音楽心理学への御招待2


中島 祥好

16 リズムの話

 リズムが音楽の根本であることは、音楽が好きな人なら誰でも知っています。ところが、リズムの研究は簡単ではありません。その理由の一つは、リズムについては楽譜を見ただけでは解らないことが多すぎるので、楽譜を材料にして研究を行うことが難しい言う点にあります。

 和声やメロディーについては、ある程度楽譜の上でも研究ができるでしょう。特に、和声については、楽譜の上でもある程度の話が解る「和声学」というものがあります。和声学には、日本語では「学」の文字が付きますが、実証的なデータを抜きにして結論を出したりするので、どうも「和声法」が適切な名前ではないか思います。それでも、和声学の「学」の文字が生きのびているのは、和声学の書物に楽譜の例がたくさん出ていて、ピアノで弾いたりしているうちに、何となく納得させられるからでしょう。

 リズムでは、なかなかこう言うわけにはゆきません。私は、前回例に挙げた巨匠オスカー・ピーターソンが、スタンダードの名曲「一晩中踊れたら」を演奏しているCDを持っています。その演奏は、伴奏の付かないピアノの単旋律で始まります(背後にリズムを取るようなかすかな物音が入っていますが)。ところが、この単旋律のところで圧倒的なリズム感に引き込まれてしまうのです。私は実験心理学者ですので、教室にこの演奏のテープを持参し、学生を実験台にして、即席の実験をすることがあります。と言っても、大変なことをするわけではありません。講義でリズムの話をするときに、細かい説明をとばして、いきなりこの演奏を聴かせるのです。私は、こっそりと(のつもりで)学生の様子を観察します。そうすると、たくさんの人が、リズムに合わせて体を動かし始めます。目をつむっていい気分になっている人もいます。残念ながら授業用のテープは、すぐに終わりになります。ここで、私が言いたいのは、オスカー・ピーターソンが、よく知られたメロディーを伴奏なしで弾いたときでさえも聴かせてしまう、あのひたすら前進するリズムは、決して私一人の思い入れの産物ではないと言うことです(ちなみに、私にも思い入れのあるジャズのピアニストがいますが、それは別の人です)。このオスカー・ピーターソンのリズムを研究するのに、楽譜だけですませると言うわけにはゆきません。細かい音符やスタッカート、アクセントが一杯ついた楽譜をいくら眺め回しても、体が自然に動いてしまうような感じがどこから来ているのかを突きとめるのは難しいでしょうし、第一、誰が見ても解るような楽譜を書くまでが大変です。それでは、私の教室で学生が経験するように、いきなり演奏を聴けば良いのかと言うと、そう言うわけにもゆきません。演奏を聴くのは、もちろんすばらしいことですが、それだけで学問的な研究に耐えるようなデータが得られるのであれば、音楽の研究をするにはひたすら演奏会に行ったり、CDを買いこんだりすればよい、と言うことになります。どうもそんなにうまい話はないようです。

そこで、リズムの研究をするには、録音された演奏を材料にして、様々な物理測定を行うことが必要になります。しかし、物理測定と言っても、卵の目方を量るように単純ではありません。まず、何を測ればよいのかを決めなければなりませんし、次に、それをどのように測るのかを考える必要があります。リズムについては、差し当たり、「音の長さ」、「音の始まりから次の音の始まりまでの時間の長さ」、「音の強さ」を測ればよいと思いますが、実は、この一つ一つの項目について、大きな研究テーマができるくらいに大変な問題が生じます。「音の始まりから次の音の始まりまでの時間の長さ」を例に取りますと、まず音を目に見える形で表示し、次に、「音の始まり」が表示されている部分を見つける必要があります。しかも、その時刻を精密に定めなければなりません。これは、現在でも大変難しい作業です。声楽などの場合、殆ど不可能に近い場合も多いでしょう。

 この分野では、1970 年代の初めに、北欧における最古の大学であるウプサラ大学で、音響心理学の大御所であるアルフ・ガブリエルソン先生が、先駆的な研究を行いました。その測定装置は、心電図などを記録するジーメンス社の医療用測定器を改造したもので、お世辞にも使いやすいとは言いかねるものですが、人のいやがる作業を間違いなく積み重ねることは、科学者として成功する早道です。ガブリエルソン先生は、これで成功しました。その研究内容については次回にお話しいたします。

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