音楽心理学への御招待1


中島 祥好

12 唸りと不協和の話

このまえ、不協和の元凶は、唸りから生ずる「音の粗さ」であると申しあげました。このことに間違いはないのですが、同じように唸りを生ずるような2つの音を鳴らしても、そこからものすごい不協和が感ぜられたり、あまり不協和が感ぜられなかったりします。例えば、電子オルガンなどで、隣りあったEとFの鍵を同時に押したり離したりすることを繰りかえしますと、相当な不協和が感ぜられます。ところが、Eを鳴らし始めた一息後にFを鳴らし始め、Eを鳴らし終えた一息後にFを鳴らし終えるという具合いに、時間的なずれを与えますと、わずかにではありますが、不協和の感じが抑えられます。次に、Fを鳴らしっぱなしにして、それとは別に、すぐ下のC、D、Eを、CDEDCDED−−−とくり返して鳴らすと、今度は不協和の感じがかなり減小します。テンポが速めのときなどはEとFとのあいだに不協和の生ずることに気付かないことさえあります。いま挙げたどの場合にも、EとFとのあいだに、物理的には同じように唸りが生じているはずなのですが、我々がそれをどう知覚するかは、大きく変化します。

 モントリオールにある英語系大学として有名なマッギル大学の心理学科に、ブレグマン先生と言う聴覚研究の親方のような、賢くて元気な方がいらっしゃいます。この先生は、二つの音が同じように唸りを生ずる場合でも、不協和の感じが目立つ場合と、そうでない場合とがあることを指摘されました。二つの音が、同時に鳴り始め、同時に鳴り終わるとき、二つの音は、いわば二人三脚のように、二つでありながらひとまとまりになっています。二つの音がひとまとまりに知覚されると、その間の不協和も目立ちます。ところが、二つの音の鳴り始め、鳴り終わりが時間的にずれると、二つの音のまとまり具合いは、リレーのバトンタッチで二人の走者がしばらく一緒に走るくらいの感じになります。この場合、二つの音のあいだの不協和が、むき出しのまま感ぜられることは少なくなります。最後の例で、Fが続けて鳴っているあいだに、CDEDCDED−−−と反復する音列が鳴りつづける場合には、ジョギングをしている人の傍らで、一輪車の練習をしている人が近づいたり離れたりしているようなもので、二つの音の結びつきが弱すぎて、協和か不協和かと言うことが、そもそも問題になりにくくなります。二つの音のあいだに不協和が感ぜられる場合、唸りによって生じた音の粗さが確かに不協和の原因になりますが、同じように唸りが生じても、不協和がはっきりと感ぜられるためには、二つの音が(二人三脚のように)しっかりと結びついて知覚されることが必要です。音と音とが、しっかりと結びついて知覚されるか、別々に知覚されるかで、聴こえかたが大いに変わるような例は、他にも色々あり、ブレグマン先生の研究室では、このことに関連して大変面白い研究が行われています。

 作曲、編曲の際に、不協和を和らげたければ、不協和を生じうる音と音とがなるべくひとまとまりに聴こえないようにすればよいわけです。分かりやすい手段としては、EとFとを同時に鳴らすときに、それぞれの音を、音色が似ていない楽器に演奏させるという手があります。また、EとFとが異なる方向から聴こえてくる場合にも、不協和は和らげられます。この場合、ステレオ録音、ステレオ放送が威力を発揮します。ステレオの技術は、何も音の臨場感や迫力を増すためだけにあるのではないのです。

 ブレグマン先生は、パレストリーナからシェーンベルクにいたる西洋音楽の歴史の中で、不協和を和らげることが次第に少なくなり、むき出しの不協和が市民権を得てきた様子を、グラフのような図にまとめておられます。むき出しの不協和が強烈な印象を与える音楽と言えば、何と言ってもストラヴィンスキーのバレー音楽「春の祭典」でしょう。この曲には、不協和を生ずる関係にある音と音とが、ぴったり揃って変なリズムで鳴らされるところがあります。ここでは、音どうしが普通にはありえないくらいに強くまとまって知覚され、桁外れの不協和が生じています。この不協和が、どこかくい違ったようなリズムに鮮烈な力を与えるわけです。このようなむき出しの不協和は、近代、現代の音楽に多く見られますが、不協和をたて続けに用いて、緊張感を生みだすことは、モーツァルトなども行っています。美しい和声を「売り」にする楽曲において、一種のスパイスとして不協和が用いられることがあります。バッハの「平均律クラヴィーア曲集第1巻」の始まりにあるハ長調のプレリュードは、アルペジオで示された和声が余りにも美しいので、このままにしておくのはもったいないと思ったのかどうかは知りませんが、グノーがこのアルペジオを伴奏にして歌のメロディーを付け、名曲「アヴェ・マリア」に生まれ変わりました。バッハのアルペジオにおいては、不協和が思いきって用いられており、例えば第2小節目では、左手の方でCの音とDの音とが長2度の音程で鳴り続けています。

 心理屋は、不協和を音楽のどこに、どのくらい用いればよいかと言うことに口を挟むことはできません。しかし、作曲、編曲、演奏、録音に際して、不協和を和らげるには、あるいは強めるにはどうすればよいかと言うことについて、多少の意見を述べても無駄ではなさそうです。

←前へ 次へ→

音楽心理学への御招待1にもどる

トップページに戻る