自然<Physis>の大部分、しかも決定的な部分は私的所有権原をもってしては手の届くものではないか、あるいは保護されうるものではない。
・自然の物事がその社会的関係の中で財産として所得される場合でも、利害に規定された自然の「搾取」は続けられうる。
○自然と労働(富の形成)
a.自然<Physis>は物象的富の本来的な源泉。人間に与えられたものとみなす。人間と自然との間の生産的な相互作用はなく、人間の自然との交渉は自然を自己のものとするための労働だけに限られる。
b.労働によって人間は、自然生成物を獲得する。労働とは、自然資源を占有する行為であり、それ自体が富の源泉ではない。
→ホッブズは価値問題をもっぱら物象的、質的基準によって、すなわち生活必需品、富として考察しており、自然を物象的富の本来的な源泉と見て、自然財は人間の労働によってたんに贈り物として受け取られるだけのものとしている。また、自然<Physis>の占有は、社会的に保障されるものとしている。
c.交換価値は契約者によって、主観的に規定される。労働もまた、労働の価値はそれが受け取る価格に等しい。(価値=価格)
商品の価値は、もっぱら商品が受け取る価格に基礎づけられ、価値の物象的側面に関しては、自然と労働の協同作業を想定しているが、抽象的概念においては、これは無視されている。
Asahiro
3章 ジョン・ロック、p80-112
○重商主義の時代
貨幣と金は、国の内外で物象的・物質的富を購入し、利益をともなって再び販売するための適切な経済的道具であると思われている。すなわち、このような意味での商業の「生産的」な機能が承認されていた。
労働価値理論的思考の兆しは、封建的生産諸関係の崩壊とブルジョア的労働諸関係の漸次的導入と共に現れる。イギリスにおいては、1642-1649年に至るブルジョア革命。その新しい政治学と哲学の中心には、哲学者であり自然法理論家でもあったジョン・ロック(1632-1704)が立っていた。彼は自由主義的・民主主義的国家の祖と言われるが、近年の研究では、形式的な平等と物質的な不平等の間の矛盾が既に作り出されており、今日まで問題として残されている。ブルジョアジーの発展強化の部分で高く評価されているが、経済学理論に対する影響については異なった評価となっている。
1.ロックは古典的労働価値学説の体系的展開のための科学的基礎を作り出し、
2.この労働価値学説を根拠づけることによって、彼は、古典的経済学理論およびそれ以降の経済学理論において、自然と自然の生産諸力が概念的・体系的に排除される原因を作り出した。
1.労働による価値の生産 −ロックの労働価値理論
ロックの価値概念:具体的物象的領域(「市民政府論」で展開)において、又、抽象的貨幣的領域(「諸考察」で展開)でも使用する。
○労働による物象的価値形成について:
物質生産に関するロックの観察では、自然と土地は、それ自体ほとんど価値を生み出さず、労働がこれに対し多くの価値を生み出すという見解に達している。ここで言う価値は、人間にとっての物象的・物質的な質として理解している。
○物象的価値学説に含まれる二つの内部矛盾:
一つ、価値形成にあたって、依然として自然の残余的関与部分を残している。物象的価値の生産について、労働が100%関与すると言うことは、現実との間に矛盾を生じてしうため、自然の関与を最小化している。そして、労働過程や生産過程を具体的・知覚的な現象の中で考察するとき、彼は労働の関与を高く評価し、外的自然の関与をかくも小さく評価するということを結論し得ている。
二つ、ロックは生産物の価値のうち、圧倒的部分は労働に負っているというが、彼は例外なく生産物の物象的、具体的な有用性を強調し、彼の価値学説は物象的・物質的価値概念を基礎としている。そうであるのに、自然の素材が持っている明らかな有用性と物象的価値性を労働と対比して過小評価する点について、説明が求められる。
○外的自然を無視することによって、疑問の余地のない労働価値学説に導いたのはなぜか?:
自然価値について判断を下すに当たり、労働と自然を物象的な質として理解しようとする論理に反し、費用という経済的に数量表現が可能な尺度を基礎として行おうとしている。これは、価値に関する考え方を物象的・質的なものから、抽象的・数量的なものへ転換されることを意味する。
費用という抽象的価値尺度は、自然が持っている現実の姿に対する判断力を様々な点で取り去ってしまう。第一に、自然の質を価値としての量に明示することはできないか限られている。第二に、自然の質を「費用という量」に還元することは不可能である。(交換価値の計算においてのみ可)
物象的・物質的な価値学説に関する彼の主張は、「費用」という抽象的な価値思考により合理性を通そうとするとき、労働価値学説全体は崩壊せざるを得ないのである。
したがって、ロックの自然は交換価値に規定された残余としての自然に過ぎない。ロックの物象的労働価値学説において、自然は、抽象化されたブルジョア的な理性によって選び出されることになり、この学説はそのような体をなしている。
2.物象的労働価値学説と私的所有の形成との関連
○ロックの政治学説における彼の意図:
第一に、ブルジョア社会の構造および支配に関する諸条件を説明することであり、物象的労働価値学説は私的所有関係を正当と認める上で大いに役だった。
具体的・有用的労働による初期ブルジョア的所有の形成は、生産的な外的自然の否定という自然についての理解にとっては歴史的な方向転換と見なされうる。
「自然状態にある自然は、…特定の者に何かの利益を与えるに先立って、なんらかの方法でそれを占有する手段が必ずなければならない。」(自然状態→私的所有→労働→利益)
「神は世界を人間共有のものとして与えた。…それがいつまでも共有、未開墾のままであっていいと…想像されない。」(価値のない共有財産→私的所有の正当化)
しかし、土地が共有財産である場合、それは耕作されないという彼の仮定の根拠は論証されていない。
○自然の占有−私有財産の成立:
自分自身の所有権と、彼自身が成した労働の成果についての所有権がブルジョア的財産を正当化する基礎となっている。しかし、無価値な自然と私的労働を対置するという命題の前提条件は、実際の人間と自然の関係に照応するものではない。
社会システムの解明は全て、人間という自然がそれを取り巻く環境である自然と物象的に融合すること、そしてこの融合が労働によって仲介されることから出発しなければならない。この条件を認めるとき、労働におる自然の占有は私的財産を作り出さねばならないという彼のモデルは崩壊する。
ロックが求めているような自然を思うがままに占有する権利には異議が唱えられてしかるべきであり、個々人が社会の唯一の生産力として借定され、外的自然の生産諸力が無視されるという社会的虚構は、社会的価値のほとんどが労働によるという命題を生じさせたのである。
このような極端なブルジョア的措置が取られた理由は、私的所有の形成を有利に正当化する論証力を作り出すことにあった。
3.ロックとその時代の自然理解
人間なる自然と人間の外にある自然の価値評価に関してのロックの立場は、一種の生態学的な信条として理解(あるいは誤解)される。
・共有:共同的所有という前社会的状態は、未だ労働が加えられていないが故に、自然が占有されることはありえない。(私的労働→私的所有=制約を受けない持続的な権利)
自然の全てが私的に占有されたとき、自然の富は最高の水準に高められるという思想→学説。
・自然の無価値性と自然の実際の姿との間の矛盾は、ロックの自然像を規定するだけでなく、ブルジョア的かつ私経済的自然占有の原理となっている。この自然理解は、自然の社会的存在とブルジョア社会の自然に関する意識との間の深い矛盾を示している。
(労働→占有→財産形成、この過程のみで自然評価が成されること。=理性の法)
・理性の法では、占有されない自然は社会性を持たない、あるいは評価されない自然である。
○社会から切り離されている自然
ブルジョア社会では、労働が加えられていない自然は私的所有されていない自然と仮定される。また、共有から私有への移行は当事者間の契約に基づくものではなく、その権利を自分自身の生存に対する肉体的権利から導き出す。
○自然と社会の分裂
自然を社会外的な状態におくブルジョア的な考え方は、社会的労働と非社会的自然として分離し、自然と社会の間に深い亀裂をもたらした。(自然を持続的無尽蔵な資源と見なす)
この分裂は誤った判断を二つもたらす。
1)
自然は、社会なしに、社会の外側に存在しうると想定されること
所有理論において、自然諸力や機能の基盤となる物質連関は前提条件にされず私的に所有される。
→ ロックの私的所有の権利は、自然を深く傷つけることになる。(非社会的把握−従属)
→ 原材料利用としての社会的・経済的利益の増大のみが目的化され、保護する主張は含まれない。
自然とその生産諸力を、人々が自由裁量によって利用することができる一種の資源採取場として取り扱い、その利用にあたっては、自然連関そのものを生命社会として把握する義務はない。とする思想展開の端緒がロックによって作り出された。
2)
社会は物質的自然の外側に存在すると想定される。
「自然を喪失した社会」という考え方 = 労働・生産の見いだされない所に自然は見いだされる
→ 人間生活の存在が、自然が存在しない状況を作り出す、という結論が得られる。
ロックの考え方 → 今日のブルジョア的なイデオロギー
中心的な考え方:社会によって受け取られた物資は、社会によって占有されることを通してそれが持っている自然的性質が剥奪されたかのごとく取り扱われる。
ロックの自然像の非可逆性に関する問題
労働により自然から取り出された原料や物質の移行は、一つの方向でしかない。(物象的な矛盾)
自然の構造が持っている複合性は、まことしやかに単純性へとねじ曲げられた。
ロックの想定する自然の特質は、私的財産としての自然の有用性と利用可能性である。
また、時間の次元が排除され、自然過程を進化過程として認識することができない。
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