音楽心理学への御招待2


中島 祥好

1 言葉と音楽

 言葉と音楽とはどちらも、音によって他人に何かを伝えたり、自分の心を満足させたりする手段です。言葉や音楽がどのように始まったのか、多くの人が興味を持っていますが、このことを研究するのは、宇宙の起源を探るのと同じくらいに難しいことです。音は化石のように残りませんし、エジソンが 1877 年に蓄音器を発明するまで、音を保存する技術は全く存在しませんでしたので、研究のための材料が根本的に不足しているのです。(「音楽の起源はここにあります」などと自信に満ちて言うような人は信用しないほうが安全です。)しかし、人類の知恵の基本である言葉の始まりを知りたい、これほど心を動かす音楽がいつ始まったのかを知りたい、と言う気持ちを持つ人は、当然のことながら多いのです。そこで、できることと言えば、間接的な調査から、「状況証拠」を積み重ねてゆくことだけです。どこから手をつけるかは、人によって違いますから、推定する内容にもその違いが現れます。ここでは、一例として、私自身が手持ちの書物などから集めた「状況証拠」を列挙してみます。


1.プラスチック板などを「単語」にして、意思を伝えたり受け取ったり

    することのできるチンパンジーがいる。一部の類人猿は、記号を操作

    してコミュニケーションを行う能力を、潜在的に持っている。

2.十数万年前の旧人(ネアンデルタール人)は死者を丁重に葬っていた。

    また、数万年前の新人が描いた洞窟壁画は、その内容と出来映えなどから、

    儀式に用いられていたことが推定されている。ところで、現代では、

    どの民族においても儀式に音楽やお経がつきものである。

3.数十万年前の人類(原人)は、ゾウ、クマなどの、大型動物を、素朴な

    武器のみによって狩猟していた。何人もの人間が素早く共同作業を

    行うのでないかぎり、このようなことは不可能である。

4.子供は触ると音の出る玩具が大好きである。皆で踊ることも大好きである。

    また、子供のはやしたてる声が歌のようになることがよくある。

5.乳幼児と接する大人は、言葉の抑揚を大げさにして、歌うように喋る。

    喋り始めた子供は、歌うようにメロディーやリズムをつけて喋ることがよくある。

6.両生類から哺乳類に至るまで、多くの動物は、異性を引きつけるために

    独特の鳴き声を持っている。

7.思春期、青年期に突然音楽に夢中になる人が多い。(音楽なしでは

    暮らせない人の比率が、この年代で最も高いと言う調査結果もある。)

 「状況証拠」と言っても、一体何の証拠なのでしょうか。ポスト新人類の学生諸君からは、「言葉と音楽とが、それぞれ何年前に始まったのか、早く聞かせてください。」と無言の催促をされそうですが、勝手に自分の答えを見つけてくださいとしか言えません(これは、かつて「現代っ子」と呼ばれた初期新人類の無責任発言かもしれませんが)。私自身が確信しているのは、言葉も音楽も、数十万年前の原人が集団で生活していた頃、既に芽生えていたと言うことです。知能や、身体機能の点で優れた新人が出現したときには、現代人から見ても立派な言葉と音楽とができあがっていたのではないでしょうか。

 氷河期のような厳しい環境の中で、生き抜いて、子供を産み、育てるためには、多くの人間が、場合によっては自己犠牲を払うくらいの協力関係にあることが必要でしょう。それゆえ、言葉によって素早いコミュニケーションを行い、集団の団結を音楽や踊りで高めるような行いは、その能力さえあれば必ず現れるはずです。心を和らげ、人間関係の摩擦を少なくするにも、音楽が特別の働きをすることでしょう。(「天の岩戸」の伝説は、象徴的であるように思います。)さらに、配偶者にめぐり会い近づくために、昔の人類は、今の人類と同じように、持てる能力(モテる能力)の全てを使ったでしょう。また、異性に近づかれたことを感知することも、同じくらい重要であったでしょう。ここで、歌や踊りが一役買うことは明らかです。一方では、一人前になるまでに何年もかかる子供と親との結びつきを強め、大事なことを次の世代に伝えるためにも、歌や音楽が重要でしょう。古代の人々や、文字を持たない民族が、歌の形で歴史や物語を伝承していますが、大事なことを代々語り伝えてゆくときに、言葉と音楽との緊密な協力関係が生じた可能性があります。

 原人たちは、既に簡単な道具を作る能力を持ち、巧妙な聴覚コミュニケーションを必要とする狩猟活動を行っていたわけですから、この段階で、言葉と音楽とが何らかの形で現れていたに違いないと私は考えます。皆様はいかがでしょうか(ポスト新人類の方もぜひ一緒に考えてみてください。)。

 今回の議論は、人類学、音楽史などの専門家から御覧になればかなり粗雑であろうと思います。考古学ファンが「魏志倭人伝」を読んで邪馬台国のありかについて議論するようなものとして、大目に見ていただければさいわいです。

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