帰国後の協力隊委員の内面に構築されるもの    BACK

*福岡県協力隊を育てる会20周年記念式典において、主に社会人の方々に聞いていただいたもの。  1998.10.16 芸工大助手 知足院(ともたり)美加子

帰国後の協力隊委員の内面に構築されるもの
                   10.10.16 知足院美加子

■平成2年度一次隊で、中米のコスタリカ国に美術教師として派遣された知足院と申します。現在は九州芸術工科大学に勤務し、彫刻の制作研究と並行して、ポストコロニアル状況下の芸術について研究を進めています。
 
■今日、猿岩石をはじめとして世界各地の民族の生活体系に飛び込んでいくといったテレビ番組が増えています。不況とはいえ、日本がアメリカ・ヨーロッパ諸国以外の世界の多様さ、広さに気づく余裕ができた証拠だといえるでしょう。
▼長野さんのほうから活動の具体的な報告がありましたので、私は今日はあえて「帰国後の隊員の内面的な変化と、構築される新たな認識」についてお話しします。物事は起こった後に、その本当の姿が少しずつ現れるものだからです。
▼現代はインターネットによって情報が瞬時に移動し、民族離散(ディアスポラ)、難民、外国人労働者など人間そのものも含めて「移動する世界像」を持ちます。(像は現実と同一ではありませんが) そして社会システムの崩壊、神戸大震災、リストラなど昨日まで信じていたものが突然崩壊し別の価値観の中に放り込まれるといったことが、以前にも増して頻繁におこる時代なのです。協力隊委員が培った新しい認識の芽はこのことに重要な意味を持つと思います。

■まずはじめに、第3世界と呼ばれているものへの先入観を除いていただくために、ざっとお話ししたいと思います。
▼文化についてはその時代その場所に必要な完成された形があり、進度の違いや優劣はないのです。ちなみに私の勤めた美術学校は貧しい人々に美術を学ぶ機会を与えるために授業料は無料で年齢制限なし、夜間部もありました。資格や学歴のためでなく、ただ学びたくてやってくる人々でした。人目を恐れず善意や感情を気前よく表現する彼らに、のびのびとした豊かさや力強さを感じたものです。彼らは自分奥底の感受性を表現しても、さほど評価され嘲笑される心配がないコミュニティを構築しているのです。こうあらねばと思いこんで自分の本当の感性や自由を無駄遣いし、ストレスをためている私たちは、豊かでないともいえます。

▼彫刻を教えるといっても、最初は彫刻そのものに親しみがない風土で、しかも東洋人且つ女性である私が先生というのは、向こうもすんなり受け入れてくれません。
そこで街の名と噂を頼りに、コーヒーの木の根をほって民芸品を作るロドリゴさんという人物を訪ねました。そこでアトリエを少しかりて参考作品を作らせてもらおうと思ったのです。「お金を払いますので、スペースを貸して下さい」というと「君たちは私たちの国のために働いてくれているんだ。お金なんて受け取れない」といい、材料や道具まで貸してくれるのです。帰国後、日本で私が制作した作品第一号はロドリゴの胸像でした。

■帰国後、大学院(筑波) に進学しました。任国で実感した生死のナマの感覚や喜び・孤独・矛盾・気づきの数々を作品として表現し、また論文として残すことで、自分の中で決着がつくような気がしたのです。受け取ったものを言葉なり作品なりで、自分の中で咀嚼しドラマ化し構成できて初めて、この複雑な世界に順応できるのです。他人がドラマ化した歴史は、自分のリアリティとは食い違っているはずです。「表現する」ということは、その人が本当に生きる最初の一歩なのです。

■個人的な話はさておいて帰国後の隊員に芽生える認識と、協力隊そのもののあり方について今考えていることをお話しします。
▼2年の任期を終え帰国した隊員は特別な状態にあります。逆カルチャーショックといわれるものです。日本食、湯船、治安のよさ日本での生活を喜ぶ心と、任国への強い執着の両極の間で揺れるのです。何故でしょうか。

■彼らは何年も違う言語を使いその思考回路に慣れ、土地の食べ物を食べ続け反応の仕方までその国に染まらなければ楽に生きられなかったのです。それまで日本で築いたものを、多大なエネルギーを犠牲にして“殺した”訳です。任地のような過酷な環境の中では、危害を避け、死なないことが最優先されるからです。
▼その状態でいきなり日本に帰ってきても、やっと任地で手に入れた新しい価値観を失うことを恐れるのはあたりまえです。
やすやすと失うなら、あの苦労は意味がなかったといわれているようなものです。一度壊して再構築した新しい自分というものは、そそいだ労力の分、手放したくなくなるものです。
▼そのうち彼らは気づくのです。「記憶」というのは、厳密にいうと共有し得ないものだと。そこで感じるのは、家族や友人には到底理解してもらえない、自分だけの記憶をかかえているという孤独です。任国にいた自分のままでは、日本でうまく生きられません。彼らは、任地と帰国後の二重の自己否定の中で「本当のところ俺は何者なのだ」という思いにとまどいます、
▼しかし人間は強いものです。そのうち少しずつ任国と日本を、客観的に把握できるような、クールなバランス感覚が芽生えてきます。
水がいっぱいに入ったガラスには、注いだ分の水がこぼれてしまうように、きっちり詰め込まれた頭には、新しい水は注げません。しかし帰国後の隊員は一回空っぽになっており、都合良く二つの蛇口から注ぐ水を受け入れることができるのです。もちろんゆっくり時間をかけないと、本物にはなりませんが。
生身の人間に関すること、つまり美味しいものや美しいもの喜ぶ心、踊る楽しみ、悔しさ悲しさなどの感情は、豊かに共有できる大切な部分です。そしてやっぱり違うなと思うことは、往々にして後天的に身に付いた習慣など社会のシステムに関することです。

■長々と、以上のことを説明したのは、次のことがいいたかったからなのです。つまり自分が親しんだものとは違う価値観を認め、“他者”の立場を理解するということは、想像以上の強い「痛み」が伴う作業だということです。「他人の立場を理解しましょう」なんてたやすく上っ面の言葉だけで身に付く代物ではありません。
▼他の国の政治システムや価値観を理解する事だけではありません。違う世代の人間、同じ職場の男性・女性の立場、すぐ隣にいる親しい人の立場さえ理解するには痛みが伴います。問題なのはその重みを避け、受け取とろうとする勇気がない人間が増えたことです。その極端な例がオーム真理教などのようなカルト宗教でしょう。既成の考え方に盲目的に従うのは、考えずに済むため楽なのです。物事は“案配”というものを状況をよく把握しながら決めるとき、最も頭が必要となります。

■極端な状況の変化を経験すると、それは自分の頭を本当に動かす契機となることがあります。(もちろん、両極の反対側に飛躍する人もありますが)
大切なことは「状況をよく見て最善を模索し、自分で価値観を統合する力、それを勇気を持って破壊し再構築しながらその頂点を柔軟にくみかえていく力」です。世界はその様に関係性が再構築され続ける存在なのです。これは私の制作の中で、自然物が教えてくれることです。
▼大地だって負荷がたまれば大地が割れてマグマが流れるのです。もし一つの考え方を正当化し、押し通そうとする幼児的な自己中心性がまかりとおるなら、植民地政策や、ヒトラーや、例えば中米に対して行われたアメリカの強引な対外政策も許されることになります。
▼もし人間が、自分の価値観を再構成する柔軟性を失ったとしたら、精神は無力化し、犯罪は悪質になり、その社会は内部から崩壊するようなものになってしまうでしょう。

■さらに、協力隊を含んだ開発や援助の世界を考えてみようと思います。
私は中米で幾つもの山にまたがる外資系のバナナ畑をみました。実が延々とベルトコンベアーで運ばれていくのです。自然なら実が落ちて皮が土の養分になるのですが、実が外国に流れてしまう大地はやせる一方。安い化学肥料によって一度は蘇っても、今度は本当に土地が死んでしまうのです。その外資系の会社は労働賃金としてお金を落としていくように見えて、土地を食いつぶしているのです。
▼コンクリートも鉄もプラスチックもアルミニウムも、もとをたどれば、どこかの国の「土」の一部だったのです。袋詰めされている食べ物も材料も、人間が自動的につくりだしているような感覚を持っている自分が怖くなりました。頭で分かっていることと、実感が結びついていなかったのです。

■土といえば、コスタリカのゴミ処理場を見学にいったのですが、そこはどのようなゴミでも土に埋めていくのです。その土の様子と匂いは悲惨なものでした。「なぜ分別したり燃やしたりしないんだ?」ときくと「金がかかる。施設がない。アメリカが建ててくれれば別だけどね」という答えでした。
▼いろんな事を考え、美術学校と並行して週一で小学校の美術の授業をもちました。廃物利用のおもちゃ作りの授業です。授業の導入に、ゴミ処理場のことを話しました。彼らの中に、あの話が残っているかはわかりませんが、ものを作るリスクとはなにか、そして税金というものが何に使われなくてはならないかを考える大人に育ってほしいと思ったのです。
▼彼らの生活を改善するのは、彼ら自身の血肉となった深い智恵から生まれる必要があります。彼らに対して私たちが干渉できることがあるとしたら、水俣と同じような過ちを犯さないよう警告し、回避するノウハウを伝えることなのではないでしょうか。

■GNPという物差しで発展が遅れていると決めること自体、侮蔑が含まれています。評価は、自分が優位だと思うものが行うのです。この馬鹿にする、侮蔑するというダメージがなければ私たちの心は安定し、多くの物質的な無駄も消えるでしょう。
▼利益は外国や一部のエリートに集中し、それがメディアを通じて「羨望」の気持ちを起こさせ「おまえの生活は貧しく惨めなものだ」と任国に訴えかけます。開発とはその国を市場にします。
その国の考え方や、テンポで発展することを許しません。そこには経済的競争の中で、援助を受けた国は弱者であり続けるというシステムが自動的に働きます。
▼物差しや価値観を柔軟にすれば、豊かな時間の流れを保持している人や文化に干渉し、作り替えることがこわくなるのです。恐れ入るとは対象を尊重することなのです。他者の中に「自分の浅はかな先入観でははかり知ることのできない、優れたものがあると実感すること」が本物の交流を生み出すのです。

▼このようにお話しすると、まるで協力隊を批判しているように聞こえるかもしれませんが、そうではないのです。協力隊の役割とは、技術移転といわれていますが、ほんとうはこうした認識を真に身につける「学び」にあるのかもないといいたいのです。2年の任期は、個人の顔がみえ、人間のあたたかみが伝わる国際交流の確かな窓口であると、私の中では位置づけています。任国で学んだ多くの協力隊員が日本や再び海外において、自分の頭で柔軟に考え、新しい社会を作り上げる力になっていくのはすばらしいことだと思います。

以上が帰国後5年を経て考えたことです。

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余談ですが、協力隊とからめてよく言われる(多少気恥ずかしい)言葉=ボランティアについてお話しします。
ボランティアとは、どれだけ人の役に立ったかを評価され、文章や金額で証明されるものではありません。それは人にみえないところで、本当の自分を満足させてくれるような行動の全てといえます。
一見無意味にさえうつるその行為の効果は、月並みなようですが実は「なかなか愛することのできない自分を、少し好きになること」への貢献にあるのです。人の評価に依存しない強さや価値観を構築する自信というものは、こんなところから生まれるのです。
怠け者の私も自分で決めて、月に2回だけ、話すと笑われそうな取るにたらないボランティアをします。みなさんも、自分で決めたボランティアを、人に知られようにして続けてみると楽しいですよ。

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