音楽心理学への御招待1


中島 祥好

10 唸りと不協和の話

わずかに周波数の異なる二つの純音が同時に鳴らされると、唸りが生じます。唸りは、音色に変化を与えることで、音楽表現の世界を豊かにします。ところが、ピアノの調律の現場では、別の意味で唸りが重要です。調律師は、基本音や倍音のあいだに生ずる唸りの速さを聴きとって、周波数の差を調整します。ただ何となくうまく聴こえるように調律する、などと言うことは不可能なことで、調律師は、耳を精密な測定器として用いることによって、12平均律の音階を作ってゆかなければなりません。このとき、調律師が頼りにするのは、唸りの速さなのだそうです。

 唸りが毎秒20回程度を越す割合で生ずると、耳の中にざらざらした感じが生じます。これを「音の粗さ」と呼びます。前回御説明いたしました音の「濁り」も、音の粗さが出かかったときの感じです。このような音の粗さが、同時に鳴らされた、音と音とのあいだに「不協和」を生み出すとされています。

 例えば、12平均律において 440.00 ヘルツのAと622.25 ヘルツの D#とは、増4度と言う不協和音程をなしています。(完全4度も完全5度も不協和音程ではないのに、なぜ、そのまん中の増4度は不協和音程なのかと、私は子供のころ不思議に思っていました。皆様の中にも、同じ経験をお持ちの方が、きっといらっしゃるでしょう。)今取りあげたAの音と、D#の音とを、ヴィブラートの全くないヴァイオリン(またはフル・オルガン)で、同時に演奏したと仮定します。

 Aの3倍音は    440.00x3 = 1320.00 ヘルツとなり、
 D#の2倍音は   622.25x2 = 1244.50 ヘルツとなります。
 違いは               75.50 ヘルツですから、

毎秒 75 回半の唸りが生じます。1000ヘルツ以上の成分に対しては、毎秒70 回程度の唸りが生ずるときに、音の粗さが最大になることが、これまでの研究で知られていますが、ここではまさにそのような状況が生じています。AとD#とを同時に鳴らしたときには、これ以外の倍音についても唸りによって音の粗さが生じます。このような音の粗さが積み重なると、全体としてはかなり耳につくものになります。これが「不協和」の感じを生ずるのです。

 このようなわけですから、もし、3倍音以上の倍音がなければ、AとD#とのあいだに音の粗さはあまり感ぜられないはずです。AもD#も時報の音のような純音にすると、不協和が解消することになります。実際に、そのような音の組み合わせをコンピューターなどで合成して鳴らしてみると、増4度の不安定な感じが完全になくなるわけではありませんが、濁った響きはかなりの程度まで消えてしまいます。音の粗さによって不協和を説明することは、的外れではなさそうです。

 半音離れたAとBbとを同時に鳴らす場合には、今のように濁った響きから逃れることが難しくなります。仮に、この二つの音を純音で鳴らしても、440.00 ヘルツの純音と 466.16 ヘルツの純音とのあいだに、毎秒約 26 回の唸りが生じ、明白な音の粗さを生じてしまうのです。

 それでは、「協和」とは何でしょうか。いま御紹介した考えかたに従いますと、協和とは不協和の少ない状態のことになります。それでは、余りにも単純すぎると思われるかもしれませんが、目に見える理由のないかぎり、話を複雑にしないのが科学のルールです。このような単純化によって、和音や音律に関する議論は深まりました。なお、不協和に関する以上のような考えかたの妥当性を、数理的なモデルを用いて決定的に証明したのは、東芝の亀岡、廚川と言う方々です。バブル以前の日本の企業は、世界に誇りうる独創的な研究者、研究テーマを「飼っておく」ことができたようです。

 しかし、貧しいながらも夢があった時代はよかった、などと納得するのは考えものです。現在の日本の企業にも、すばらしい夢をもつ若い研究者が沢山いらっしゃいます。このような人々に、たっぷりと時間をさし上げれば、夢のいくつかは必ず実現するはずです。お金はそれほど要りません。「人件費のことを考えなさい。」と企業のお偉方に叱られそうですが、夢のある研究は、企業の評価を高めるわけですから、長い目で見れば充分採算が合うはずです。

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