米式住宅研究会


The Research Organization of American Style Housings in Asian Countries
since1999

研究主査:田上健一
研究会メンバー:本庄正之、金城優、大嶺亮、上江田常実、和宇慶朝太郎、鈴木雅明、本村政敏、新城敦子、當山綾、小浜祐子、冨元理恵、田中俊朗、屋比久祐盛、黄蘭翔(台湾中央研究院)、David YAP(UP)その他ゲスト


■アジア地域の居住環境の近代化を検証する
■持続的な住宅のありよう・ありかたを考察する
■専門知と生活知の有機的調和を図る


 アジア地域では、米軍により建設された米式住宅が多数存在する。
その多くの米式住宅により、居住空間そのものが植民化されてきた。特に沖縄では、島嶼・海洋性気候、台風常襲といった環境的条件に加え、米軍基地の土地接収等による一般宅地面積の狭少化等々、他都道府県とは異なる社会的条件により、住宅の形式は日本復帰後急激な変容を遂げてきた。
 現在では独立住宅の96%以上が鉄筋コンクリート(RC)造で建設されるという独自の建設事情が存在しているが、この独立住宅のRC化には、戦後米軍統治時代の米軍主導による基地内外の諸施設の設計・施工を規範とした建設技術の継承が大きな要因となっている。
 その米軍主導の建設技術の住宅への展開は、1950年代後半から1960年代にかけての、一般に「外人住宅」と呼ばれる米式住宅、すなわち米軍基地外の米軍軍人軍属用(主にアメリカ人)の民間賃貸独立住宅に代表される。この米式住宅は簡略すると、以下のようなプロセスを経て普及した。

 ・1950年代の朝鮮戦争/1960年代のベトナム戦争などによる沖縄の米軍基地建設の強力な推進↓
 ・米軍人員の大量増員(1972年には米軍基地関係者人口は約4万人とされている)↓     
 ・基地内居住施設の著しい不足↓
 ・米軍基地関係者の基地外への居住許可と、地元企業への基地内住宅を規範とした住宅建設の要請↓
 ・米軍より確実な家賃収入があることから、地元企業による投機的な対象としての短期間での急激な普及。

 米式住宅は1958年に最初に建設され、その後は広範囲において急速に建設が進んだ。総戸数は「米国軍人軍属向け貸住宅協会」によると、1970年時点で約12,000戸であったとされている。米式住宅の普及に際しては、「米国軍人軍属向け貸住宅協会」といった組織の設立や、米軍による家賃評価を基準項目毎に点数化して算出する「米全軍共帳制度」など、様々な社会的、制度的、産業的な背景が存在した。

photo tanoue
 しかし、本土復帰以降は、基地の縮小、タワーと呼ばれる高層集合住宅などの基地内住居施設の拡充、円高などの経済的な諸問題から、基地外の米式住宅の需要は激減し、次第に地域住民に賃貸、または中古住宅として分譲されてきた。
 その結果として、現在では住宅としての使用みならず、飲食店、物販店舗、オフィス、アトリエなど多種多様に再生され使用されている。このような地域への移行の過程では、日本や沖縄の伝統的な住宅とは全く異なる米式住宅において、居住者が主体となり、より地域の諸条件に適応するような「住みこなし」の工夫など、自主的な増改築を中心とする住宅の再生が見られる。しかし、その再生の過程と実態などに関する実証的な評価は全くなされていないのが現状である。
 本研究会は、このような米式住宅を対象として、この米式住宅における再生の実態と居住者による評価に関する分析をもとに、居住者自身による再生・土着化の実態と、その空間の特性、そして社会的ストックとしての住宅の活用について考察することを目的としている。また、こうした居住者の自主的行為による居住環境形成の過程を考察することは、居住者が主体となった住宅計画の一手法を探る上でも示唆を含んでいると考えられる。