安積遊歩氏講演レジュメ

*安積遊歩氏から「レジュメは特に用意いたしませんが、必要であれば私のHPから抜粋したものをお使いください」というお申し出があり、知足の方で編集させていただいたもの。内容に関しては安積氏に確認済み。(2007年6月)

ピア・カウンセリング

 ピア(仲間)・カウンセリングは障害を持つ人たちが自立を目指していくときに、その動機を力強く応援する道具である。障害を持つ人たちに対する差別・抑圧はあまりに深刻でひどいために、「自分がこの世界に存在していいのか」という自己否定感からなかなか逃れることができない。その深い自己否定感を覆し、あたりまえに地域で生きる生活を取り戻そうとするために、仲間同士で聞きあってサポートしあうのである。ピア・カウンセリングは障害を持つ当事者たちの組織、全国自立センター協議会が中心となって進めている。

*安積氏はピア・カウンセリングにコウ・カウンセリング(再評価カウンセリング)の理論と手法を取り入れている。互いが時間を平等に分け(カウンセラーの優位性をなくす)、聴きあい(言葉の奥にある感情を)、聴いてもらうことの中で自分の人生を再評価していく。*印説明編者
自立センター
 アメリカの障害を持つ人たちは自分たちの助け合いのシステムをピア・カウンセリングと名付け社会的認知はもちろん、職業として信任も得ていたのである。私はこれを日本に導入しない手はないと考えた。(安積氏は1983年にアメリカのバークレー自立生活センターで研修を受けている)

 自立生活センターは障害を持つ人たちの生活が障害のない人の生活とまったく対等・平等であるためのサービスを提供する機関である。そこのサービスの核として、ピア・カウンセリングを提供することになった。日本で最初のピア・カウンセラーたちの活動・活躍が始まったのである。自立生活センターは今、日本に百箇所前後ある。そこは、障害を持つ人が隔離された状況から抜け出し、自分の生きたい人生を生きていくための応援をする機関で障害を持つ人がそこで集まって暮らしている場ではない。自立生活センターの意思決定機関である運営委員会の過半数は障害を持つ人である。つまり障害を持つ人が地域で生きていくために何が必要かの自己決定をきちんと反映し、当事者主体の運営ができるようになっている。

 障害を持つ人たちは自己否定感を持つことが多い。しかし心の奥では、本当はどうしたいかを感じ続け保ち続けている。それを聞いてくれる人が必要なだけである。ピア・カウンセラーとはその心の奥で感じていることを言語化し、涙や笑いとともに外に出すことを助ける人である。「その感じていることは正しいことなんだよ」と励ましながら聞く事で、障害を持つ人の自己否定感がほんの少しずつ解かれていく。どの自立生活センターでもピア・カウンセリングは大事なプログラムとして提供されている。障害を持つ人の自立というのは、親元や施設の中で選択権と決定権を奪われたところでは実現しないことである。だからまず、自分の人生は自分のもので、いわれなき差別を受ける必要はまったくないのだと立ち上がることが非常に重要なことなのだ。

 

障害を持つ人の自立

 国連の統計によれば、人口の10%は障害を持っている。日本の統計は障害を持つ人とは障害者手帳を交付されている人と言う認識があるので、人口の3%から5%の割合だが、それでも100人に3人から5人は障害を持っているのだ。「自分だけは障害を持つ子の親にはなりたくない」と思う気持ちは差別的というだけではなく、非常に非合理的でもある。私は娘の親として、そして同じ障害を持つピアとして、中途障害を持つ人はもちろん、すべての障害を持たない人にもその現実を認識して欲しいと考えている。そしてどんな命も祝福されて生まれることのできる社会を、ピア・カウンセリングを使って、さらに広く豊かに準備したい。

 障害を持つ人の自立とは、動かない体を医療やリハビリで動かせるようになってからはじまることではまったくない。今あること体のままでどれだけの自由を勝ち取るかが自立生活の中身となる。それには介助者との関係づくりが大きな鍵となる。介助者との関係がうまくつくれれば、ありとあらゆることが可能となる。

出産と育児

 私は40歳で娘を産んだ。長い間私は不妊症だと思い込んでいたので、はじめはただただ驚いた。しかしだんだんこれは奇跡だと感じていった。そう感じていくと、娘に障害が遺伝しているだろうこともますます積極的に考えられるようになった。そして、この子は私のように障害を持って生まれてくることで、この社会に様々な問題提起を行い、多様な人が生きることの素晴らしさを伝えてくれるに違いないと思っていった。

 私の一番の仕事は、なんといっても子育て、いや、子に育てられる日々だと思っている。障害を持つ私が障害を持つ子を育てるという、それだけで十分価値あるというそのことに、友人も介助者もパートナーの彼も全面的に様々に手を貸してくれている。また経済的にも年金や手当て等、存在を十全に認めて、所得保障もそれなりになされている。

 また去年(2003年)から介助料が支援費と変わり、介助者への所得保障もそれなりになされるようになった。(*現在は障害者自立支援法によって利用量に応じて自己負担が重くなる「応益負担」が導入されている)障害があるから介助がなければ生活が成り立たない。その介助を必要とする障害を、迷惑や負担と考えるか、あるいは周りの人に仕事を提供できる最高のプレゼントと考えるか、考え方次第で福祉社会もずいぶん実現が容易になるはずだ、と最近は特に思っている。

 つまり障害の重い人たちが地域の中に出てくれば出てくるほど、介助者が必要になる。その介助者がボランティアだけでは、障害を持った人が安心して暮らすことは出来ない。だからボランティアではなく、きちんとした賃金を介助者に提供できるよう、支援費制度がはじまった。支援費は障害を持つ人本人に入るのではなく、障害を持つ人を介助する人々の生活を支えるものだ。介助者を必要とする人が出てくれば出てくるほど、介助者(ホームヘルパー)が増えなければならず、つまり雇用は促進され、経済は活性化する。

障害と経済
 障害を持つ人の問題は、すべての人の問題だ。いつでも誰でも障害を持てるわけだし、すべての人は赤ちゃんのとき、おしめを付けて寝たきりの最重度障害者だった。つまり生き延びるために母親をはじめとする多くの介助者を得なければならなかった。この母親をはじめとする多くの介助者には、介助料という賃金が全く支払われていない。そのことも私たち障害を持つ人たちが地域で介助を得ようとするときにただならぬ困難を強いるもととなってきた。つまり「家族にやらせておけばただなのに、介助者にお金を払うことは浪費である」というような感覚や考え方である。

 経済的不況が社会問題化しはじめると、歴史は戦争を引き起こして経済の活性化を図ろうとしてきた。武器をつくり、消費し、最後には人の命まで「産めよ殖やせよ」ということでコントロールし、おびただしい命の浪費をもって、ようやく経済の回復を図ってきた。しかし同時にそうした方法が正しくないことも、多くの人たちによって気づかれてきた。戦後約60年、特に私たち障害を持つ人たちは、ただただ殺される側にい続けてきたわけだが、この2〜30年ほどようやく人権意識の高揚の中で、地域に人として平等に生きることを通して平和な世界の実現に貢献し、参加してきた。

 私は障害を持つ娘を、平和の指標として存在して欲しいという強烈な願いを持って、この世界に産み落とした。思ったとおり彼女は7歳(2004年HP更新時)で多くの人たちの手を借り、その多くの人たちの中でも特に数人の人たちには、彼女の存在を通して介助料という形で賃金まで提供し、幸せに生活している。

 不況の時代を乗り切る経済の活性化は、障害者や子どもやお年寄りの支援者に、働きに見合う十分な所得を提供することで必ずもたらされるに違いない。それと同時に真の豊かさの構築には、その仕事が尊敬と名誉に満ちた仕事であることを社会が十全に認識することが必要である。

命に寄り添う

仕事

 人類の歴史は核開発を通して、これ以上の惨劇はありえぬほどの惨劇を見ることが出来るところまで来てしまった。一人一人がそのことを自覚し、命を破壊するのはなく、命に寄り添いその傍にあり続ける仕事を選んで欲しいと思う。その仕事を通して世界は必ず幸せに平和になっていくだろう。この時代こそ、介助やサポートやケアをするという仕事をあらためて見直し経済の建て直しをそこから図りたいものだ。たとえばの話で定かではないが、東京都内のある区がホームレスの人たちに建設業ではなく、こうした分野の仕事を提供することを通して雇用率の上昇を図ろうとしているという。全く賛成だ。退職後の人たちも専業主婦も、そして若い学生達も、この介助という仕事でずいぶんの人たちが助かってきたと思う。それらを今多くの人たちに解放することによって、平和がもたらされることを繰り返し強調したい。

 最近はこれらのことをよく考えているし、様々な場でよく話している。自分の仕事を意味がない、価値がないと感じながらも、ただただ時間に終われてやり続けるよりは、一度人と関わる仕事をすべての人が(男性たちには特に)体験して欲しいものだ。そのことを通して世界は愛と平和のバランスを取り戻すだろう。

出生前診断
 何度も何度も繰り返して言うが、障害があることが不幸なのではない。障害があることで徹底的に生き難さを強い、差別を押し付け、隔離・排除してしまう社会を作り出していることが不幸なのだ。

 もし私に障害がなければ、妊娠初期から超音波診断で繰り返し胎児の曲がった足の骨を見せられることで、圧倒的に不安を募らせたに違いない。そしてやはり生まれてきてもかわいそうな人生しか送れないだろうと、まるでその胎児の幸せのすべてを支配しているかのような錯覚を確信しただろう。その結果、すさまじいいのちへの攻撃と自覚することなく、容易に胎児をおろしてしまっていたかも知れない。

 差別は要するに、障害を持つそれぞれの人生を、あまりに知らないというところから起こるのだ。私は自分に障害があるので、出生前診断をされても不安どころか、自分が生きてきたノウハウを伝えられると思って、障害を持つ子が生まれてくることが、どこか楽しみですらあった。無知を超えることで、差別は必ず乗り越えられるのだ。

障害と環境破壊
 (生殖補助医療や遺伝子工学について)科学的なことは素人の私には良くわからないし、わかってはいてもうまく表現できないことも多い。しかしそ れでも発言しなければと、自分を励まし続けてきたし、続けている。何といっても、遺伝子を問題にされることで殺される側に、私たちは確かにいるのだから。障害を持つ当事者とその家族にとって、遺伝子をいじってこの社会に障害を持つ人を生み出さないようにしようという方向性は、私たちに対する殲滅計画と思える。

 地球環境がどんどん破壊され、ダイオキシンや環境ホルモンなど、人間の体に蓄積され健康を害するものが、どんどん増えつつある。そうした恐怖をすべてこれから生まれてくる 胎児を選別することで、見ないようにしてしまおうという企てが、この社会には確かに動いている。  

 特に科学や医学の専門家と呼ばれる人たちが、その専門性にのみ心を奪われ、その道を追求することに人生の大半を費やす現実がある。つまり障害を持つ人の人生は、 彼らにとってはまるで遠いところにあるが故に、常に『不幸』の二文字によってのみ認識 されている。そのあまりに偏った認識=偏見をもとに進んでいる医学や科学が、私たちに住みやすい社会を提供するはずはない。そうだとするなら、当事者として、素人であっても、何もわかっていないと指弾されようとも、おかしいことはおかしいと言い続けなけれ ばならない。それが出生前診断等において抹殺されていく障害胎児・あるいは障害のない胎児たちに対する愛情と、いま生まれ出たるものの責任であると確信している。

安積遊歩氏HPより抜粋  編集:知足美加子

http://www.geocities.jp/yuhoumihide/yuho/(2007年6月1日取得)

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