英国の景観保全と市民の力

 九州大学芸術工学研究院  朝廣 和夫
(英国 Imperial College Londonに環境保全の調査研究のため平成16年3月から1年間留学)
 Wye National Nature Reserve
 
なだらかな丘陵地の広がりの中に、羊が草を食む牧草地や農地、ちらほ らと雑木林や植林地が点在する景観を、英国ではカントリーサイド(田園景観)といいます。英国ではこのカントリーサイドをいたる所で見ることができます。 その景観の美しさに、心を洗われ、そして、我が国を顧みるにため息をつくばかりです。

 この牧歌的な景観は、人々が火と道具を使い農業を始めた頃から形成されたといわれています。その後のローマ人、ノルマン人等による占領と産業革命は、多 くの森を伐採し、国土の森林面積を11%に追いやりました。新大陸との貿易で権力を得た貴族と紳士階級は財力に物を言わせ土地を囲い込み、田舎の農家や都 市に住む人々を森や農地から締め出したという歴史もあります。残された森は、もはや使われなくなった雑木林、そして、この100年程度の間に拡大植林され た針葉樹林です。

 しかしながら、この国の人々は、支配階級から自然と親しむ権利を奪い返し、自然を保全し、楽しむ方法を考え出しました。利用しつくしてきたこの景観に誇 りを持ち、美しさを再発見し、その保全活動に最大限の努力を払っています。

 自然に対する情熱的な市民の視線は、様々な市民活動を生み出しました。その最も有名な団体がナショナル・トラスト(通称NT)です。NT は、後世に残Grasmereす べき美しい景観(森、湖、海岸線など)や歴史的価値のある庭園、城、館などを全てまるごと買い上げ、そこを有料または無料にて開放しています。NTの所有 地はどこも美しく保全管理され、週末になると家族連れで大賑わいです。あのピーターラビットの作者ビアトリクス・ポターも支援者の一人であり、この湖水地 方で書かれた絵本の印税で多くの土地を買い上げ、死後NTに全て寄贈したことも人々の関心を呼びました。
Deerbolts Wood
 私もこの湖水地方を訪れましたが、自然美の宝庫、心の古里として現存していました。植林された人工林は、少しずつ間伐され、景観との調和が模索されてい ます。森や湖には遊歩道が必要最小限に作られており、環境に配慮しながら、多くの人々が美しさを満喫できるように工夫されています。ここの基本理念は、人 間優先ではなく、自然優先なのです。Grasmere Bench

 英国の遊歩道を歩いていて、必ず目にするのがベンチです。背もたれには、寄贈した人の名前と年代が彫り上げてあります。ベンチに座って見る景観は美し く、故人が愛したであろう景色が目にしみます。景観を大切に守りたいという思いは、このように受け継がれているのだと実感しました。

 このような景観の保全を各地で実現しているのは、保全を重視した法律、リーダーシップを発揮する行政、自然を愛する住民、そして、情熱あるボランティア 活動です。最も人気のある活動は、ウォーキングです。どこの市民団体もご自慢のガイドボランティアが、意気揚々と我が森を案内してくれます。森の歴史や動 植物を訪ねて、あらゆる世代の人々や家族連れが参加します。一度ガイドと歩いた森は身近な森となり、何度も訪れる自分の森となります。このようにして森へ のリピーターがどんどん増えています。また、BTCV(英国自然環境保全ボランティアト ラスト)は、各地でリーダーを育成し、森や生垣、池の管理作業を行 うボランティア活動をしています。最近では、NTと行政(田園地域庁)も職員を雇用し、同様の活動をはじめました。

 Hilverts Wood12月のある寒い曇天の日に、私は雑木林の管理活動に参加しました。地元の方々であろう老若男女と、インド人の家族も含め 15人のグループでした。私が 驚いたのは、リーダーの2人が、30代前半の女性であったことです。一人は、林学を出てこの職業に付いた、もう一人は、庭園で働いていたが、もっと自然の 中で働きたくて転職したと目を輝かせて話してくれました。参加者は、彼女達の指導を受け、それぞれのペースで雑木を伐り、楽しく活動を終えました。明るく なった雑木林の林床には、青色の釣鐘草が一面に咲くようになるそうです。

 田舎に広がる森と農地は、地元の人々の営みの場です。しかしながら一方で、生き物が住み、訪問者の癒しの場、経験の場でもあります。地元民の生活に、市 民と行政の活動が加わることにより、美しい景観を保全する輪が広がります。こちらでは、「保全」の解釈を、「面倒を見る」、「世話をする」というような言 葉で説明されています。子供を育てるように、皆が手間隙をかけたくなるような豊かな森づくり、そのような「ゆとり」が、私達には必要ですね。
平成17年1月記 (ロキシーヒル会員)