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西日本新聞夕刊に300字で掲載。毎月テーマが与えられ、それに答えている。12文字2行の見出しが必要で、しかたなくつけている。

■Thema「21世紀に贈る言葉」 12/17

 「次の世代の 瞳に映る時」

 この十月に長女が誕生した。まさに二十一世紀を生きる人となる。自然の摂理と共にある彼女をみていると、知識などはちっぽけな固定概念のように思えてくる。私の場合、子供から学ぶことの方が多いのだ。
 澄んだ瞳に、自分が映っているのがわかる。何世代もの子供たちが、そこから一緒に見つめているようだ。その透明感は、何かを未来に託したり、過去の責任にすべきではないことを教えてくれる。私の「今」を調和で満たすこと。それしかない。
 成し遂げる人生より、かみしめる人生だということを彼女は教えてくれた。この子が次の世代の瞳に映る時、すべての人々の生活が愛と調和に満ちていますように。



■Thema「私の防災対策」 10/1

 「単純な生活と 究極の防災」

 正直、私は用意周到に防災対策を立てられる方ではない。そこで、発想を転換してシンプルな生活を心がけている。高価なものを持つことに執着しなければ、失うことを恐れなくて済む。家の中はスッキリして掃除がしやすく、危機管理もしやすい。ありがたいことに本当に必要なものは不思議と譲ってもらえる。周囲の人々のおかげで生きているという感覚自体が、災いを引きつけないのかもしれない。
 さらに見方を広げるならば、水の災害の場合、究極の防災とはまず森を保全すること、川の自然な蛇行を取り戻すことだろうか。自然の摂理の歯車が狂った結果が災害なのだ。その関係への繊細な意識、これこそが防災の第一歩かもしれない。



■Thema「過ぎゆく夏に」 8/27

 「樟をめぐる 物語と時間」

 五年前、対馬産の樟の大木で彫刻を作ったことがあった。制作中にこの樹はどんな所で育ったのだろうとふと思い、旅してみることにした。
 対馬には原生林が残っていた。自然森の間から海が光るのを見た時、場の力というものが存在していることを痛感した。そこから持ち帰った樟の種が自宅で芽吹いた。あの巨樹もこんな柔らかな双葉から始まったのか、と感じ入った。
 この夏、苗木を対馬の森に返しに行った。これが巨木に成長した時、見上げるのは次の世代なのだ。この樹にまつわる物語に思いを馳せる人がいるのだろうか。
 過ぎゆく夏に、百年単位の「樹の時」を思った。


■Thema「日本の外交に一言」 7/23

 「外から見た 日本の記憶」

 中米に滞在したとき、日本に対してのイメージが、文化ではなくお金が中心なのに驚いた。         
 韓国では、石窟庵の仏像が日本に向かって降魔印を結んでいた。この地の人々にとって日本は魔物だったのだろう。
 日本という意識が行ってきたことを相手の目で客観的に自覚すること、それが外交の出発点だ。そこに温度差があれば不信感が生じるのは当然である。アイヌ民族、中国や韓国に対する歴史認識の是正によって、何が損なわれるというのだろうか。  
 国と国との関係は、隣にいる人間同志の関係とひとつも変わらない。他者は生き、感じ、みつめている。自分勝手なルールの先には、孤独が待っている。



■Thema「水」 6/11

 「水を生むもの 生じたもの」

 英彦山にある実家は山水を引いている。これがたまらなく美味しい。ある時父が言った。「山に風があたり雨になる。木々がそれを受け止め、土と岩が修錬し水が湧く。水が生まれるには全てが必要なのだ。」
 重力に逆らって樹の中を水が上っていくしくみは、蒸散だけでは説明できないという。あたりまえに流れる水のことを、人間はよくわかっていない。今世紀は石油ではなく、水が世界情勢を左右すると言われている。世界的な水不足は進んでいく。水源地はブルーダイヤモンドと呼ばれ、大手企業の買い占めが始まっているという。
 命は水の道理から生じたものだった。自在に循環する知恵を、私たちは思い出せるだろうか。


■Thema「5月病の君に捧げる言葉」 5/7

 「立ち止まって 見えること」

 立ち止まることは簡単そうで難しい。動きたくなるまで安心して何もしないと決めた方がよい。
 私は半年無職だったことがある。失うことを恐れていた肩書きは、手放してみればすがすがしい。他人も思っていたほど自分のことなど気にしていない。公共図書館で本を読み、ひたすら山野を歩いた。何者でもなかったこの時期の「気づき」が今の制作活動を支え、奢りをいましめる。それまで「止まってもいい」と言ってくれる大人がいなかった事を不思議に思う。
 小さな子も、独り遊びを通じて考え成長する。自分が喜んで暇をつぶせるもの、それこそ自分が愛しているもの、生きる道という。独り立ち止まり、足元を見つめてみるのも悪くない。



■Thema「今、怒っていること」 4/2

 「三百年後の 責任の行方」

 土や水の営みの全てを、現代の人間が理解しているとはかぎらない。生活や文化の礎でもあるその営みは、算盤勘定で簡単に操作できるものではない。某航空会社がハワイ先住民の墓の上にゴルフ場建設を再開した。地元住民からの裁判で凍結されていたにも関わらず、計画を見直すより罰金を払った方が安上がりと開き直っているそうだ。
 諫早湾開拓は、住民の問題にすり替えられている。問題は住民の分裂と、生態系破壊を引き起こした計画そのものなのだ。
 計画責任者でさえ、本当は自分の意志ではないと叫んでいるのだろうか。システムという化け物に、かき消えていく人の声。−恐ろしいのは怒りの対象が具体的な形を失っていること。

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