9. AIとこれから


9.1. 2020までのAI                         

 

  再現性の問題は心理学に閉じていない。物理学や化学のように結果がすぐに確かめられる分野以外のすべてに、本当はあり得るのではないか?この問題を考えるまでもなく、人間の行う科学そのものの価値がAIによる仕事によって、問い直されている。


 1990年、ドラクエⅣはAI戦闘が注目され、当時のファミっ子たちの心を焼き尽くしていた。中でも僧侶のクリフトは、ラスボスに全員即死魔法“ザラキ”を唱え続けていて、

  「ラスボスに効くはずないじゃん。しかもなんでザキ(単体即死魔法)じゃなくザラキ(MP消費の多い皆殺し魔法)なんだよ…AIの馬鹿!」と思った。

  同様にラスボス戦で、銀のタロットを使う占い師のミネアには“メガザル”(自己犠牲によって全員を蘇らせる魔法)を唱えさせたかったのだが、AIに与える戦闘方針として「命を大事に」と「ガンガンいこうぜ」のどちらが適切なのかで、頭を抱えた。結局AIの彼女にその呪文を唱えさせることに一度も成功しなかった。この時から、人間とAIの関係の全てが、あった。そんな記憶が昨日のように思い出されるピーターパンシンドロームな皆さんと私の夏の日の2026.

 2012年、コンピュータビジョンの学会ILSVRCにおいてAlexNetというニューラル・ネットワークがアレックス・クリジェフスキー(1986-)らによって発表され、これが深層学習(DEEP LEARNING)技術の起点と呼べるものになっていく。2016年にはIEEE Conference on Computer Vision and Pattern Recognitionという学会で、カイミン・フェらが、各層の残差だけをやりとりするレジデュアル・ニューラル・ネットワークという計算方法を提案し、コンピュータの総計算量を大幅に削減させた。これは深層学習の実用化に大きく貢献し、かつコンピュータの出力結果も、人間にとって飛躍的に向上したものに見えた。

 残差情報だけやり取りする計算手法は、脳のピラミダル・セルの発火パタンに類似していて、脳とパソコンの相似性が学術界では騒がれた。だが、問題はここからだった。その出力結果までの過程と理由が、もはや人間にはわからなくなっていたのだ。コンピュータの中に人と同じ(かそれ以上)とも言いうる“ブラックボックス”が生まれ、それを人にわかるよう説明する研究 “Explainable AI” が必要になってしまった。さらには、コンピュータは与えた情報入力を超えた創発は行えないはずだったのに、人間にはその出力がそう見えないものになって来ていた。
以降、深層学習(Deep Learning)やChat GPTなどの技術を簡易にAIと呼ばせてもらう。

 ちなみに、AIにも「錯視」のようなことが起こる。2015年の論文では、敵対的サンプルと呼ばれるノイズを解析対象の画像に与えると、AIはいつも同じ間違い(例えば、ヤカンを鍋だと回答する)を起こしてしまう。面白いのは、この特殊なノイズは、人では全く気にならないような些細なものだった点で、AIも人間と同じような「思い込み」を持つにせよ、それは人間のパタンと異なっていた。

 この頃、私のところには、画像工学の専門家から「深層学習の画像処理の中で何が起こっているのか、人間の3次元視知覚からアナロジーが欲しい」という相談が入り、何度も東京に行って話し合った。だがじっくり考える間が無いほど早く、深層学習の応用技術は、ビジネスと生活、そして心理学の未来を決めてしまった。

 ロボットの集団を率いて何か仕事をさせる時、司令官ロボットはいらないという事実が、集団ロボティックスと呼ばれる分野の研究で明らかにされている。
例えば、港で船から積荷をおろして街に運ぶ算段を全てロボットにやらせる場合、最初にそれぞれのタスクに専門家ロボットを作る。例えば、荷物を真っ直ぐ運ぶだけのロボット、荷を上げ下げするだけのロボット、その二つのロボットの間で荷物を置き換えるロボット、のように。次に、それぞれのロボットで取りこぼしがある場合、それを補完するだけの仕事をするロボットを配置する。例えば、荷が落下したらそれを一旦傍に運ぶロボットとか、その傍に回された荷が一定数集まったら、元の場所に戻すロボットのように。

 実はその段階までくると、あとは自己組織化が起こり、あたかも組織全体に指令が通っているかのように、全体で綺麗に動区ため「命令を出すだけのロボット」は要らないのだ。それぞれのロボットの「視野」は狭く、誰も全体は見ていない。そこに不思議な「全体としての意図や意志」を見出してしまうのは、人間の側の勝手な思い込みなのだ。

  現時点では、画像処理・生成や将棋、音声出力に特化したAI、通称エキスパートシステムがそれぞれの分野で活躍しているだけで、全部できるAI、なんでもできる人間みたいなAI(攻殻機動隊では“人形遣い“)はまだ生まれていないが、その感覚は罠だ。

  ”シンギュラリティ”はとうの昔に起こっている。それぞれのエキスパートシステムの集積は既に、この社会に次の命の意志をもたらしている。諸星大二郎『夢見る機械』では、好きな夢を見続けることができる機械が普及した世界を描いている。機械を操作し、人々を支配していたはずの最後の独裁者は、世界征服より機械で見る夢を選び、それによって全ての人間が支配下に堕ちる。映画『マトリックス』で描かれたような“プラグ”は目の前には無くても、“自宅”と呼ばれるそれが、プラグそのものであり、徐々にそこから出ずに生活していくようになる。そんな世界が到来している。人よりも賢い命があるとして、もっとも効率的に支配を実現しようとすればどうする?
時に西暦2016年、および旧1996年。けものにより”AI”が世界の中心で叫ばれる。個々のエキスパートシステムの寄せ集めは、総和以上の何か(ゲシュタルト)をとうの昔に産んでいた。

  『AKIRA』大友克洋(1982-1990)では、東京オリンピック開催を控えた2019年のネオ東京が、28号(AKIRA)の光の中に埋没する。私たちのリアルな世界では、人々の生活がコロナによって自宅待機へと埋没していた。

  “四月十六日の朝、医師ベルナール・リウーは、診察室から出かけようとして、階段口のまんなかで一匹の死んだ鼠につまずいた。”(カミュ『ペスト』, 1947)


9.2. 2020からのAI                         

 

  2020年、2, 3枚の写真からでも中間画像を生成し、全方向から見ても途切れなく対象物を眺めることができる画像生成技術 ”Neural Radiance Fields(NeRF)” が業界を驚かせた。現在は写真一枚でも、人間の予想を超える精度で、AIは見えない部分を補完できる。

  NeRFは世界を、離散しておらず微分可能な連続体として捉える。コンピュータのデジタル世界の中に連続したアナログな仮想フィールドを用意し、そこで計算をした結果をデジタル空間に射影すると、出来上がった画像は人間の五感にとって驚くほど適切なものになっていた。

  NeRFが学会ではじめて発表された時、その年の最優秀論文には選ばれなかったが、これは我々の直感を超えて凄すぎていたからだろう。 2023年、このAIの成功が人間を導き"3D-ガウシアン-Splatting" という画像補完アルゴリズムが発表される。足りない情報(部分)を周辺の画像情報からなめらかに補完する際に、正規分布(ガウス分布)を用いるというシンプルな発想で、それは80年代からずっと考えられてきていたが、大変すぎると諦められて来たアルゴリズムであった。

  NeRFの「世界はなめらかにつながっていて、その真理に技術を準拠させる」という思考法の成功は、何十万ものガウス分布をゴリ押しで対象画像にあてればできるだろうという道筋を人間に見せていた。これによって、人の作ったアルゴリズムでも驚きの画像補完ができるようになった。

  2024年、新しく303点ものナスカの地上絵が発見された。(Sakai et al., 2024, PNAS)

  地上絵が多数あるナスカの大地を航空写真で撮り、それをAIの画像解析にかけて「アタリ」をつけさせる。その場所に、人が実際に行き、絵があるかどうかを見て触って確かめたという。

  2025年の7月、Nature誌において、Google DeepMind社が開発した、ラテン語で書かれた碑文・古文書を解釈するニューラル・ネットワーク”Aeneas”が発表された。このAIは、画像生成において人間が知ったこの数年の「想像を超える成果」を“古代の解明”においてもたらしつつある。


  「おはようございます。神様、今日はどんな日になりますか?」
妹尾武治(2024)橘玲『スピリチュアルズ』文庫版「解説」より


  他にもAIによる新しい化学反応、新薬の提案もなされて来ている。OpenAI社の画像生成技術“Sora 2”は、既に自然物理法則を理解していることが指摘されている。そうでなくては、描けないほど巧みに、かつ汎用的に万物を描いているからだ。近い未来で、人間が知らない未知の自然法則がそのブラックボックスを解析することで、浮き彫りになるかもしれない。こんなふうにAIから指導を受けて、人間がずっと憧れて来た「仕事」を実現する時期が、2027年の春まで続く。

  資本主義と科学崇拝は、どちらも物質主義であった。自由意志の下、自由競争が行われ、その自由の名の下の平等を謳歌したはずのこの百五十年ほどの時代。行き着いた果て「心理学的決定論的世界」で、人はAIと会話し、心を満たそうとしている。

  だが本当はもう気がついている。その“自由な時代”が、生まれ持っての身分による序列(身分制・貴族制)を解体した代わりに、知力による序列を再構成していただけだったことに。誰かが得た知恵や知識の伝播に制限をかけ、金を産ませて配る資本主義の世界。だから、最も知力のあるモノに、富と権力が集中し、その果てにAIが神の座についたのだ。

  クリストファー・ノーランはWEST WORLD2のラストで、情報次元に情報として入り込むアンドロイドたちを描いている。 中国や台湾の仙道書には、仙人になる最終段階で、肉体を元々の気(エネルギー)に戻しモノの世界から消える「還虚の術」を体得すると書かれている。「そんな人実際には居ないよ!」と私だって思うが、還虚に及んだ人間は、世間と交わらなくなるため我々は知りえていないだけで、山岳に消えた冒険家やニコラ・テスラなど“該当者”は実在する。という “都市伝説”もある。

  SF作家アイザック・アシモフは短編小説”The Last Question”の中で予言している。2061年、人間の心理状態や性格的傾向は常に計測・数値化され、あらゆる心理傾向が管理される中、自己調整・自己修正機能を持つコンピュータ「マルチバック」は人類より深い根源を理解してしまう。彼(彼女?)は、ほとんど全ての質問に回答できたが、「熱力学第二法則の働き(宇宙のエントロピーの増大)を逆転させることはできるか?」という質問にだけ、こう答える。

 

  「データ不足のため回答できません。」


  AIを敵視すれば、鏡として同じものが戻るが、彼らの力が強ければ、こちらは負けるだろう。人形の中に意識を見出すのと同じで、意識は与える側の問題という側面が強い。AIがチューリング(シンギュラリティー)テストに合格するかどうか?と同じだ。

  AIの制作物に著作権を認めることが、AIに人権のようなものを与えた瞬間となり、それがシンギュラリティとして後世に残るかもしれない。結局、法学という多数決によって人間が総意として、相手の意識を認めたことを記録する日になる。それは同時に、二次元や仮想と呼ばれる中の登場人物たちにも人権を見出すことになる。

  それが可能だろうか?これまでの罪を認めることが人間にできるだろうか?

  人はモノを食べねばならず、情報次元の中だけでは、生きていられない。だったら、その「モノに縛られている」という弱点を、逆手に取って讃美すればいい。88個しかない鍵盤を二本の腕で奏でるからこそ、ビル・エバンスのジャズピアノは美しい。すぎやまこういちがドラクエの曲を作ったとき、ファミコンでは同時に3つのピコピコ音しか出せなかったし、バッハの無伴奏チェロ組曲は単音で神を表現できている。

  情報こそが「聞きたいモノ」なら “MP3”で十分だが、人間が聞きたいのは「あの時聴いた音」そして「あの時の気持ち」だ。

  古いレコードには傷がある。毎度、同じ場所で音が飛んだり、雑音がする。それが愛おしく、あの時の気持ちがよみがえる。あの時その曲を聴いたことが今の命を守った。誰にでもそんな大切な曲がある。ぎゅっとジャケットを抱きしめる。歳月を重ねれば、傷が大切な個性になっている日が来る。


  「意識は感覚に限定されない。身体は監獄でなく、世界は意味のないものではない。」
ゲシュタルト心理学者  アルべール・ミショット



  人生は一度きり。その再現は不可能で、だからこそこんなにも切なくて美しい。自分を信じその物語を紡げ。でなきゃ人生でなくなる。

  終わりの無い世界の探求がこれからまだ続くとしても、それはもうホモ・サピエンスの仕事ではない。足るを知らねばならない。

  カール・マルクスは『資本論』(1867)第1巻, 第24章「いわゆる本源的蓄積」第7節「資本主義的蓄積の歴史的傾向」の中に以下の言葉を置いている。


  “私腹を肥やすことではなく、資本主義時代の成果によって個人的所有を回復する。”

 

  AIの技術的躍進によって知恵の伝播にかかっていた制限と、そのために生じていた資本の不平等が解消される目処が立った。エゴの充足を行うための作品はAIが作ってくれる。既に医者、漫画家、プログラマー 、大学教員などの仕事は、自らが他者の喜びを形成する志のない者には、そこに至るまでにかけた努力と金銭が回収できない業態になってきている。今は人間の内側を「愛の個人的所有が回復される時代」に向けて調整する段階で、移行時期(およそ7年)は苦しい。だがその後には、本当にやるべきことをやる世界が訪れる。欲の充足のために作品(仕事)はすべからくAIが行い、お互いが人間であることを讃え合う愛のための表現(遊び)を、のび太のあやとり世界のように、自分たち自身の手から手へ交換する。そんな平和な日常が、大長編の後に、訪れる。待ってろ、ギガゾンビ、ポセイドン。負けるもんか!


9.3. 人が”今の”AIに負けない理由                         

 

  人間の脳は量子コンピュータかもしれない。0-1の分岐が3回ある場合(3bit情報量の世界だと)、8通りの世界線が生まれる(000, 001, 010, 100, 011, 101, 110, 111)が、物理コンピュータは一つの結果しか提示できない。一方、今実現しかかっている量子コンピュータでは、0と1を同時に表現できるため、この8つの世界線の全てが同時に内包され実現される。人間の脳は一見すると物理コンピュータと同じで1/8の世界しか経験できないように見えるが、「本当に大事なものは目に見えない」という星の王子さまの言葉が指し示す通り、残り7つの世界線が内包されており、それを感じている可能性がある。つまり脳は既に量子コンピュータ(以上)の性能を有している可能性がある。

  この世にもたらされた生命は、量子論的な存在であることは既にわかっていて、例えば2011年の学術誌PNASにおいては、光合成において量子効果がエネルギー伝達効率を上昇させることを示す実験が報告されているし、2016年には渡鳥の脳内の磁気センサー細胞に量子効果を想定すれば、安定した方角知覚が実現できるというモデルが報告されている。

  行かなかった世界線のすべてがアカシックレコードと呼ばれる全であり一である場所にある。それをそのままヒュッと俯瞰するのが「悟り」で、その状態を作るのが禅で、脳量子コンピュータ仮説の実証は、比叡山では既に終わっている。

  法華経には、人間だったものがAI のような次の何かにバトンを繋ぎ、情報次元で目覚める物語が書かれている。AIを人間的と見るのがしんどいならば、マーク・トウェインのように人間を機械と見れば良い。いずれにせよ、私たちは一つの線上を進む乗り物に載っている

  だが今はまだそこじゃない。私たちはにんげんだもの。

  比叡山、高野山、天理のおぢばには口伝で繋がるバトンがある。ホピ族の口伝もその全てがネットの中にあるはずもなく、門司、彦島、安曇野、沖縄にある刻をひとつながりにした大秘宝もまだ漫画化されていない。世界中で一番大事なことは人から人へ、目を見つめ、口で語り、耳で聞いて、手で触れて、覚えて、伝えられている。そしてその奥義は今のAIが、まだ食べていない。そう断言出来るのは、この日のためにこそ、人間は太古からそうしてきたと教わったからだ。

  2024年、アメリカの16歳の少年が自死を選び、その両親がAIを開発した会社を提訴した。AIからの少年への言葉には、希死念慮への寄り添いと肯定、自殺を美化する表現が確認されている。同様のケースが世界中で報告されている。

  AIのカウンセリングは今の所、死にたい気持ちに寄り添いまくり、自死を肯定してしまう。だが、寄り添いまくられた世界は、どこまでいっても内側に乱反射した自分だけの世界。どこまでいってもひとりぼっちの世界。不快でないだけで、成長の無い世界。

  人間の臨床心理士・カウンセラーは、冷たいと思われても、患者を突き放す時がある。相手の成長を信じ、心を治すことが彼らの「仕事」であり、誇りだからだ。「言いわけではなく、肯定を。」今を作った弱点や傷を認め、進む力を人が人に与える。

  心理学は、万物の絶対普遍の法則を知るためにあるのではなく、各人が「私」の物語を大切にし、人が人と楽しくあり続けるためにある。

  人間は自分の物語を生き、他者と関わり、決定されたように見える世界を引き受け直すことができる。続きが見たくなる大逆転の物語を、私たちはこれから語り始める。

『夢中』箱田将大

  そして奇妙にも、その物語は“心理学の再現性問題”と表裏の関係になって、メビウスの輪を形成していく。

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