音楽心理学への御招待2


中島 祥好

23 リズムの話将

 同じ長さを表す短い音符が2つ続く場合、2つめの音符が伸ばし気味に演奏される傾向があると言うことをお話しいたしました。愛知教育大学の村尾忠廣先生もこのことに注目しておられますが、前回紹介した仮説とは異なり、演奏者の動作上の制約からこのような時間構造の歪みが生ずると考えておられます。打楽器演奏の場合はっきりするのですが、短い2つの音符の次の長い音符をはっきりと演奏するためには、大きい動作が必要になり、直前の音符が少し伸びてしまうと言うものです。私は村尾先生にときどきお会いするのですが、この仮説について初めてうかがったのが、時間縮小錯覚を発見する以前のことであったため、この問題について先生と議論したことがありません。どうも、狭い日本の中で不手際なことでした。この前ソウルで開かれた国際学会でも、村尾先生にお会いしたのですが、先生がいきなり韓国の酒の話を始められたので、ついつい話がそちらに流れてしまいました。まあ、酒好きの人間と言うのは大概こう言うもので、先生を訪問するとまた同じパターンにならないとも限らないので、この場をお借りして、私の考えかたをまとめてみたいと思います。

 どのような楽器であっても、人間の声の場合であっても、相対的に長い音符の直前は、少し動作の準備が必要でしょう。実際の音楽では、相対的に長い音符が拍の始まりを示すことが多いので、一層この傾向が強くなると思われます。従って、村尾先生の考えかたが成立する可能性は高いと思います。しかし、その場合でも、演奏されたリズムを聴いたときに、短い音符が2つ並んでいるうちの2つめのほうが長すぎると感ぜられるならば、そのことが、自分自身や教師などを通してフィードバックされ、修正されてゆくのではないでしょうか。実際に、修正される場合があることは、村尾先生も考えておられたように思います。しかし、このような演奏のずれが控えめに生じている場合には、伸ばし気味の音符を聴いても、修正する必要があまり感ぜられず、ずれた演奏が生き残るのではないでしょうか。2つめの音符が物理的にやや長めであっても、時間縮小錯覚が生じて、物理的な測定値に見られるほどには長く聴こえないとするならば、確かに「修正する必要があまり感ぜられない」と言うことになります。

 前回紹介した「安全策」の考えかたが正しいのか、いま述べた「未修正」の考えかたが正しいのか、いまのところはっきりしません。「未修正」であることが同時に「安全策」であるのかも知れません。どちらの考えかたにも共通しているのは、演奏の動作が多かれ少なかれ不完全であることが関連していると言うことです。また、短い音符のうち2つめのほうがやや長めであっても、あまり気にせずに聴くことができると言うことです。私自身の守備範囲は知覚心理学ですので、この2点のうち、後のほうを確かめる必要があります。しかし、知覚心理学の伝統的な手法では「長さの違いが判るかどうか」と言うことは実験によって確かめることができますが、「長さの違いが気になるかどうか」と言うことは、意外に調べにくいのです。

 このような研究のアイデアについては、ライバルの研究者に聞かれると困る場合もあり、大学の授業でも話さずにすませることが多いのですが、今回の件については、他の研究者が問題を解決してくれるならば大歓迎です。(ライバルに難題を押し付けているようにも見えますが。)

 話をややこしくするようで申しわけありませんが、時間縮小錯覚に関して、これまで触れてこなかったことが一つあります。数ミリ秒程度のごく短い音が次々に3つ示されるときに、2つの「空虚時間」ができますが、このうち1つめの空虚時間に比べて2つめの空虚時間が少し長い場合に、2つめの空虚時間が過小評価されると言うのが時間縮小錯覚です。ヘルト・テンホーペン、佐々木隆之の両先生と私とは、共同研究によりこの現象に関するデータを蓄積しています。もちろん、我々教官とともに働く学生諸君の努力が大きいことは言うまでもありません。恐らく、実験室で実際にデータをとった時間だけで、のべ1万時間くらいに達しています。自慢するわけではありませんが、データの信頼性を充分にチェックしていることを分かっていただきたいのです。そのデータの全体を見渡すと、物理的に等しい長さの空虚時間が2つ隣接するときにも、2つめの空虚時間が過小評価されるようなのです。例えば、100ミリ秒の空虚時間が2つ隣接すると、2つめの空虚時間が数ミリ秒程度過小評価されるようです。この程度の時間の長さの違いは、人間が聴いて区別できるかどうかと言う微妙なものですので、1〜2回実験を行っただけではよく分からないのですが、大量のデータのおかげで、このような過小評価があるとはっきり結論することができます。そうすると、短い2つの音符が隣接するときには、2つめの音符をやや長めに演奏したほうが、むしろ正しい演奏であると言うことになってしまいます。そんなおかしいことがあってよいのだろうかと言う気もするのですが、こうなればデータを更に積み重ねる以外にありません。さしあたり、時間を区切る音の長さ、高さ、強さなどを色々に変化させて研究を続けています(学生諸君が自分でアイデアを出しています。)。

前へ← 次へ→

音楽心理学への御招待2にもどる

トップページに戻る