音楽心理学への御招待1


中島 祥好

4 倍音の話

ヴァイオリンの開放弦でGの音を鳴らすと、大変豊かな響きが得られます。この豊かな響きに貢献しているのが、豊富な倍音です。倍音とは何かをきっちりと説明するのは難しいことで、ここでは直観的な説明しかできません。開放弦のGの音は、大体196 ヘルツの周波数を持っています。荒っぽく言えば、弦が一秒に196 回の速さで振動し、この振動が空気を伝わって私たちの耳に到達し、私たちの鼓膜も、この速さで振動します。周波数の値が大きくなるほど、耳に聴こえる音の高さは高くなり、周波数が2倍になると、およそ1オクターブ上がったように感じられる、などと言うことは、皆様どこかでお聞きになったことがあるでしょう。ところが、フーリエ分析という数学の手法を用いると、この開放弦の振動には、196 ルツの成分だけでなく、その2倍の 392 ヘルツの成分、3倍の 588 ヘルツの成分、さらに、4倍、5倍、6倍、7倍−−−の成分を含んでいることが判ります。一つの成分だけを取り出したものが、純音と呼ばれる音で、時報の「ピー」という音や、音叉の音、グラスハーモニカの音、などが純音に近い音です。純音は、ただ一つの周波数の成分だけを含む音で、大変澄んだ響きがします(数学的には正弦波と呼ばれるものです。)。Gの開放弦の音は、実は、たくさんの純音成分が同時に鳴らされたものなのです。196 ヘルツの成分を「基本音」と呼び、196x2 =392 ヘルツの成分を「2倍音」、193x3 = 588 ヘルツの成分を「3倍音」と呼びます。このあと、「4倍音」、「5倍音」−−と続きます。

 それでは、なぜ沢山の純音が耳に聴こえてこないのか、と疑問を持たれる方もいらっしゃると思います。実は聴こえているのです。耳に聴こえているヴァイオリンの音は、明らかに時報の音とは違います。その理由の一つは、豊富に含まれる倍音のせいなのです。このように、倍音は豊かな音色を作るのに役立っています。それにしても、音の高さに着目する限り、Gの音が一つだけ聴こえるのはやはり不思議だと思われるかもしれません。確かに、基本音と倍音が一つ一つ聴こえるのであれば、基本音の高さはGとなり、2倍音はオクターブ上のG、3倍音はその上のD、このあとG、B、D、F、G−−と続くはずです。と言うことは、ハ長調の属7和音(コード・ネームではG7)が聴こえてもよさそうなのですが−−−。実は、私たちの耳は、基本音と倍音との関係、すなわち倍音関係にあるいくつかの純音を聴かされたとき、全部をまとめて一つの音として聴いてしまう働きを持っています。この働きが現れるとき、音の高さは基本音の高さのところに感じられます。この辺りの聴覚の仕組みについては、いまだに論争が続いていますが、ともかく、音が一つだけ聴こえると言うことは、子供にでも判ることです。

 ここで、例によっていたずらをします。沢山鳴っている純音成分のうち、基本音、2倍音、3倍音あたりの、低い方のものをとり除いてしまうのです。あとに残った、4倍音、5倍音、6倍音−−−といった成分は、やはり一つの音にまとまって聴こえるでしょうか? 答は:その通りです。では、低い成分を取り除いた分だけ、その音の高さは高くなるのでしょうか? 面白いことに、多くの場合、とり除いたはずの基本音の高さが聴こえるのです。ただし、音色は甲高くなります。甲高くなるので、時には音の高さが1オクターブ高くなったような気がするかもしれませんが、「G」の音の高さであると言う点は変わりません。実際に鳴らされている4倍音、5倍音、6倍音と言えば、G、B、Dの音です(コード・ネームはGになります。)。これを聴かされて、もっと低いGの音が聴こえると言うのは、長三和音を聴かされて、根音に重みを感ずるのと似ています。この二つの事柄は、同じ聴覚の仕組みを反映している、と考えたのはミュンヘン工科大学のエルンスト・テルハルト先生で、これに賛同する研究者は多いようです。

 基本音が抜けているのに、その高さが感ぜられると言うことを体験するには、電子オルガンで、純音に近い高い音域の音(例えばピッコロ)を選び、C、E、G、Bbの和音(コード・ネームではC7)と、Db、F、Ab、Cbの和音(Db7)とを、交替させてみてください。4つの音を正確に同時に鳴らすのがコツです。そうすると、聴きかたによっては、和音の感じがなくなって音が一つになり、現実に鳴っているC、Dbの音よりも2オクターブ低いところで、C、Dbの音が交替しているように聴こえることがあります。

←前へ 次へ→

音楽心理学への御招待1にもどる

トップページに戻る