音楽心理学への御招待1


中島 祥好

1 はじめに

音楽心理学という学問分野について、耳にされたことのある方は多いと思います。本屋でそういう本を立読みした、教職の単位で取らされた、この前そう言う分野の研究者と酒を飲んだ、などいろいろな関わりかたがあるだろうと思います。ひょっとすると、昔関連する書物を買い集めた、と言う方もいらっしゃるかもしれませんし、音楽心理学の専門家はどうしてあんなに当り前のことばかり言って喜んでいるのだろう、と腑に落ちない方もいらっしゃるでしょう。私もこの分野に関わっており、論文や参考書の執筆までしていますが、自分が専門家であると言う意識はあまりありません。知覚心理学の研究を商売とし、音楽を趣味としているため、必然的に音楽心理学と言う分野に関わることが多くなるだけなのです。忙しい研究生活の中で、音楽心理学は、心をくつろがせるオアシスのようなものです。これで商売になれば、こんなにうまい話はないはずなのですが、どちらかと言うと、このオアシスで時間を潰しすぎると本業がおろそかになりますから、うまい話もほどほどにと言うところでしょうか。

 音楽に関わっておられる方々にとって、音楽心理学を学ばれることは、楽しみを兼ねた頭の訓練になり、音楽を理解するにも役立つと思われますので、この場をお借りしてこの学問分野の宣伝をさせていただきます。音楽、音楽教育を職業としておられる方々には、私の場合とやって来る方向は違いますが、音楽心理学の勉強が心のオアシスになるかもしれません。趣味で音楽を楽しんでおられる方々は、音楽心理学を通して趣味の幅が広がる可能性があります。

 音楽心理学と聞いて、「ああシーショアなんかのあれね。」と思われた方は、率直に申しあげて古すぎます。音楽心理学と音楽療法とはほとんど同じであると確信しておられる方がもしいらっしゃるならば、それは思いこみです。アルファ波の話や日本人の左脳の話をまっ先に思浮べられた方は、メディアに乗せられたかもしれません。(メディアには注意が必要で、例えば、モナリザの声を合成したと称するインチキ科学者が、なぜあれだけテレビや雑誌に出るのか、研究者仲間では絶好の酒飲み話になっています。)現在の音楽心理学は、かなりの程度まで、演奏や作曲に直接関連づけられるような問題を扱うようになってきています。実験心理学(知覚心理学、学習心理学、認知心理学などの分野の総称)の側から見れば、人間の知覚や動作の能力を最大限に生かし、しかも感情に強く訴えかける音楽は、研究材料の宝庫と言えます。このことは昔から判っていたのですが、実際の研究においては技術的に難しい点が多く、本当に面白い成果が出ているのは、ここ二、三十年くらいのことです。

どのような分野でも同じであると思いますが、初めて学ぶための教科書や参考書をお買い求めになるときには、いくら古典的な名著であっても、あまりにも古いものは避けたほうが無難です。とは言っても、日本語の書物は大変限られており、聴覚の仕組みにまで触れた包括的な参考書は次のものしかありません:ダイアナ・ドイチュ編「音楽の心理学(上・下)」西村書店(各¥3800)。内容は古くなっていますが、音楽心理学の広がりを把握するために欠かせない書物です。コンピューター科学に関連した有益な書物として、次の二つがあります:波多野誼余夫編「音楽と認知」東京大学出版会(¥1800);ジョン・R・ピアース著「音楽の科学」日経サイエンス社(CD付き¥7000)。「音楽の科学」の翻訳には少し問題がありますが、原著では付録がソノシートになっていたのに対して、日本語版にはCDが付いており、これは私も大学の音楽心理学の授業に活用しています。大山正ほか編「新編:感覚・知覚心理学ハンドブック」誠信書房(¥51500)は、個人で買うには少し高すぎますが、「音楽の知覚」に30頁くらいを割いており、その部分は私の友人と私とが執筆しておりますので、図書館などで見かけられたら、ぜひ手に取ってみてください。関連分野である音楽療法に関しては、次の本が解りやすいようです:松井紀和著「音楽療法の手引」牧野出版(¥2600)。もう少し新しい本については、また後で触れる機会があるでしょう。

 では、最近の音楽心理学は、どのような疑問に答えようとしているのでしょうか。イメージを持っていただくために、例をいくつか挙げてみます:

1)根音は、なぜ和音の基礎なのか?
2)完全4度も完全5度も協和音程なのに、減5度はなぜ不協和なのか?
3)ソナタの主題がさんざん変形されても、元の主題だと判るのはなぜか?
4)12音技法の規則は、聴く人にとっては無意味ではないのか?
5)複調音楽の、それぞれの調を聴分けることはできるか?
6)平行5度は、なぜいけないのか?
7)バッハの無伴奏ヴァイオリン曲が、まるで合奏のように聴こえるのはなぜか?
8)モーツァルトの交響曲に見られる突然の休止には、どんな効果があるか?
9)日本語のロックはなぜ腑抜けになるのか?
10)ラヴェルの「ボレロ」の管弦楽法は、本当に計算しつくされたものなのか?
11)絶対音感は有害ではないか?
12)コンピューターから出てくるリズムが変に聴えるのはなぜか?

誇大宣伝にならないように、お断りしておきますが、音楽心理学を学んでも、このような疑問が完全に解けるわけではありません。しかし、問題を把握するときの態度は、確実に変ると思います。私がよく学生に言うのは「耳で考えよう」と言うことです。現実の音について考えを巡らせることによって、音楽に対する理解も深まるのではないでしょうか。

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