6. 別の世界線
2025年、日本心理学会の刊行物『心理学ワールド』の108号(【特集】行動主義を見つめなおす)の巻頭に、長年日本の知覚心理学をリードしてきた京都大学教授の視覚科学者の西田眞也は、『心理学を専攻してみたけれど』という文章を置いた。その中で彼は「いまの心理学に不満を懐く若い皆さんが独自の心理学を切り拓いていくことを切望しています。」と書いている。
その24年前、 広島で行われた“知覚コロキウム”という学会で、私とは比較にならないほど「面白い研究」が、慶應大学の小松英海によってなされていた。「動くものの知覚」という研究では、"じゃれっこモーラー"というランダムに動く電動ボールに毛の尻尾がついたおもちゃを被験者に見せ、その時感じた「生き物感」や「運動印象」を、口頭で自由に報告させ記録していた。数値的なデータは乏しかったが、直感的に、一番大事なことをされていると思った。ゲシュタルト心理学、ギブソニアンアプローチ、実験現象学を活用し、脳に頼らない独自の心理学を歩く小松は、本当の勇気を見せてくれたロマンティックな科学者だった。
6.1. ゲシュタルト心理学
20世紀初頭のドイツには、心を要素に還元せず全体として捉える心理学が、もう一つの可能性として生まれていた。
ヴェルトハイマー、コフカ、メッツガーらが立ち上げた“ゲシュタルト心理学“と呼ばれるアプローチだ。ゲシュタルトはドイツ語で「形」を意味し、構成主義や行動主義心理学へのアンチテーゼとして「なんらかの全体性、包括的な心そのもの」へのアプローチを志し、心理学界に静かに存在し続けることになる。

上図は、カニッツァの三角形と呼ばれる錯視である。物理的には3つのパックマンと3つの折線から構成されているのに、知覚上は3つの黒円、黒縁の白い三角形、主観的に形成される透明な輪郭に囲まれた白い円弧の三角形が現れていると思う。個別の要素をバラバラに知覚せず、全体的包括的理解として知覚が形成される「不思議」。そのゲシュタルト心理学の問題意識がここに端的に示されている。ちなみに、複数のものを「ひとまとまり」に知覚する心の働きを「群化」と呼ぶ。

「二つの波」「二つずつの円が一列に並んでいる」のように群化が自動的に起こる。
ゲシュタルト心理学の中で、最重要な実験テーマは1912年マックス・ヴェルトハイマー(1880-1943)が「運動視に関する実験的研究」という論文のなかで報告した仮現運動である。

立命館大学, 北岡明佳 HPより転載.
真っ白な画面の左端に黒い丸が描かれていて、次の画面では、右端に黒い丸が描かれ左の黒丸は消えている。この二つの画面を交互に繰り返して提示すると、黒丸が左右に飛び跳ねて動いて見える。この運動知覚を仮現運動と呼んでいる。
19世紀のヨーロッパでは、ドラムの内壁に絵を配置し、それを回して細いスリットから見てアニメ動画のように楽しむ“ゾートロープ”というおもちゃがあり、ヴェルトハイマーはこのゾートロープから着想を得て、仮現運動の研究に着手したと言われている。
黒丸は、左にある・右にあるを交互に繰り返しているだけだし、鳥の絵も静止画の連続に過ぎない。しかし、切り替わりが持続すると左右の黒い丸と一連の鳥が因果関係で一つにまとめられ、命を吹き込まれたように動き出す。物理的に“運動”は存在しないが、そこにはフレームの総和以上の不思議なプラスアルファがあると言える。
それは全体を“まるっと”とらえたときにだけ生じる何かで、その何かは、おそらく心と呼ばれるモノと似ている。例えば楽曲は要素音としてドレミファソラシドに還元できるが、ドビュッシーの『夢』に感じられる全体としての不思議な感覚は、プラスアルファだと言える。
最も物理特性を操作しやすい仮現運動について徹底的に調べたら、心の成立条件がわかるかもしれないと、ゲシュタルト心理学者は考え、その実験に取り組んだ。だが、心を全体でとらえる作業とその結果の記録に、科学的で再現性の高い方法がしっかり見つからなかった。
調べたいものが「なんらかの全体性」である以上、科学的な要素還元による解析手法では原理原則に違反してしまう。悩んだ末、ゲシュタルト心理学者たちが取ったアプローチは“現象学”の手法だった。
現象学とは、徹底的な観察と口頭報告などの詳細な言語記述によって、その場その時その現象を包括的に記録し、その中からその時に起こった現象の生起条件を明らかにし、法則性を見出し、最終的にその現象の再現方法を記載するという方法だ。御察しの通り、それでは内観法と変わらず客観性に乏しいという批判がずっとあり続けたが、ベルギーのルーヴァンカトリック大学のアルベール・ミショットは「主観的な経験を記述するために、主体によって使用される「言葉」は、実験が適切にデザインされているならば、最も妥当な指標となる」(1959)という、 割り切った考えを前提に敷いて進むことを提案している。
哲学者のカール・ポパー(1902-1994)は、科学の定義として必須な要件に 「反証可能性」 を挙げている。反証可能性は、平たく言えば「いつまでたっても全否定できる可能性がない仮説なら、言ったもん勝ちになるから科学ではない」ということだ。例えば「白い カラス は居ない」という仮説は、未来や火星などいつかどこかで成立する可能性があり続けるため、全否定は不可能だ。科学はそういう仮説を相手にしない方がいい、ということになる。
ミショットが提案した“言葉による内観報告”には、この反証可能性が無い。だからゲシュタルト心理学のスタイルは、「わかる人にはわかる」みたいな位置で科学界に居させてもらった。
6.2. J.J. ギブソン
ゲシュタルト心理学の流れは、アメリカではコーネル大学のギブソン(J.J. Gibson, 1904-1979)によって引き継がれていく。1979年の著作『生態学的視覚論』(日本語訳古崎敬) では、以下のような問題提起がされている。
人を含めて動物は、外部(自然)環境から「刺激」を受け取る。環境と動物の相互作用によって刺激と受け取り手の状態は変化し続け、その全体構造の中に「心」が見出せる。例えば、自分が前進すれば、世界の動いていない場所が一様な拡散運動を起こす。その光の流動(オプティカル・フロー)を感受することで自己移動感覚が生じる。一歩踏み出せば、場面が変わり同時に環境にも変化が起こる。知覚・行為・私・環境は相互作用しながら変化し合う。オプティカル・フローは目で見て脳で捉えるが、心は目から始まるのではなく、環境からの刺激に既に含まれている。脳や眼を調べても、それは「心」のごく一部に過ぎない。心を世界全体で捉える彼の思想は「ギブソニアンアプローチ」と呼ばれている。

『生態学的視覚論』(Gibson, 1979より図を転載)
前進の自己移動によって生じる光の流動(オプティカル・フロー)を検出・感知すれば、自己移動感覚が生まれる。
6.3. 日本の心理学の歴史
ナチスドイツ政権下のフランクフルト大学でメッツガーから学んだ 盛永四郎(1908-1964)は、日本にゲシュタルト心理学を持ち帰り、後年千葉大学においてそれを「実験現象学」という自身の言葉・思想へと昇華させ次世代に教えた。盛永の追悼に際して、心理学者の和田陽平はこんなことを言っている。
「実験現象学は心の美しい人にして初めてなしうる心理学である。」
外国の大学では心理学科は大抵理系の学部、例えば生理・生物学部に配置されているが、日本の心理学科は文系学部に置かれていることが多い。それは1893年に東京帝国大学哲学科で「心理学・倫理学・論理学」の講座が2つに分割され、日本初の心理学講座が生まれたことに起因している。その講義を任されたのは、元良勇次郎(1858-1912)という人物で、彼は幼い頃から儒学やキリスト教を学び、20代でアメリカに留学し哲学・生物学・進化論を修めている。ちょうどフェヒナーの心理物理学の確立とヴントの心理実験室の立ち上げの影響がアメリカに及んでいた時期で、アメリカ生理学界のトップを走るジョンホプキンス大学の生物学関連の学科に留学したと言われているが、取得した学位記には哲学専攻と書いてあるらしく、元良のキャリア形成の道はかなり特殊で謎が多い。帰国後は禅、仏教、気功といった東洋思想への傾倒もみられ、彼のこの独特な学び筋が日本の心理学の独自性を決めたとも言える。元良の後1903年に、ヴントに師事した松本亦太郎が東京帝国大学に心理学実験室を開いている。松本は3年後の1906年に京都帝国大学文科大学にも心理学講座を開設しており、これらを模して全国に心理学科が作られて行ったため、日本の心理学科は今でも主に文系学部に配置されている。そしてそれは文・理や洋の東西という二項対立を統一し、心の理解を成し遂げるための必然的な準備だった。
松本亦太郎は後進の指導に熱心だったといい、その教えは日本知覚心理学の父 大山正(1928-2019)によって東京大学心理学研究室の中で守られていった。

東京大学心理学研究室内の壁に掲げられている松本亦太郎の絵画。夏目漱石と大学の同窓で、短編小説 『琴のそら音』に心理学者 (ティーチャ) として登場してもいる。
6.4. 文学としての心理学
盛永四郎の弟子で千葉大学名誉教授の野口薫は『美と感性の心理学: ゲシュタルト知覚の新しい地平』でこう書いている。
「古典的であれ、ネオであれ、全体としてのゲシュタルト理論は芸術と科学の両者が接触し融合する言語を与える。」
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
1924年の4月20日、宮沢賢治は『心象スケツチ 春と修羅』を発表した。フェヒナーの精神物理学を日本に紹介したのは元良勇次だったが、賢治もその精神・感覚を取り込んでいた。
宮澤賢治は「多様ノ統一ノ原理」「美的明瞭性ノ原理」という思索メモを残しており、 『農民芸術概論綱要』 には「静芸術」という言葉が用いられているが、これらはフェヒナーの「美的快感・不快感に関する六つの一般原理」からの影響であるという (木村直弘(2020) 『<多様ノ統一ノ原理> 再考: 宮澤賢治におけるグスターフ・フェヒナーとの思想的結節点をめぐって』より)。
詩は行間に情報を託すことで科学論文よりもずっと多くのことを圧倒的に早く伝えることができる。
詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である。
萩原朔太郎 詩集『月に吠える』(1917)
朔太郎は写真家としても魅力的な作家で、科学的言説よりも文学や芸術の方が芳醇で情報量が多いことを知っていた。同じことは宮沢賢治にも言え、同時代の彼ら二人はともに裕福で高明な父の心に苦しみながら、影響を与え合って心に合うことばを探し、丁寧にそれを詩の中に配置していた。
小説、ゲーム、アニメ、絵画、インスタレーション、音楽は科学が取りこぼしたモノを拾っている。その人間の叡智を科学の世界の中に「真実」として習合させる。
サイエンスと資本主義に取りこぼされた足りない何か。その暗闇に一歩踏み出す感性。それは文学の中で拾われて来た。フェヒナーに学んだ宮沢賢治とゲシュタルト心理学は同じことを言っている。「全体は部分に優先する。」
一方で科学には多くの人に平等に、繰り返し正しく伝える優しさがある。フェヒナーの心理学には科学の優しさと詩の力強さの二つがともにある。だから、心理学者は芸術と科学を共に修めねばならない。
日本の心理学はこれからも文学部にあってほしい。