音楽心理学への御招待1


中島 祥好

27 音の常識と誤解

聴覚の重要な役割として、人と人とのコミュニケーションの手段を与えると言うことがあります。いきなり話が飛びますが、現代のヒトとは系統の異なる「ネアンデルタール人(旧人)」のことを、どこかでお聞きになったことがあると思います。彼らは、死者に花を捧げると言った文化を有していたことが判っており、高度な知能と感情を持っていたと考えられます。食べ物には適しない花を価値のあるものとして認めること、死んだばかりの人と顔を合わせることを最後の貴重な機会として認識すること、などは、抽象的な思考、長い記憶の蓄積があって初めて可能です。また、豊かな感情がなければ、厳しい自然環境の中で花を集めることもありえないでしょう。生きてゆくうえで直接役に立たない、手の込んだ埋葬作業を協力して行いうるような、連帯感も芽生えていたにちがいありません。ところが、このネアンデルタール人は、現代人につながる新人(クロマニョン人など)との競争に敗れ、滅びてしまいました。(同じ環境に、異なった種や亜種が存在する場合、その環境に、より適切に適応した種や亜種が、多くの食物や住みかを確保して繁栄し、他の種や亜種が衰退すると言うのが、生物学で言う「競争」です。)

 ネアンデルタール人がなぜ滅びたかについては、現在盛んに研究が進められているようですが、一説に、新人に比べて、言葉を操るのが苦手であったためと言うのがあります。その説に従うと、ネアンデルタール人ののど(咽)は、新人ののどよりも短く、音響学的な分析によれば、そのような作りでは、声によってたくさんの種類の音を出し分けるには不向きであることが判ります。私たちは言葉を喋る際に、実に多くの音を使いわけることができます。そのおかげで、迅速な共同作業が可能となり、今日の人類の繁栄につながったと考えられます。ネアンデルタール人については、続々と新しい見解が出てくるようであり、「のど」の話については、疑問視する意見もあるようです。本当のところはどうであったのか、早く知りたいものです。

 ここでは、更に進化の歴史を辿り、類人猿の話に移ります。類人猿に言葉を教えようと言う数々の試みが、これまでになされています。チンパンジーなどは、さまざまな色と形を持つプラスチックの板きれを「単語」として、それを簡単な「文法」に従って並べた「文」によって、意思を伝えることができます。また、簡単な英語の文を聴いて理解する天才ボノボが、最近テレビなどで紹介され、話題になっています。ところが、チンパンジーもボノボも声を出して言葉を喋ることは殆どできません。類人猿ののど(咽)は、現代人成人ののどに比べて極端に短く、たくさんの音を巧みに出すことができないのです。

 私達の長いのどが、人類の繁栄に大いに貢献したことは明らかです。ところが、この長いのどには、生存に不利な面があります。長いのどが、空気と食べ物との共通の通り道になりますから、食べ物が気管に詰まると言う危険が生ずるのです。人類が、このような危険を冒してまで長いのどを進化させた理由としては、巧みに言葉を喋ると言うことが、生存に極めて有利であったと言うこと以外に考えられません。言葉を喋らない乳児の段階では、人間も類人猿のような短いのどを持っています。人間の赤ん坊は、気管におっぱいが詰まらないような安全策を採っているわけです。(おっぱいを吸いながら呼吸をすると言う大人にはできない芸当も可能です。)

 さて、言葉を巧みに発しても、それを聴きとる能力がなければ、効率のよいコミュニケーションは成立しません。脊椎動物が、陸上で生活するようになって以来、耳の働きは画期的な進化を遂げ、私達の耳および聴神経は、音を周波数分析したり、音の時間波形の繰り返しパターンを把握したりすることができるようになりました。私達の大脳皮質の左半球では(ごく稀には右半球で)聴覚を司る領域の隣に、言葉の理解に関係が深いと思われる広い領域があります。これは、私達の鋭い聴覚と、複雑な言葉を操る能力とが、手を携えあって進化してきたことを物語ります。

 ところで、音楽を聴く能力は、人類の生存に直接関係しないはずです。音楽に対する感動を呼び起こす仕組みが、音楽を聴くために進化したとは考えにくいと思います。言葉を聞くために進化した聴覚システムが、音楽に転用されている可能性もあるのではないかと思われます。この点については、また改めて論じたいと思います。

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