音楽心理学への御招待1


中島 祥好

32 日本語の歌

 前回には、訳詞の話を始めましたので、今回は、訳詞の難しさについて皆様と一緒に考えてみます。音楽心理学からは少し脱線いたしますが、大きな目で見れば、避けて通れない問題です。果たして音楽は「世界共通語」でありうるかと言う問題にもつながるでしょう。「屋根の上のバイオリン弾き」(Jerry Bock 作曲)から「サンライズ・サンセット Sunrise, Sunset」を取り上げます。楽譜は載せませんが、この曲を聴いたことのない方にも、この後のお話は充分に通ずると思います。

 手元の楽譜を参考に、この曲の途中までの原詞(Sheldon Harnick 作)と、訳詞(若谷和子・滝弘太郎訳)とを書いておきます。(行分け、漢字の用法などは、私の判断によりますので、間違いがあるかもしれません。)


     Sunrise, Sunset                       サンライズ・サンセット



Is this the little girl I carried ?               いつもおんぶしてた 

Is this the little boy at play ?                かわいい小さな子

I don't remember growing older,             いつか大きくなった

When did they ?                                二人



When did she get to be a beauty ?         こんなにきれいになって

When did he grow to be so tall ?            りっぱになったのか

Wasn't it yesterday when they were small  きのうまでは小さな子が



Sunrise, sunset,                                日は昇り

Sunrise, sunset,                                また沈み

Swiftly flow the days.                         時移る

Seedlings turn overnight to sunflowers,  やがて朝が来れば

Blossoming even as we gaze.               花もすぐ開く



−−−



筆者註)swiftly: すばやく; seedling: 苗(若い植物); overnight: 一夜のうちに; blossom: 花開く

 英語、日本語の両方の一行一行を、できれば声を出して読んでみてください。訳詞は、原詞の意味をよく保ち、日本語としても自然に歌えるようになっているように思います(登場人物であるユダヤ人に、訳詞1行目の「おんぶ」の習慣があるかどうかは知りませんが。)。しかし、英語と日本語との間には、どうしても埋めがたい溝が残ります。英語では、母音の前後に、子音がいくつもくっつくことができる上に、母音の種類が多いので、音符の一つ一つに変化があり、メロディーを面白くすることができます。また、音符の数が変わらなくても、日本語の場合よりも多くの意味を伝えることができます。

 英語版では、「Sunrise, sunset,/ Sunrise, susnset」と言う繰り返しによって、飽くことなく紡ぎ出され、過ぎ去ってゆく「時」が、言葉と音楽との両方で巧みに表現されています。ところが、日本語版では、「日は昇り/また沈み」と、発音が単純になるうえに、言葉の繰り返しがなくなってしまいます。時の流れが、「また」の一言に集約されているために、歌手はこの言葉をいかに表現するか、大きな課題を負わされるのではないでしょうか。「日は」と「また」とを、同じように歌うと、義務的に音符を消化しているような感じになりますが、一方、「また」を強調しすぎると、お涙頂戴の感じになりそうです。私は残念ながら美声の持ち主ではありませんので実演できませんが、もしこの曲を歌えるのであれば、「また」を語りかけるように少し弱めに歌うだろうと思います。皆様は、どんな歌いかたをされるでしょうか。

 英語版の、まん中付近の「beauty」、「tall」は、この歌詞を朗読するときにも、おそらく、強いアクセントをつけ、長く伸ばして発音する、意味の上で重要な言葉です。メロディーに割り当てられた長い音符は、それを強調しているに過ぎません。ところが、日本語版ではここに、「なって」、「か」と言う、それ自体では意味を持たない言葉がきてしまいます。短歌を読み上げるときには、「たごのぉうらゆぅーうちいでてぇみればぁー(田児の浦ゆうち出でて見れば)」と、余韻を引き伸ばすように読みます。日本語版の歌詞の「なって」、「か」が引き伸ばされるのは、この余韻のような感じで、意味の上で重要な言葉が強調されるのではありません。それをわきまえずに英語版のときと同じように歌うと、言葉が解りにくくなり、不自然になるでしょう。訳詞を成功させるには、翻訳者と歌手との緊密な協力が必要であることが解ります。(場合によっては、伴奏の手直し、強弱記号の付けかえなどの思い切った措置も許されるのではないかと私は思います。)

「続く」

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