音楽心理学への御招待1


中島 祥好

26 音の常識と誤解

私は、伝統校とされる大学の文学部の心理学科で学びましたが、ここでは、人間にとって圧倒的に重要な感覚は視覚であり、聴覚はそれに次ぐ副次的なものであると言うことが「常識」になっていました。残念なことに、文学部、教育学部、人文学部と言った学部に属する心理学科(あるいは関連学科)では、この「常識」がまかり通っており、「知覚心理学」と言えば「視覚心理学」のことを指すことさえあります。「認知心理学」と言う言葉が盛んに使われるようになってからも、事情はそれほど改善されていません。私の出身学科の卒業生には、聴覚心理学の分野で研究活動を続けている人間が5名いますが、その全員が、聴覚、音響に関する知識の大部分を「独学」で身につけているはずです。一方では、全員が視覚に関するある程度の知識を大学で学ばされたはずで、今でも少しは視覚のことを考え、研究活動に役立てていると思います。聴覚に関する基本的な知識も、実験心理学を専攻する人間には不可欠であり、大学の授業に組みこまれる必要があると思うのですが、そのためには、教科書の種類も教官の数も不足気味で、なかなか大変です。今のところ、学生諸君に、独学で聴覚のことを学ぶと言う「伝統」を引き継いでいただく以外にありません。

 大学に限らず、世の中の人々によく考えていただきたいことは、我々の日常生活において、聴覚がどのような役割を果たしているかと言うことです。聴覚の役割の一つは、危険や変化を察知することでしょう。我々は、「何か来たぞ」とか「これはいかん」とか言う類の情報を、耳から仕入れることが実に多いのです。今から約2億年前、恐竜が活躍していたころ、哺乳類が出現しましたが、初期の哺乳類はネズミのように小さくて弱い動物で、夜行性であったと言われています。したがって、嗅覚と、聴覚とが、危険や変化を察知するうえで、大変重要になったことは間違いありません。我々人間は、臭いの溜まる地面に鼻を近づけることが少ないので、嗅覚は相当鈍くなったようですが、聴覚のこのような働きは、残しています。車が近づいたことをエンジン音で察知することは、その一例です。ちなみに、車の近づいてくる方向まで音で判るのは、生まれてからの学習による面が強いと考えられますので、子供には、方向を聴き当てる訓練をしたほうがよいように思います(絶対音感の訓練よりもよほど重要なはずです。)。

 両生類から哺乳類まで一貫して、大変強い音に対しては反射的な応答が生じます。このことには、神経生理学的な説明も可能であると聞いたことがあります。犬に突然吠えかけられてビクッとしたような経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。このことは、危険の回避に役立っていると考えられます。反射的な応答は眠りかけていても生ずるので、ハイドンの「びっくり交響曲」のようないたずらもできるわけです。

 眠っている間も、聴覚による変化の察知は可能です。おかげで、目覚まし時計で起きることもできます。一方では、僅かに目を覚ました時間を利用して、外は土砂降りであるといった情報を得ておくことも可能です。このように、聴覚は「24時間体制」を取っています。同時に、聴覚は「360度体制」を取っています。視覚が捉えることのできる情報は、目の前のわずかな部分に限られます。日常生活における我々の視野は、単に何かが見えると言うだけの範囲まで含めると、左右に180度を超えますが、物の形や色まで判るのは、せいぜい数十度の範囲です。これに対して、聴覚は、360度いずれの方向からも、さらに、壁の向こう側からさえ、情報を得ることができます。見えないものからも、耳を澄ませば、かなり詳しい情報の得られる場合があります。視覚が働かない時間帯、方向、場所を、聴覚は広くカバーしています。したがって、その場の「雰囲気」を感ずるには、聴覚の果たす役割が大きいでしょう。街の雰囲気をテープに録音して後で聴いてみると、写真を見る以上の臨場感があるのは、そのせいではないかと思います。聴覚と視覚との間には、最初に聴覚から大まかな情報を得て、必要があれば、後で視覚によって詳しく確かめると言った、分業が成立しているようです。つまり、聴覚は「見張り番」の役割を受け持っています。「聴き張り番」と言うのがよいかもしれませんが。

 ところで、聴覚の大事な役割が、まだ一つ残っています。それは、人と人とのコミュニケーションの手段を与えることです。これについては、次回にお話しいたします。

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