異文化とのコミュニケーションについて(国際交流センター・中学生体験学習)

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九州芸術工科大学助手・知足院(ともたり)美加子

*九州各地からあつまった中学生対象に国際交流について話してほしいと依頼された                    

これから世界はあらゆる境界を飛び越えてコミュニケーションする時代に入ります。旅をしたり、インターネットで外国の一個人と交流する機会はどんどん増えていくでしょう。違う文化を持つ人たちとうまくやっていくためには、いくつかのコツがあります。

 私は青年海外協力隊として中米コスタリカで2年間働きました。職種は美術の教員です。(専門は彫刻です)その経験のなかから感じたコミュニケーションのコツをお伝えします。

1;あたりまえですが、人間の感情は万国共通であることをハッキリ自覚することです。

 外国人だって不愉快なことをされれば怒るし、笑いもし泣きもします。感情のレベルでは人間に大差はありません。だから日本にいて自分のそばにいる人の感情を想像できないようでは、外国でも大変なわけです。

 ではどうすればよいか具体的に言うと、例えばホームステイしたらその家の人を「何か楽しませよう!」と思うことです。手品でもいい、踊りでも楽器の一つでもいい、言葉が通じなくてもその場にいる人と楽しい時間を共有しようという気持ちが大切です。

 外国に行くと「日本はどんな国だ?」ととやかく聞かれるので、まず自分の国のことをきちんと話せるといいと思います。意外と自分の国のことは、わかってないことが多いですから。

 余談ですが日本の五円玉など穴のあいたお金は珍しがられますので、おみやげに持っていくと良いでしょう。

 またみなさんに一つお勧めしたいのは、外国にいったらお世話になった人に、自分で作った日本料理を振る舞ってほしいということです。食べるということも万国共通の喜びだからです。実際「日本料理を食べさせてくれ」とよく頼まれます。しかし煮付けなどは受けがあまり良くありませんでした。豚カツなどの脂っこいものや、なんといっても一番うけたのはカレーでした。(これが日本食かどうかは自信がありませんが・・・)

 とにかく楽しさや喜びによって人は心を開き親しくなれることを覚えておいて下さい。

2;日本が正しく勝っていて、相手の国や人が間違っていて劣っている・・・という見方をキッパリ捨てることです。

 お互い自分が絶対正しいと思うことから、けんかや戦争が始まります。外国に行って相手が大切にしてるものをバカにすることはタブーです。特に宗教の話はできるだけ慎重にしなくてはいけません。

豊かさという点でも何を基準にするかで変わるため、優劣はつけられません。物質的豊かさと、心の豊かさがあるからです。

 私が親しくしていたコスタリカの家族は、よく食事に招待してくれました。それはよそいきのおもてなし料理ではなくごく普通の食事です。家族の一員のように私に居場所を与えてくれました。金銭的には豊かでないはずなのに、彼らはいつも楽しげで生き生きしているのです。

 日曜日にはよく家族で遊びますがレジャーランドなどではなく、家族で裏の牧場の散歩などをします。ノイチゴを摘んだり、川でターザンごっこをします。拾ってきた木と蔦で父親がブランコを作って子どもを遊ばせます。(私が乗っても壊れませんでした)

木の上でみんなで昼寝をしながら、私は「豊かさとは何だろう」と思いました。何か自分が今まで大切なものを見失っていて、それをここで取り戻したような気がしたのです。

本当は自分がこんな生活を望んでいたのではないかと思えてしかたありませんでした。

 例え外国の人たちの価値観が私たちには間違っているようにみえても、彼らにとっては正しいのだし、また彼らが関わってきた歴史や風土がそうさせたのだから、こちらが一方的に裁くのは非常に傲慢なことなのです。「へえ、この人こういう考え方なんだ」と受け入れ、その違いをおもしろがるくらいの根性があれば大丈夫です。「受け入れる」ことは批判することより数十倍難しいけれど、これがなくてはいい関係は作れないのです。

3;常識というものはその国では大切でも、他の国にいってまで押しつけてはいけません。

 私は美術学校と並行して小学校でも働きましたが、そのクラスの女の子が全員ピアスをしていたのにビックリしました。聞けば、この国の女の子たちは生まれたらすぐピアスをつけさせられるのだそうです。日本では校則違反ですよね。

 その小学校の修業式が、体育館に大がかりな機材を持ち込み ダンスパーティだったのにも驚きました。みんな明るくサルサやメレンゲ、レゲエを踊ってました。「さすがラテンは違う・・・」と思ったものです。日本の常識は世界の常識にあらず、です。

 彼らは屈託のない笑顔で異常なほどのりがよく、冷めた感じがしません。それは大人になってからもほぼ変わりません。それはたぶん「他人からどう見られるか」という鎖で自分を縛っていないし、他人にも細かいことを言わないからでしょう。「他人からの視線」を必要以上に気にしだすと、子どもの頃持っていた純粋な楽しさは半分になってしまうのです。私は彼らから“人生を楽しむ”と言うことを学んだような気がします。

4;外国に行ったら自分の肩書きというものはそう意味をなすものではない、つまり「0」の状態になるのだということを知っておかなければなりません。

 私たちがアメリカの〜高校を卒業しましたなんていわれてもピンとこないように、あなたたちがどの高校にいて家の人がこういう肩書きで〜などと話したところで向こうの人もピンこないのです。それよりも今、目の前にいるあなたの表情や発する言葉、振る舞いの一つ一つがリアルなあなた自身なのです。それらから向こうの人は「ああ、この人はこういう人なんだ」と判断するわけです。

 私がコスタリカで彫刻の授業を持つにいたるまでの話をします。私は東洋人ですし、肌の色が違うだけで根拠なくからかわれるという経験もしました。(これは貴重な体験でした。それまで人種差別は自分には関係ないと何処かで思っていたからです)まして女性であったため「彫刻が私の専門です」と言っても信用してもらえませんでした。

 ある日、コーヒーの木で彫刻を作っているロドリゴさんという人物がいることを知りました。町と人物の名前だけをたよりに探し回り、ついに見つけました。「アトリエの隅で制作させてください」という無理な私の願いを快く引き受けて下さいました。彼は、コスタリカでの道具の調達法などを知ってる限り全部教えてくれました。行く度に家族全体で温かく迎えて入れてもらい、感謝しながら私は一つ作品を仕上げました。この作品が美術学校に認められ、私はやっと彫刻の授業を持てるようになったのです。

 要するに、自分がやったことが自分自身であるし、説得力もあるわけです。自分がどれだけできるのかを客観的に知っていて、それを相手に伝えるのは大切なことです。そして何ができないかも恥ずかしがらず伝えることです。そうすれば実力以上の期待をされて苦しむことはありません。

 自分が本当に手にしているものは何なのかをもう一度よく考えてみて下さい。ブランド品などの持ち物ではなく、自分の“手”の中に、今、何があるかが大切なのです。

 このようにお話しすると堅苦しい2年間だったように思われるかもしれませんが、むこうみずでバカなことも数多くやりました。楽しく、かつ学ぶべき2年間だったと思います。 

 言葉ではとても伝えられないような美しい光景に何度も出会いました。人間のにおいが全くしない延々と広がる大密林、隙間がないほどの星空、皆既日食・・・日食になると太陽は真っ黒になり、地平線は360度全て夕焼けのようでした。驚いた鳥たちが一斉にその空に飛び立った光景は忘れられません。

 私が死んでしまったら、あの美しい風景の思い出はどこへいってしまうのかと考えます。そのひとつひとつの広がりを誰かと共有したくて、作品をつくる場合もあるのです。作品の中に協力隊の2年間は生きているかもしれません。

 国連に勤めたり、通訳になることだけが国際的な仕事というわけではありません。自分と他の国との関わりを実感し広げる方法は、その人にあった方法が必ずあるのです。旅の思い出を友達や家族にに生き生きと伝えることができたなら、それは立派な親善大使といえるのです。

 私が今までお話しした話は国際化に関することでしたが、それはどれも身近な人々にも通用することばかりなのです。裏をかえせば、人と人とがどう関わろうとしていくかが、国と国との問題をも含んでくるということなのです。

 

 今まで国は相手の国より優位に立つために競争したり、支配しようとしてきました。その国の価値観を奪い、自分の国の価値観を押しつけることが彼らの「勝利」でした。恥ずかしいことですが、これが私たちの歩んできた歴史なのです。

  これからはお互いの国の価値観を認め合い、批判的にならずありのまま受け入れるという視点が必要となってくるでしょう。つまり「互いに勝つ、互いの居場所を与え合う」という関係が生まれなければならないのです。そして相手の国の痛みを自分の事のように感じること、それが真の国際感覚ではないでしょうか。英語のテストがよいことと、国際的だということを簡単に結びつけないことです。(他文化を理解するために言葉は大変重要な意味を持つのですが)今でも私はコスタリカに災害があると気になりますし、大好きな人たちがいるあの国と戦争だけはしたくないと思います。そう心から思える国を、今から少しずつ増やしていきたいのです。

 

 私は国境というものをみました。コスタリカとパナマの国境です。それはただの河でした。橋の中央にあった国境の看板がばかばかしく見えました。あれは自治のため便宜上必要な「県境」とちっとも変わりません。鳥は自由に行き交い、風も同じように吹いていました。国の線のために幾人の命が失われたのかを考えるといたたまれません。部落差別にせよ、ここからここまでが部落だなんて線をそこにいる虫や花が知っているでしょうか。ああいった線はみな、人間の心の中にしか存在していません。人間があるはずだと思いこんでいるだけの、実体のないオバケのようなものです。(ある人が自分の利益のために利用するようになると....本物のお化けになる可能性もあります)

 生身のものが生命を守るために必要な事(食べる・寝る等)や感情(喜ぶ・怒る等)は、国に関わりなく似通っています。大きな違いというのは、習慣や社会のシステムといった、人が考えたり経験したりして、後から決めていったものなのです。

 ある人とそっくりそのまま同じ経験はできないのですから、人間が生きていればお互いの違いというのは必ず生まれてきます。だから違いというのは、人間としてあるのが当たり前で、その違いをいいだの悪いだのいう方がおかしいのです。そういうものなのです。

 他の国の人は全て違うわけでなく、全て同じでもない。これは言葉で教えられることではありません。いつか実感して下さい。まず君たちの友達のことを思い出してみて下さい。

すべて同じように感じてくれないと不満に思ったり、自分と違うことをバカにしてませんか?

 人間の悲しみは、人やまわりのものと一体感が持てず孤独なことから始まります。(仲間外れにされた時の感じを思い出してみて下さい。)だからなんでも一緒にしないと不安になる。

 自分と人は感情を分かちあうこともできるけど、違いがあるのも自然だよね、と心から思えたら、初めてその人と自分が「安心できる居場所」が生まれるのです。

 

                      1996年7月 九州国際センター

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