志摩中学校の総合学習  >Back

 「私のボランティア体験」というタイトルで話をすることになった。(2003年1月16日,前原市志摩中学校)
 ボランティアと意識して行った活動はあまりないので、表現に苦労する。プレゼン用に使った資料>(ダウンロードPower Point) 講演後に志摩中学校に送った手紙は以下のとおり。


 こんにちは。1月16日の総合学習の時間にボランティアの話をした知足です。 
 志摩中のみなさんはあいさつも気持ちよくしてくれるし、話も目をみて心から聞いてくれていました。本当に嬉しかったです。ありがとうございました。講演の後、吉川先生(講師の方)とともにみなさんの態度に感動していました。
 講演中に渡せなかったのですが以前に協力隊について中学生に話した内容が本に載ったことがありますので、その資料を送ります。時間がある時に目を通してください。
http://www.kyushu-id.ac.jp/~tomotari/lecture3.html
 
 今回の話を通じて、私自身があらためて気づいたことがありました。私はいわゆるハンディ ― いわれのない差別、不当な貧しさ、心身の苦痛など「生きる悲しみ」を体験せざるを得なかった人々と関わる機会が多かったのだなあ、ということです。ハンディがあるからこそ感動する心やいたわり、優しさを知っている人々。彼らは真実に向き合う強さや魅力にあふれていました。
 
 私は最後に『国や民族、障害者、高齢者という枠をこえて、名前を呼べるだれかと一人の人間として関わってください』といったこと覚えてくれていますか? 私はニ風谷を守ろうとした貝澤さんの生き方に心うたれたから、彼の背負ってきたもの(アイヌ民族という歴史)を知りたいと願いました。コスタリカにビビアンという友人がいるから、あの国と戦争だけはしたくないと思います。
http://www.kyushu-id.ac.jp/~tomotari/nibutani.html
 もし今、イラクにあなたの大好きな人々がいたら、そのあたたかい家庭に爆弾を落とさないでほしいと願い、瓦礫の下から友達を救いたいと本気で考えるでしょう。そういう痛みの共有や愛から、自然に独創的に始まるもの:先生や親から言われたからではない、自分の意志と責任で行う行為。しいていうならば、それが「ボランティア」だと私は思います。
 
 私自身の話をすると、私の先祖は英彦山の山伏(修験者)でした。自然を敬い山の中で修行し、薬をつくるなどして人々の苦しみをいやしてきた人々です。明治時代になって政府がいきなり「これからは天皇が神だから修験道は禁止します」という命令をだし、千年近く続いてきた伝統が絶たれてしまいました。私の曽祖父は、それまで大切にしてきたものを否定された苦痛と貧困の中になげこまれたのです。私が先住民族などに関わってきたのは、自然と共に生きることを否定された彼らの歴史が、自分の胸に響くからかもしれません。
 
 みなさんも人に言えない悲しみを抱えているかもしれない。でも痛みを知っているから、それを喜びや楽しさに変えていく強さをもてる。それがその人の生きる輝きであり魅力なっていくのです。
 何か特別なことができないと人に関われないわけでない。君たち自身のままで、ただそばにいてくれたらと願う人々がいる、
 だれかが自分を必要としてくれるということ、自分の居場所を与えてもらえるということ。それがどれだけ幸せなことかを体験する機会が、みなさんにはたくさん訪れると思います。
 まずは隣にいる人や、家族を大切にすることからはじめてください。
 みなさんに出会わせてくれた浦田先生や、準備・案内をしてくださった先生方や生徒さんたちに感謝しています。
 
 いつかどこかで出会う事があったら、声をかけてくださいね。お元気で。

       
   知足 美加子

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九州芸術工科大学 芸術情報設計学科