音楽心理学への御招待1


中島 祥好

20 音脈の話

前回は、一つの声部が二つに聴こえてしまうような知覚現象を、「音脈分凝」と呼ぶ、と申しました。この言葉はまるで「祇園精舎の鐘の声−−」に続きそうな、古めかしい響きを持っていますが、英語の「auditory stream segregation」の訳語です。この訳語を決めるために(決めることを口実に?)、博多のさるインド料理店に、聴覚心理学の研究者が五人集まったのは、1980年代半ばのことです。できあがった訳語は、このインド料理の香りを残しているかもしれません。

 「音脈」と言うのは、音楽のメロディーのように時間的に一つながりになった音のかたまりのことです。一つながりの話し言葉、誰かの足音、近づく車のエンジン音、庭先のつくつくぼうしの声、これらはすべて音脈の例です。私たちは、日常の生活で、溢れる音に取り囲まれていますが、私たちの聴覚システムは、溢れる水を河や運河に分けて流すように、溢れる音を音脈に分けて聴きとります。そのおかげで、人の話を筋の通ったものとして理解したり、車のエンジン音から危険を察知したりすることが可能になるわけです。何かが二つ以上に分かれてまとまることを「分凝」と言う言葉で表しますが、溢れる音がいくつかの音脈に分かれて聴こえることが「音脈分凝」であると言うことになります。私たちの日常生活で、音脈分凝が起こらなければ、音が聴こえても「音の洪水」に過ぎず、全く意味がありません。

 面白いことに、同じところから同じように発せられる音でも、高い音Aと低い音Bとが、ABABAB−−と急速に交替する場合、AAA−−、BBB−−という二つの音脈が生ずることがあります。聴覚システムは、AとBとが別のところから発せられた全く異なる音であると、間違った解釈をしてしまうわけです。このような現象も「音脈分凝」と呼ばれます。AとBとが、音の高さ、音色などの点で異なっておれば、この現象が生じえます。聴覚システムは、間違いを犯したとは言え、いつもと同じように働いているだけですから、この現象は、上に述べた「音脈分凝」の一例とみなしてよいでしょう。聴覚研究者が「音脈分凝」と言う言葉からまず思い浮かべるのは、このような「狭い意味での音脈分凝」です。バッハの無伴奏チェロ・ソナタにおいては、この現象が生じやすいような演奏が求められます。

 これまでの研究成果から判断すると、一つの声部の音を二つの群に振り分けて、二つの声部があるような感じを与えるためには、作曲、演奏のうえで次のような手段が有効であると考えられます:


 1)二つの群の音に、離れた高さ、はっきり異なった音色を与える。
同じ群の音には、近い高さ、似た音色を与える。
 2)場合によっては、二つの群の音に、異なった大きさ(強度)を与える。
 3)二つの群のあいだの音の交替を、何度も繰り返す。
 4)テンポを遅くし過ぎない。
これで、音楽の現場に役立つでしょうか?

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