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古賀 徹

 1999年の夏に私は二風谷プロジェクトに参加した。そこで私は「回想」と名づけられた一つの彫刻の設置にメンバーの一人としてかかわった。
 ひとが記憶を織り込むのは、いつも具体的な物事の中においてである。私はすでに生きるということによって、私の身の回りの出来事にその痕跡を残し続ける。その痕跡は、その場を共有する他者たちが同様に生み出す痕跡によって無限に作り替えられてゆく。そのような変容のプロセスを刻み込むもの、私の生と他者たちの生―それは敵対し抗争し続けてきたものかもしれない―の結節作用の痕跡として、一つの環境が存立する。その歴史の集積の土台となるもの、おそらくそれが変容のプロセスの基体としての自然であろう。自然が土台であるというのは、その変容のプロセスの後から、それを支え続けてきたものとして、自然はいつもそれを求める人が作り出す一つのイメージであるという意味においてである。私と他者たちが生きることによってどれほど環境が作り変えられてゆくとしても、それでもなお、それが作り変えられてきたというためには、変容に耐えてきた不変なものがいつもそこに想定されている。ひとはいつも、刻み込みに耐えてきた自然に直面して、自らが生きてきた生の在処をいく
どもいくども確かめなおし、そこに意味を見いだしつづける努力を通じて、これから歩むべき自らの生の道行きを切り開いてゆくことができる。おそらくこれこそが、「回想」ということで名指されていることであろう。
 しかしときとして、そのような道行きそのものが断ち切られてしまうことがある。それは、生の痕跡が刻み込まれてきた自然そのものが、何らかのしかたでまるごと消去されてしまうときである。私は私の傍らにいる他者のうちに私の生の痕跡を見いだす。私が愛し、憎み、抗争し、慈しみ、協働し、苦しみ抜いて共に生きてきたそのひとのうちに、私自身の生の痕跡を見いだす。そしてまた、その人とともに過ごしてきた場所、道具、建物、道、そうしたものにそのひととの複雑な関係をふたたび思い返す。にもかかわらず、そのような痕跡としての自然が、一瞬のうちに奪い去られてしまう。原子爆弾が炸裂するとき、巨大な地震が起こるとき、追放の宣告を受けるとき、そしてダムの水面がはじめてせりあがってくるとき、生の痕跡が集積された具体的な自然、私と他者たちとを結びつけてきた環境、私をまさにその私として生きさせてくれた他者たち、そうしたものすべてをそのとき失うことになる。破壊とはそのような抽象性を意味する。
 破壊が行われたその場所はおそらくとても静かであろう。そこはすべての痕跡がぬぐい去られているがゆえに、何も語りかけてこないであろう。それでもなおそこには、そうした破壊を被った土台、すなわち破壊された自然が残されている。そのとき自然は、こわれたものとして、なにもないものとして、私のいまを襲う。私はもう二度とそこに他者たちの痕跡を見いだすことができない。だから自然はもう、私自身も、また私自身の可能性も、もはや示してはくれない。
 二風谷においては、おそらくそのような事態が生起した。そこに生きていなかった者たちが、その切実な事態にかかわることはできない。そこに生きていなかった以上二風谷の記憶について語ることはできない。しかし私は、そしてプロジェクトに参加した人たちは、プロジェクトが開始されるまでに、ほんとうにそこに生きていなかったのであろうか。二風谷に生きていた人たちと、それまでいちども何も共有することがなかったのであろうか。そんなことはありえない。なぜなら私たちは、そのような破壊を引き起こす制度の内側にいつも生きているからである。だから私たちは、記憶を消去するそのしくみ自身を生きるかぎりにおいて、消去された空間の裏側にぴったりとはりついて、じっと二風谷を生きていたのだ。このことを構造的暴力、もしくは加害責任という固い言葉で呼ぶこともできるだろう。しかし重要なことは、二風谷を生きる人たちと、そこに生きなかった人たちとをつなぐものは、このしくみを、おそらくは逆の方から、ともに生きたという事実でしかありえないということである。そしてその意味でのみ、二風谷の人たちとそれ以外の人たちとは同じ自然を共有しているといえる。きわめて抽象的で無内容な自然、破壊という規定しか持たない関係、これが出発点である。
 「回想」の行為は、そのような互いの位置を確認すること、その位置に立つことによって失ったものをそれぞれの立場で思考することにほかならない。それは、制度に規定された関係を乗り越えることを目指してともに時間を過ごすこと、一緒に食事をし、とうもろこしを収穫し、川の水の冷たさを感じ、感じ方の違いを実感する、その手探りの時間こそが、破壊された場所に新しい痕跡を刻む。破壊の制度のみを共有してきた関係は虚無の空間を作りだした。だがそれ以外のものを共有しようとする関係
は、その関係の具体性に見合った痕跡をその場所に刻みつける。そのとき、その痕跡を支える自然についてのイメージがふたたび作り出されるだろう。二風谷でのささやかな数日間をいま私はそのように考えている。「回想」とは、破壊に抵抗するあらたな自然の可能性を擁護することにほかならない。