制作コンセプト (知足院美加子)>Buck
 

彫刻制作とは自分の身体的な感覚や限界を感じながら、土、木、石や鉄などの素材がもつ自然の仕組みや道理などに気づき学んでいくものです。
 私の作品は等身大のものが多く、一人で作業しています。いつもかなりの時間はかかりますが、逆に時間さえかけれられるならば、女性だからできないというような労働は存在しないと思います。

 作品は個人的な出会いや経験、内なる自然、無言の思いから集積していく過程のすべてです。生活から生まれ、生活に帰るものです。逸脱したものではなく、自分の感覚でそのとき必然的だったものを形にしてきました。作品は結果ではなく、他と共に気づいていく道のりです。
 どのアーティストでもそうだと思うのですが、本当の自分にうそがつけないまま歩いていたら、そこに立ち止まざるをえなかったのであって、道の最初から目標達成というゴールを目指してはいないはずです。

 私の中で素通りできないものをあえてあげれば、それは自分の先祖の事と中南米での経験でした。

 私の祖先は、英彦山という山で修験道に携わる山伏でした。身体を山におき、自然の関わりを神として体得する修行を行っていたそうです。明治の廃仏毀釈で修験道は禁止され、苗字や文化はそこで断絶されてしまいました。
 受け継がれなかった伝統と自分との接点は、何も語らない山の存在だけです。湧き水、土、岩、樹、息づく微生物たちがつくり出す山の濃密な多様世界。作品作りの契機は、その沈黙に向き合うことでした。
 
 中南米で2年間、美術教師をしました。数々の素晴らしい体験もしましたが、貴重だったと思うのは自分も人種差別されるという体験でした。多様な文化が混在し、先住民が差別される状況を肌身で感じました。
 伝統的文化をヨーロッパに破壊され、その後生まれた文化を独立や革命によって塗り替えようとした現代ラテンアメリカは、2重によりそうべき中心を失っています。また構造的に先進国に環境を破壊されざるをえない中米の貧困を知りました。彼らの強さと空虚さは何なのか、自分の中で未整理のままでした。
 帰国してから、部落問題や在日外国人の問題に直面している子供たちに関わりました。中米の民族差別問題は、遠い世界のことではなかったのです。私が作品制作だけでなく民族問題などのアートプロジェクトに関わるようになったのは、以上のような必然性からでした。
 
 プロジェクトに関しては、一連の活動がイメージに終始しないよう、そしてカテゴライズされないよう注意しました。最終的な結論に到達するためでなく、出会いや気づきの中で柔軟に対応していっただけなのです。関わる人々のそれぞれに応じた答えがあり、そこから始めていく。それは私がものづくりとして身につけた考え方なのです。
 人間は異なると感じるもの、一体感を感じられないものを恐れます。逆に手の届かないくらい敬います。どちらも、自分を侵害しないところに追いやるためです。 自己存在の不安は、自分より劣っているものを作り出そうとします。相手と自分との違い、相手の素晴らしさ、相手の痛みが自分を損なうという恐れが、多くの不幸を生み出します。
 アイヌ民族、女性、障害者・・そうひとくくりにするのは、語るものが相手を把握した気になって安心するからなのでしょう。
 実際の目の前の相手は、日々変化する複雑なとてつもない存在です。とてつもない存在たちが生きているすさまじい世界なのです。
 世界の複雑さや痛みを自分のものにするということは、世界を愛することだと思います。その手段がアートにも残されていると、私は信じています。

 私はどこかで帰属するものを失った浮遊感や、世界との違和感を感じながら、作品作りを通じてそれを熟成しようとしてきました。立ち止まり、拾い集めた断片を何度も修正しながら紡いで行くこと。完了してしまったものを、僅かでも揺らし続けること。その亀裂の中に私の居場所やRootsがあるのかもしれません。
 
(この度は、お招きいただき心より感謝申し上げます。
人間の生活と芸術が強く結びついているバリに訪れることは、この上ない喜びです。
私の木彫作品は、九州の樟という大木を使っています。あたたかいマチエールと人を癒す香りをもっています。作品の魂と素材感を伝えるために、説明的なものを削ぎ落としています。
作品の存在感を、心で感じていただければ幸いです。)

 

>Buck