音楽心理学への御招待1


中島 祥好

16 音の常識と誤解

オクターブの話が続くので、少し息抜きをいたします。近ごろ流行るCDの話です。1982 年に、コンパクト・ディスク(略してCD)が商品化されました。当時は、音響の専門家のあいだに、かなり懐疑的な意見が目立ちました。「何百枚もの(ときには何千枚もの)レコードを収集したオーディオ・マニアが、そう簡単にCDにのり換えるとは考えられない。」、「扱いの手軽さでは、なんと言ってもカセット・テープが一番である。」などの声があり、「これからは、CDの世の中になる。」と断言した音響の専門家は、少なくとも私の周りにはいませんでした。

 わが家では、いち早くCDプレーヤーを購入いたしましたが、これは決して先見の明があったからではありません。わが家には、レコードの収集がもともとわずかしかなく、FM放送を、安売りで買ったカセット・テープに録音したりして音楽を楽しんでいました。あるとき、大学の研究室で新しいオーディオ技術の参考としてCDプレーヤーを購入したので、試しにCDからメタル・テープ(少し高級なテープ)のカセットに音楽(「ツァラトゥストラはかく語りき」でした)を録音し、わが家のラジカセで聴いてみたところ、楽器の音色が鮮明なことに驚いたのです。その直後に、10万円以上はすると思っていたCDプレーヤーが、家電製品量販店の店頭品処分と言うことで、6万円くらいで売り出されているのを見つけ、衝動買いをしてしまいました。その後時が経ちましたが、わが家のLPプレーヤーはいまやほこりをかぶり、その一方で、CDのコレクションは、数百枚になっています。家の中にCDプレーヤーとCDラジカセが合わせて何台あるのか、数えなければわからないくらいです。街中では、特別な場所を探さなければ、LPレコードを買うことが難しくなりました。学生時代に通った名曲喫茶では、「まっさらの(音質が劣化していない)レコード」を鑑賞できるレコード・コンサートの時間帯がありましたが、ここでも今はCDを使っているようです。ちなみに、「名曲喫茶」というのは、金のない学生がコーヒー一杯の値段で、試験勉強をしながらクラシック音楽を鑑賞できる場所でした−−−念のため。CDはいまや、世界各国の学生にとって、文庫本のようなものです。全世界を舞台としたCDの成功物語は、音響技術史の上でも特筆すべきものです。ご存じの方が多いと思いますが、CDのシステムを開発したのは、日本とオランダとの合同チームであり、両国の音響技術の水準の高さが解ります。このまえ、授業中に世界で初めてデジタル録音に成功した国はどこかと学生に尋ねたところ、アメリカとかドイツとか思っている人が多く、自信を持って日本と答えた人がいないので、少しショックを受けました。デジタル・オーディオは日本が世界に誇る技術分野です。成功の理由は、機械の設計から録音までこなすような優秀な研究者が、会社の枠を越えて協力したところにあるようです。

 このようなわけですが、LPを支持する声もいまだに根強く残っています。よくある議論は、「保存状態のよいアナログのレコード(LP)を、本当によい装置で聴けば、デジタル(CD)よりもずっと良い音がするのに、音響技術者はそのことを知らない。」と言うものです。これは誤解です−−−音響技術者は、場合によってはアナログのほうが良い音がすることを、よく知っています。私も、オーディオ店に勤める友人の好意によって、数百万円クラスのオーディオ・セットを使って、CDとLPとの聴きくらべを体験させてもらったことがあります。CDではところどころ目に見えないくらいの薄い雲がかかったように思えた音質が、LPでは、抜けるような青空になったのを思いだします。ところが、スピーカーやアンプの品質を少し落とすと、この違いは判らなくなってしまいました。先に紹介したわが家のような状況では、LPの本来のよさを引きだすことは、大変難しいと言わざるをえません。むしろ、扱いが楽で、何回聴いても、すり減らないCDのほうがお奨めと言うことになります。ベートーヴェンの「第九」をぶっ続けで聴ける、と言うことがCDを開発する際の一つの目標だったそうですが、「第九」を年末の大掃除をするたびにバック・グラウンド・ミュージックに流したいと言うような方には、CDがうってつけでしょう。

 音響技術者は、デジタルにしたおかげで音が根本的に良くなるなどとは考えていません。現段階でのデジタル技術の主な利点は、普通に買うことのできるオーディオ・セットを用いて、普通の聴きかたをするときに、必要な情報は間違いなく保存し、伝えるという点にあります。その代わり、あまり必要でない情報はばっさりと切り捨ててしまいます。最近では、「要らない情報を捨てる」技術がさらに発展し、MDやDCCを始めとする小型デジタル・オーディオを生み出しました。ところが、ある程度高級なアンプやスピーカーを用いて、耳を澄ませて違いを聴きわけるときには、切り捨てた情報も無視できないことがあるのです。それでは、情報を切り捨てずに、もっと沢山の情報を保存すればよいではないかと言う話になりそうですが、あまりに欲張ると、CDもCDプレーヤーも値段が跳ねあがり、そのうえ大きくて扱いにくいものになってしまいます。CDの最大の利点は、お金がなくて、しかもオーディオの扱いに無頓着であっても、そこそこ良い音質を確実に体験できると言うことなのです。(ただし、それでおしまいと言うわけではありません。)

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