音楽心理学への御招待1


中島 祥好

29 日本語の歌

 音楽をうまく聴くためには、よい演奏に触れる体験が重要である可能性が高いわけですが、小さな子供がまず耳を傾けて聴く音楽は、自国語あるいは母語の歌ではないかと思います。日本語、英語、中国語、フランス語などのそれぞれの言語には、独特の音の特徴があり、歌もそれにしたがって、特徴のあるものになっています。ビートルズの名曲「イエスタデイ」は、ポール・マッカートニーの少し外したような(よく言えば飾り気のない)声で、「Yesterdayーーー」と、喋るでもなく歌うでもなく始まり、「Simple is the best.」のみずみずしい世界を作りあげています。これを日本語に訳して歌うとすると、始まりは「きのう」とか「あのとき」になりそうですが、「きのぉー」では「き」が高くなり関西方言のアクセントになるので、残りの部分も関西方言にしないと、つじつまがあわなくなってしまいます(それも面白いかとは思いますが。)。「あのときぃー」とすると、アクセントがおかしいだけでなく、「字余り」になってしまいます。このように、英語と日本語とでは音の作りが違うので、歌詞の翻訳は大変です。それぞれの国語には、それぞれ適したリズム、メロディーがあるはずです。

 ところが、現代の日本では、音楽のリズム、メロディーに欧米系のものが氾濫しているので、もともと日本で作られた曲であっても、日本語がしっくりと当てはまらないと言う問題が生じています。アトランタ・オリンピックの様子がNHKテレビで紹介されていたとき、ロック系のリズムにのせて女性ボーカルの威勢のよいテーマ曲が流されていました。ところが、日本語であるにもかかわらず、英語風の発音で歌が進行し、最後は「Here we go !」で一発決まりでした。いつからNHKが、駐留米軍放送局になったのかと思いましたが、考えてみれば、巷にあふれるロックのリズムに言葉をカッコよく乗せようとすると、こうなってしまうのでしょう。「Here we go !」を関西方言の「やったるでぇ」にすると少しはサマになるかもしれませんが、アクが強くなりすぎて、オリンピックには不向きのようです。江戸っ子には、「持ってけぇ泥棒」などと勇ましい言葉遣いがあるようですが、何となくなげやりな印象は拭えず、テーマ曲に使うと、そのあと番組が続かなくなってしまいそうです。ロック系の歌の盛り上がりを、日本語でビシリと決めるのは、どうも非常に難しいようです。いわゆる標準語は論外です。と言うわけで、とりあえず日本語で始めて、盛り上がると突然英語に早変わりする、と言うのが、常套手段になってしまいました。日本文化の一部が、英語圏の植民地と化しているのです。日本人自身の手で植民地化が着々と進められているのですから、目もあてられません。

 読者の皆様の多くは、クラシック音楽畑にいらっしゃるので、このような話は、御自分に関係がないと感じていらっしゃるかもしれませんが、そんなことはありません。クラシックの歌手は、立川清登氏のような例外を除き、日本語の歌まで、ドイツ語風や、イタリア語風に発音することが多いので、言葉が不自然に響いたり、聴き取れなくなったりすることがよくあります。私事になりますが、娘に初めて日本語の歌の名曲集のようなCDを買い与えたとき、評判のよいクラシックのソプラノ歌手が歌ったものを選んだところ、おそらく歌詞が聴き取れないために、全く相手にされませんでした。ちなみに、この歌手はドイツ語圏とつながりの深い日本人です。このことを、日本語音声や日本語歌唱音の研究をしている専門家に話したところ「安田祥子、由紀さおりのシリーズがいいですよ」と即座にアドバイスをいただきました。由紀さおりと言えば、私の世代では「夜明けのスキャット」などのヒット曲で名前を覚えており、失礼ながら日本の流行歌手にしては音程が正しいと言うくらいの印象しかなかったのですが、ともかくこの御二人のCDを買ってきたところ、娘が、喜んで日本語の歌を聴くようになりました。由紀さおりのお姉さんの安田祥子と言う、暖かい声の持ち主を知ったのも収穫でした。ともかく、この姉妹の御二人が歌う歌曲は、歌詞がよく聴き取れるので、言葉の意味が本当に理解できるかどうかにかかわらず、子供には楽しいらしいのです。初めに買ったCDでは、日本語がまるでドイツ語のように発音されているために、特に子供には歌詞が聴き取りにくくなるようです。

 この場合、日本歌曲の多くがドイツ・リートのように作曲されているので、ドイツ語風に歌うと何となくサマになるという問題を見逃せないと思います。子供には受けなかったソプラノ歌手の方も、意識的にその線を目指されたのかもしれませんが、ここに、日本文化の植民地化が進行する余地があるわけです。(本当に外国のスタイルに惚れこむのであれば、むしろ、始めから英語やドイツ語で日本歌曲を歌い、外国にうって出るのが、芸術家の務めではないかと思います。)

 次回から、日本語の音の作りの特徴について少し考えてみます。

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