音楽心理学への御招待2


中島 祥好

14 リズムの話

 「シンコペーション」の話をしておりました。ここで、改めて思い起こしていただきたいのは、「音に拍子が書いてあるわけではない」と言うことです。音に拍子を与えるのは、わたしたちの知覚システムです。物理的には均等な電子メトロノームの音を聴いているときにさえ、聴き続けているうちに、2拍子や3拍子を感ずることがあります。この現象は「主観的リズム化」と呼ばれ、リズムが、わたしたちが感ずることによって生まれるものであることを示す、解りやすい例です。バッハのフーガの主題には、リズムの面においても複雑なものがたくさんありますが、聴いている間に、何となく拍子の感じができあがってゆきます。ただし、この場合、バッハが楽譜に書き込んだ拍子がそのまま聴こえるとは限りません。それよりも細かい時間の単位が「拍」に感ぜられることは、私の場合にはよくあります。しかし、ともかくも「拍」が感ぜられることを、ここでは問題にいたします。

 わたしたちの知覚システムは、音に、例えば「(1と)(2と)...」と言うような時間の目盛りを刻んでいることになりますが、一体、何を手掛かりにして、このような目盛りを付けることができるのでしょうか。物差しで長さを測るときのように、途中の音とは無関係に、拍子の目盛りを当てはめることもできるはずですが、知覚システムは、決してそのようなことはいたしません。鳴っている音に当てはめる努力をしながら目盛りを刻んでゆきます。ここまでは、あたりまえの話です。しかし、事はそれほど単純ではありません。「鳴っている音に当てはめる」と言うのは、具体的にはどのようなことなのでしょうか。「カッカッカッカッ」という時計の音に、「1、2、1、2」と2拍子を当てはめて聴くことがよくあります。ところが、2拍子の階層構造「{(1と)(2と)}」の二つの「と」に着目して、「カッカッ」に「と、と、」を当てはめて聴くことは、ほとんどありません。なぜでしょうか? 私の腕時計は、1秒に1回の割合で「カッ」と鳴りますが、試しに、「1と2と」の下線の「と」に「カッ」が当てはまるように聴いてみると、それほど難しくはないことが判ります。それにもかかわらず、このような聴こえかたは、わざわざ試みなければ、決して生じないのです。

 リー先生の考えかたは明快です。そのポイントは、わたしたちの知覚システムが「シンコペーション」を嫌う、と言うことです。「カッカッ」に「1、2、」を当てはめると言うことは、「{(1と)(2と)}」の階層秩序を守ることになります。これに対して、「と、と、」を当てはめると言うことは、「(と2)(と1)」という形のシンコペーションを生みだすことになります。

 リー先生は、人間が拍子を聴き取るときの様子を、コンピューター・プログラムのような形で表現しています。このプログラムに、たとえば「ほたるの光(もともとはスコットランド民謡)」の音符のパターンを与えると、「ほたるのひかり」の「ほた」の間隔が、初めて現れる時間間隔となるので、目盛りの間隔として「試しに」採用され、時間の上に刻まれてゆきます。その結果、目盛りではないところで始まった音符が、次の目盛りを乗り越えてしまうような「シンコペーション」の生じないことが判るので、「本採用」となります(厳密に言うと、目盛りではないところで始まった音符が、直前の目盛りのところで始まった音符よりも長ければ、「不採用」になりますが、この部分の考えかたは複雑です。)。次に、ここで採用された目盛りの間隔よりも長い音符を探すと、「ほたるの」の「た」が見つかります。そこで、「た」の始まりから、「の」の始まりまでを、一段階大きな目盛りの始まりとすると、「ほたるのひかーり」の両端を除く部分が「ほ<たる><のひ><かー>り」と<2拍の単位>に分かれます。この場合、この単位の途中、つまり階層秩序のうえで低く位置づけられる時点から始まった音符が、次の<2拍の単位>に突入してしまうような「シンコペーション」が生じません。ところが、もし冒頭の「ほ」から始まる2拍を<2拍の単位>とするならば、「た」の音符がシンコペーションになってしまいます。プログラムは、そのような解釈をしりぞけ、シンコペーションが現れないような、拍の取りかたをうまく見つけてくれるのです。

 このプログラムは、なじみ深い西洋音楽のリズムを、多くの場合うまく処理することができます。しかし、うまく行かない例を見つけることはたやすく、その点を改善することは骨の折れる作業です。「シンコペーション」に着目したリズムの理論は、これまでもやもやとしていたリズム知覚の世界に光を投げかけてくれましたが、その光の向こうには一層入り組んだ原始林のような世界がありそうです。

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