音楽心理学への御招待2


中島 祥好

26 日本語の歌 

 日本語の発音、語調を、西洋風のリズムに乗せるときに、難問となるのが、促音「っ」と、撥音「ん」との扱いです。これに、「えー」などと表される長音を含めて、日本語の「特殊拍」と呼ばれ、外国語話者が日本語を学ぶ時に苦労するところとされています。なぜか外国人がまっさきに覚える「ちょっと待ってください」が「チョトマテください」になるというのは、実際に経験された方も多いのではないでしょうか。昔本当にそのように歌って(歌わされて)いる外国人歌手がいて、ほほえましい例でしたが、「ビールください」が「ビルください」になったり、「おはようございます」が「オハイオございます」などと変わると、随分気の大きな人だと誤解されかねませんし、「担任の先生」が「他人の先生」になると、何となく水臭くなり、「『キャッツ』は見ましたか」が「キャツは見ましたか」になったりすると、こんなガラの悪い言葉をどこで覚えてきたのかと思われるかもしれません。たとえ外来語であっても、日本語の文脈では、日本語のリズムに従わなければ言葉としての用をなさないのです。

 逆に、日本語話者が外国語を学ぶときに、このような日本語の特殊拍が邪魔をすることがあります。私自身が中学生の頃の経験ですが、「happen」と言う英単語を「ハップン」と読んでいたために、英語の「happening」からきた「ハプニング」と言う言葉に関係があると気づきませんでした。外国にちょくちょく出かけるようになってからも、「ヘマ」が「ハンマー hammer」のことなのかと驚いたり、「Happy birthday to you.」を「ヘァッピバースデイ−−−」と思いきり「ッ」を入れて歌わなくても大丈夫と言う「大発見」をしたり、「チョトマテください」の世界を経験しております。こう言った問題点は、意識して減らすようにしているのですが、どうも根深いものがあるようです。

滝廉太郎作曲、武島羽衣作詞「花」は、代表的な日本語歌曲で、殆どの方が教室などで歌った経験があると思います。この曲の最後の方の歌詞は「げに一刻も千金の/ながめを何にたとふべき」となっており、新仮名遣いで仮名書きすると「げにいっこくもせんきんの/ながめをなににたとうべき」となります。「いっこく」が、「亥刻」、「異国」、「E国」などに聴こえないようにするためには、「い」が短く、無音部分「っ」が長ければよいのですが、「いっ」の部分に、4分の2拍子の付点8分音符と16分音符とが当てはめられており、「い」を16分音符にまで延長しないと、この音符がなくなってしまうので、無音部分「っ」は、ただでさえ短い16分音符の後のほうに入れざるをえません。無音部分が長すぎると、この16分音符がぶっきらぼうに聴こえるでしょうし、短すぎると 「いっこく」という言葉が聴こえないと言う、歌手にとっては、技量を試されるところではないかと思います。日本語歌曲には、このような促音「っ」がたびたび現れ、さまざまな問題を生じています。「鉄道唱歌」にいたっては、「汽笛一斉新橋を」の「いっせい」の促音に4分の2拍子の16分音符が当てはめられており、しかも「い」と「っ」との音高が等しいので、この16分音符を実際に歌うことは不可能です。それでは、どのくらい無音の時間を挟めば促音に聴こえるかと言うと、歌に関しては実験データを見たことがありません。日本語では、促音が言葉の強調に使われることが多く、古くは「あはれ」が「あっぱれ」となった例があり、新しくは、「ださい」が「ダッセー」になったりしているので、この問題は思いのほか重要です。日本語の歌について実証的な考察を行うためには、「どのような物理条件で、促音が聴こえるか」についての研究を避けて通るわけにはゆかないでしょう。

 日本語歌曲の長音についても、実証的な研究があまりなされていないのではないかと思います。「夕焼け小焼けで 日が暮れて」(中村雨紅作詞、草川信作曲「夕焼け小焼け」)は、おそらくわらべうたをヒントにして作られた歌ではないかと想像いたしますが、この曲においては、「ゆう」が2モーラであり、「や」、「け」などが1モーラであることが、音楽のリズムにはっきりと示されており、「ゆう」が長音であることが、はっきりと聴こえます。一方、「夕焼け小焼けの 赤とんぼ」(三木露風作詞、山田耕筰作曲「赤とんぼ」)の場合には、「ゆう」よりも「や」のほうが、譜面の上では長くなっていますが、「ゆう」のところで音高が上昇しているので、東京方言の「夕焼け」の最初の2モーラの感じになり、「ゆう」が長音であることが、聴き取られるものと思われます。このような、作曲家が直観的に選んだ手段に対しても、今後科学のメスを入れることが望まれます。

 撥音「ん」は、歌手にとって鬼門です。「ん」が一つの音符を占めていると、声を響かせにくい上に、音の高さが下がり気味になります。「ん」を短くするために、直前の母音をそのまま引き伸ばして、音符の最後に少しだけ「ん」を付ける場合もあるようですが、これは、日本語の特性を無視した姑息な手段であると言わざるをえません(合唱などでは、それでもやむをえない場合があるとは思いますが。)。

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