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1981 年にわずか5人の患者から始まったエイズは、累計で 840万人の患者と3000万人の感染者を出し、人類を脅かす重大な感染症となりました。1980年代に北米・アフリカ・中南米で、HIV の感染爆発が起りました。1990年代に入って、欧米の感染爆発が鎮静化する一方、エイズの重心が 東南アジア・南アジアにシフトしはじめました。タイでは1980年代末に感染爆発が起り、患者・感染者が急増しましたが、エイズ啓蒙・啓発活動を積極的に 行った結果、感染爆発が鎮静化する兆しが見えはじめました。
1984年8月、外国人男性と性交渉のあるタイ人男性に エイズ症状が出現し、タイで初めてエイズ患者が診断されました。1985年、バンコクの売春男性101人の血液を調べたところ、1名が HIVに感染していましたが、1989年5月まで売春婦の HIV 陽性率は1%以下のままで推移してきました。1985年から1987年にかけ てバンコクの静注薬物乱用者(以下IDUと略す)の血液を調べたところ、感染者は皆無でした。タイを始めアジアでは 1980年代後半まで、欧米・アフリカのような HIV 感染の拡大は観察されていません。
バンコクは、阿片の世界的産地である”黄金の三角地帯” に近く、約3万6000人もの IDU がいます。1987年末に1%であったバンコクの IDU の陽性率が、1988年3月に15%に上昇し、同年末には43%となり、突如 IDU の間で感染爆発が起りました。1988年中頃、IDU の感染率が4%/月の割合で増加し、1989年初めに陽性率が44%に達しま した。1989年11月、タイ軍新兵(21歳になったタイの男子は、クジで選抜され、兵役に就く)の HIV 陽性率は0.5%でしたが、1991年5月に新兵の陽性率が2.9%に急増し ました。
タ イ北部
1989年8月、チェンマイの CSW 238人を調べたところ、36.5%が HIV 陽性という衝撃的な結果がでました。同年8月には CSW の感染率が10%/月となり、タイ北部の CSW の間に感染爆発が起っていることが判明しました。CSW との性交を介してタイ北部の男性の間に HIV が急激に広がり、1990年11月にタイ北部で召集された新兵の HIV 陽性率が7%に達しました。1990−1992年、チェンマイ地区の農村部で 住民を調べたところ、1990年に住民の1.8%が、1992年に4.6%が HIV 陽性でした。14歳以上の男性の2年間の感染率は6.3%で、女性は1.8% です。HIV は、都市部から農村部に広がりつつあります。 タイのエイズは、1987末−1988年、バンコクの IDU の感染爆発で始まり、1989年にタイ北部で売買春による感染爆発が起り、CSW と性的関係をもった男性から一般市民へ拡大するパタ−ンをとりました。1996年までにタイの感染者は約70万人を超え、患者は3万7000人に達しまし た。患者の約70%が異性間性交渉で感染した人、10%が IDU、6%がホモ(バイ)セクシュアルです。このまま推移すると、20世紀末に感染者が 200−400万人に達する可能性があると言われています。
100%コンドーム・プログラム
HIV の感染爆発に驚愕し、危機感を募らせたタイ政府は、1989年11月にコンド−ム・キャンペ−ンを 試験的に開始しました。このキャンペ−ンは、●コンド−ムを使用する売春を容認し(本来は違法)、コンド−ムを使用しない売春行為を警察が取り締まる、● 売買春時のコンド−ム使用を義務づける政府がコンド−ムを確保し、無料で配布する(1992年に4500万個のコンド−ムが配布された)、●マス・メディ アを用いたセ−フセックス・キャンペ−ンを行うことの3つの柱から成っています。この試みは、またたくまに全国に広がり、1991年8月、国家プロジェク トに格上げされました。こうして「100%コンド−ム・プログラム」と称する、史上例のない大規模なコンド−ム・キャンペ−ンが始まりました。
タ イでは1960年以降 売春行為が違法となり、1981−1982年に精力的に売春取り締まりを行ったにもかかわらず、効果は見られませんでした。政府は売春行為を根絶すること を断念し、売春宿やレストラン、バ−、マッサ−ジ・パ−ラ−で働く CSW を把握し、売春行為 を管理する方針をうち出しました。「100%コンド−ム・プログラム」を展開するに当って、このような売春管理体制が効果的に機能し、警察・保健衛生当 局・売春組織の連係が円滑に進んだと言われています。
こ のようなセ−フセックス・キャンペ−ンの結果、1989年に わずか14%であったコンド−ム使用率が、1994年には90%以上に上昇しました。同時に政府管掌の性感染症(以下STDと略す)クリニックを訪れる患者が、1989年の19万9000人から、1994年の2万8000人に 激減しました。タイでは1986年頃から STD 患者が減少する傾向を示していましたが、 1989年以降1993年まで、淋病・軟性下疳などの患者が激減しました。また、1993年6月に平均4.0%に達したタイ軍新兵の HIV 陽性率が、1993年12月に3.4%、1994年12月に2.7%と、初めて下降傾向に転じま した。タイ北部の新兵の HIV 陽性率は1991年に10.4−12.5%、1993年に 11.5−12.3%と高い率を示した後、1995年は6.7−6.8%と著しく減少しました。この間、CSWと 性交をする新兵の数が減少し、買春時のコンド−ム使用率が90%以上に上昇し、「100%コンド−ム・キャンペ−ン」が功を奏していることが窺われまし た。このように、政府主導のセ−フセックス・キャンペ−ンが成功を収めた理由として、●政府が売春を根絶する代りに、管理する政策を選択したこと、●セ− フセックスを履行しない売春組織を摘発し、セ−フセックス以外、顧客の選択肢がない状態にしたこと、●これによってセ−フセックスに協力する CSW と売春組織の収入が低下せず、その協力が得られたことが挙げられています。
タ イの阿片は、300年 以上の歴史をもっています。18世紀、すでに阿片の使用を禁じる法がありましたが、阿片取引を根絶することはできませんでした。1959年、阿片の使用が 禁止されました。同時に阿片吸飲者の登録が義務付けられ、7万985人が登録されました。その半数はバンコクの人です。バンコクは・黄金の三角地帯≠ノ近 く、60−90%の純度のヘロインを安価に入手することができます。このため、1960年代後半から、若い人々の間にヘロイン静注が流行しはじめました。 バンコクには無料で麻薬治療を受けられる17の公立クリニックと、1つの国立病院があり、ここでメタドン療法が行なわれています。これらの病・医院で治療 を受ける人は、麻薬の不法使用で逮捕されることはありません(Am J Public Health 1994; 84: 1094-1099)。バンコクの3万6000人の IDU の うち1万2000人が(Am J Public Health 1994; 84: 1094-1099)、タイ全土の7万5000人の IDU の 40%近く(約3万人)が、感染者であると推定されています。1994年6月末までにタイで報告された患者8580人の8.1%が IDU です(AIDS 1994; 8: 1499-1500)。
輸血とエイズ
タイでは
1987年末から主な血液銀行で、1989年から全国規模で輸血用血液の HIV 抗体スクリ−ニングが行われる
ようになりました(AIDS
1996; 10: 1157-1162)。輸血用
血液の HIV 陽性率は1989年に0.2%
ですが、感染者数の増加とともに陽性率が増加し、1993年に全国平均で1%になりました。1993年までに輸血で感染したエイズ患者は23人で、HIV 抗体陰性(ウィンドウ・ピリオ
ド)の血液で感染した人は、少なくとも30人に上ると見られています(AIDS 1996; 10: 1157-1162)。タイの献血血液の HIV 陽性率1%はアメリカの0.
001−0.16%より高く、アフリカの1.2−7.0%より低い値です。タイのウィンドウ・ピリオドの血液は、1991−1993年に1/5000 units と推定されています。1993
年にタイ国立血液センタ−が96万8000 units の血液を供給したため、194 units がウィンドウ・ピリオドの血液
であったことになります(AIDS
1996; 10: 1157-1162)。タイ北部の感染者の急増は、この地域の輸血用血液に深刻な影響を及ぼしていま
す。チェンマイでは、輸血用血液の HIV
陽性率が1988年の0.85%から、1992年の5%に急増しました。ウィンドウ・ピリオドの血液は、0.03−0.8%に達すると推定されています
(AIDS
1993; 7: 1681-1682)。
ホモセクシュアルとエイズ
先に述べ たように、タイのエイズ患者の1例目はホモセクシュアル(男性 CSW)です。1989年6月− 1994年6月、チェンマイの男性 CSW(顧客は男性)1172人を調 べたところ、HIV 陽性率は1989年6月の1. 4%から、1990年6月の13.9%、1993年12月の20.1%に急上昇しました。男性 CSW のうち、57.6%が自分はヘ テロセクシュアル(女性との性交を好む人)、24.7%がゲイクイ−ン(受動的肛門性交を好む人)、17.3%がゲイキング(能動的肛門性交を好む人)で あると答えています。ゲイクイ−ンとゲイキングの間に HIV 陽性率の差はなく、コンド−ム 使用はいずれも低率です(AIDS 1995; 9: 517-521)。タイ北部では 異性間性交だ けでなく、無防備なホモセクシュアル性行為によって HIV が広がりつつあります。
HIV-1のサブタイプ
1988年
にバンコクの IDU の間に爆発的に広がった HIV-1 と、1989年にチェンマイの CSW の間に感染爆発を起した HIV-1
は、env(エ
ンビロ−プ)の構造が異なることが明らかになりました。すなわち、バンコクの IDU に広がった HIV-1
は、1980年代に欧米のホモセクシュアルや IDU
に広がったB型で、チェンマイの CSW のそれはE型です(AIDS 1997; 11: 113-116)。これは、1988年の IDU
の感染爆発と1989年の CSW
の感染爆発が、相互に独立して起ったことを示唆しています。1993年までにタイの感染者は50−75万人に達し、その90%がE型に感染したと推定され
ています(AIDS 1997; 11:
113-116)。E型はランゲルハンス細胞(膣・子宮頸部・陰茎前部の上皮に存在する細胞)に感染するため、異性
間性交で広がりやすく、B型は経膣感染より血液や受動的肛門性交で広がりやすいと考えられています(AIDS 1997; 11:
113-116)。これに
対し、E型やB型などのサブタイプに感染力の差はほとんどなく、いずれかのサブタイプの HIV-1
がたまたま、ある感染ル−トに侵入して広がっただけとの反論があります(AIDS
1997; 11: 113-116)。
おわりに
タ イでは1980年代末 −1990年代前半に、IDU の間に感染爆発が起り、売買春を介して HIV 感染が拡大しました。患者・感染者の爆発的な増加に驚愕したタイ政府は、強力なセ−フセックス・ キャンペ−ンを展開しました。このような努力により、HIV 感染の拡大に歯止めをかけることに 成功しつつあるように見えます。タイの経験は、啓蒙・啓発活動でエイズの拡大を食い止めることができることを示した点で、重要な意味をもっています。この 歯止めが一時的なものか、恒久的なものかは、今後の努力にかかっています。