音楽心理学への御招待1


中島 祥好

2 調性の話

 今回は、いきなり問題を出します。「調性」とは何でしょうか?音楽と付きあっていると、この言葉を聞いたり使ったりするチャンスは多いはずです。しかし、その意味が解っているようでも、わざわざ聞かれると困ってしまいます。それでは、私たちが調性を強く感ずるのはどのようなときかと言うと、調性が崩れたり、乱れたりするときです。

 ジャズ・ピアニストの山下洋輔名人が「センチメンタル」と言うソロのアルバムを出し、そこにシューマンの「トロイメライ」を収めています。フリー・ジャズ風に味付けがしてあり、「山下洋輔のトロイメライ」になっているのは当然のことですが、一応おとなしくヘ長調で始ります。ところが、少し進んだところで、とんでもない音が鳴りだします。どんな風にとんでもないかと言うと、ヘ長調の流れに全くそぐわないのです。それで、聴く方はびっくりして、喜んだり怒ったりするわけです。実は、古典的名曲においても、このような効果はあちこちで用いられています。楽聖ベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」が古典中の古典であることを疑う方はいらっしゃらないと思います。この曲は、ティンパニが静かにDの音を刻むところから始まり、木管楽器が格調高いハーモニーを聴かせます。ここは、確固としたニ長調です。ところが、10小節目で第一ヴァイオリンのパートが単独で登場し、D#の音を刻んだあとC#に落着きます。このとき、ふっと「これは大事なことなんだよ」と語りかけられたような気分になりますが、これは、オーケストラのヴァイオリンが、ニ長調の文脈では少し意外なD#の音で登場することと無関係ではないでしょう(納得の行かない方は、すぐにレコードを聴いてみてください。)。私たちの頭の中には、冒頭の9小節でニ長調の「調性」が確立され、それが10小節目に乱されることによって、大理石のような音楽に、陰影が刻みこまれるのです。

 心理学者と言うのは、不謹慎なことをいろいろと考えるのが主な仕事ですから、D#の音をDに置換えたらどうなるか、などと考えてピアノで弾いてみるわけです。結果は何とも平凡で、薄っぺらい響きとなり、そこから先を聴こうと言う気持ちが弱まってしまいます。「ヴァイオリン協奏曲」のような芸術作品は、実験材料としてはややこしいので、替りにもっと分りやすいニ長調の音階やカデンツを使ってみたらと、更に不謹慎なことを考えます。音階やカデンツを鳴らした後に、一つだけおまけの音を鳴らすことにし、このおまけの音として、D#やDだけでなく、全ての音名を代表する12の音を次々に置いてみます。平均律を用いるので、A#とBbの区別などはありません。そこそこ音楽経験のある被験者(いわゆるモルモットのこと)を選び、おまけの音が、どのくらい「その場に当てはまった感じに聴こえるか」を答えてもらいます。これは、アメリカのコーネル大学に所属されるキャロル・クラムハンスル先生と言う方が、ケスラーさんと言う方と共同で行われた実験です。ただし、クラムハンスル先生は数学科出身の才媛ですから、私がお話ししたような不謹慎な発想をされたかどうかは定かではありません。おまけの音は、少し格好をつけて「プローブ音」と呼ばれており、このような実験手法は「プローブ音法」と名付けられました。実験結果によれば、ニ長調の音階やカデンツの後には、D、A、F#がよく当てはまり、Gなども悪くありません。一方、D#、F、G#、A#、Cの当てはまりは良くありません。「ヴァイオリン協奏曲」では、ニ長調の流れに当てはまりの悪いD#の音が敢えて使われていたわけです。当てはまりが悪いと言うことは、予測や期待が外れたと言うことです。と言うことは−−−私たちの頭の中に、何かしら予測や期待があったと言うことになります。この予測または期待を、調性の核をなすものと考えるのです。今回は才媛に出ていただいたので、次回はいかめしい大先生に御登場願います。

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