音楽心理学への御招待2


中島 祥好

12 音の常識と誤解

 よく脱線いたしますが、人間の声について、言い忘れたことがあるので、今回はその話を続けます。声帯から発する音の話をいたしましたが、人間の声にはそれ以外の音も混じっています。「ふたをしめます」と言って見てください。「ふ」のところには、唇をすぼめた間を空気が通り抜ける音が入っています。「し」、「す」のところでは、舌と硬口蓋(上の歯茎の後ろの部分)、舌と上の歯や歯茎の間を空気が通り抜ける音が入っています。ちなみに、「ます」の「す」の音には母音のないことが多く、その場合は、この空気が通り抜ける音だけで「す」と聴こえます(由緒正しい京都弁は例外で、「レレレシシシドー」のメロディーで「ふたをしめますぅ」と喋ると京都風になります。)。このような音は、ガス漏れの音と同じで、狭いところを空気が速く通り抜けるときに生ずる乱流が引き起こしたものです。葉書などの丈夫な紙に、ボールペンなどで数ミリの穴をあけて、そこに強く息を吹きかけると、このような乱流が発する音を聴き取ることができます。一方、「た」のところでは、舌と上の歯や歯茎とで出口を塞がれていた空気が、一気に飛び出すさいに、破裂の音を発生します。これは、紙鉄砲を撃つときや、結婚式場などでシャンパンのコルクを景気よく抜くときに出るポンと言う音と同じで、気圧が一瞬高くなって、空気の振動を生ずるのです。このように、話し言葉には、声帯の振動とは異なる音もたくさん参加しており、人間が、ありとあらゆる音を動員して聴覚コミュニケーションを図る様子が解ります。

 このような様々な音が、ひとつながりに聴こえると言うのは大変不思議なことで、この働きをコンピューターで模倣しようとすると、なかなかうまくゆかないようです。コンピューターで話し言葉を聴き取るくらい、とっくに実現していると思われるかもしれません。中には、コンピューターに言葉を聴き取ってもらった経験をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。しかし、静かなところで(または、マイクのすぐ近くで)、はっきりと発音するのでなければ、なかなかうまくゆかないのが現状です。「ふたをしめます」などと言う言葉を騒がしい環境で聴き取るときに、声帯の発する音と、それ以外の音とを、ひとつながりの信号として抜き出すと言うことは、コンピューターの苦手とするところです。人間の聴覚システムが、様々な音の混じりあった中から、一人の話し声だけを瞬時に抜き出すことのできる能力は、人間のすばらしさを象徴するものです。

 さらに、人間の聴覚システムは、話し言葉の一部が、強い音でかき消されてしまっても、全体としてつながった言葉に修復することができます。このことについては、以前にお話しいたしました。このように、聴覚システムは、音のメッセージを一旦捉えると、それをどこまでも追跡してゆくことができます。音楽によるメッセージが伝わるのも、このような働きによることは間違いありません。人間の声が、楽器では真似ができないくらいに、変化に富んだものであることを前回からお話ししておりますが、変化に富んだ音のつながりを、雑音の中でも追跡することのできる聴覚システムの働きが伴わなければ、人間の声がここまで複雑に発展することはなかったでしょう。

 歌詞のついていない音楽のメロディーやリズムを、意味のある言葉や擬音語に置き換えて把握することはよくあります。「ねこ踏んじゃった」と言う可愛らしいピアノ曲がありますが、メロディーと「歌詞」とがあまりによく合っているので、何度聴いても「ねこ踏んじゃった」としか聴き取れない、と言う経験をお持ちの方は多いと思います。日本語を知らないピアニストがこの曲を「解釈」するとどうなるのか、気になるところです。ジャズ・トランペット奏者のクラーク・テリーは、共演しているドラム奏者がワルツのリズムをうまく叩けないので困ったことがあり、トランペットの手を(口を?)休めたときに、あわてず騒がず、そのドラム奏者に「ワルツの秘伝」を授けたそうです。その「秘伝」と言うのは、「Who parked the car ? Who parked the car ? Who parked the car ?」です。ひょっとすると、皆様の中にもこの話しを聞いて、得をされた方がいらっしゃるでしょうか?

 私達の聴覚システムは、複雑きわまりない話し言葉(音声)を聴き取るように進化したものです。歌詞のついていない音楽を聴いたり演奏したりするときにも、どうやら話し言葉と無縁ではいられないようです。だからどうせよと話を発展させすぎるのは、いまどきの教師の悪い癖ですが、音楽を勉強する人は、ぜひ、各地の方言や外国語の発音に耳を澄ませて、表現の幅を広げてください、と言う具合に、脱線した話を偉そうにまとめさせていただきます。

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