7. もう一つの心理学
「だって、僕は何を書くの? 何について?」
「お前自身についてさ、もちろん」
「僕自身? 僕って何だろう?」
「それは小説を書いて発見するんだね。私は私で料理の本を一冊書こうと思っている」
「お前は毎日物語りを一つずつ書いているんだよ。」
この世のすべての人間が、毎日それぞれ一つの物語りを生きるのだ、と彼はいった。
ウィリアム・サローヤン, 訳 伊丹十三(1957)『パパ・ユーア クレイジー』より
7.1. 臨床心理学
臨床心理学は、人の精神的健康や心理的な問題に関する理解、評価、治療、支援を目的とした学問で、心理的な障害や困難から人を支え、助ける方法を科学的な理論とその応用から模索している。
大学の中では、教育学部に臨床心理士の資格などが取得できるコースが置かれていることが多い。1998年入学の私の率直な意見だが、当時の大学には、フロイトやユングをちょっと蔑む風土があったと記憶している。『おどろきの心理学』では実験心理学に限るみたいな話を書いたが、それも社会には科学的な本が求められていると思っていたからだった。
フロイトとユングのやったことはまさに「伝えたいことが先にあった」という、その理解でいい。彼らには「心」について伝えたいことがあり、他者にちゃんと言語で十分な説得ができなくても、自分には「それ」がわかっているし、どんなに蔑まれても、正しいと信じていると、堂々としていた。100年ぐらい前から「いやいや、これ、ほんとのことだから」と言ってやり続けていた人たち。彼らが堂々とやれた理由は「だって心の病気が治ってるじゃん」という反駁ができたことが一つ。アインシュタインのような 天才 が「あんたらの言ってることは正しいよ」とわかってくれていたことが一つ。そしてもう一つには、太古の聖典『易経』にそれが書いてあったこと。
7.2. フロイト
オーストリアの心理学者ジークムント・フロイト(1856-1939)は、精神分析理論とそれに基づく治療法を確立し、精神医学を生み出した。
「無意識」の領域が心の中に存在し、抑圧された記憶や衝動がその中に押し込まれ、それが人の行動や感情に日々影響を与えているとした。
フロイトは人間の根源的欲求を子孫を残すことと考え、それに「リビドー」という名をつけた。リビドーが発露した具体的な形として、幼少期に抱く異性の親への恋愛感情、そして同性の親へのライバル心をあげ、そのジレンマによって形成される抑圧感情が、無意識へ追いやられているという仮説を立て、それを ギリシャ悲劇『オイディプス』 になぞらえ“エディプス・コンプレックス”と呼んだ。
フロイトの理論には発表当時から批判が多く、中でも1932年にはアメリカの心理学者ジョセフ・ジャストローが、フロイトを含めた心理療法の理論全般が非科学的で、反証可能性も再現性もないと批判する本を出版している。

ジャストロー作の「だまし絵」
7.3. ユング
スイスの精神科医カール・グスタフ・ユング(1875-1961)は親戚に聖職者が多く、父は牧師だった。当時のキリスト教世界観に反発し、ゲーテの絶筆『ファウスト』にその超克を感じ取った彼は、キャリアとして医科学の道を選んだ。だが当時英訳されたばかりの『易経』を読み易の「天の思想」にハマってしまう。フロイトからも学び、共にアメリカのウィリアム・ジェイムズを尋ねてもいる。ウィリアムは『宗教的経験の諸相』で、太古からの心の理解を科学の言葉に変換する作業に取り組んでいたが、易を知るユングは内心で「もっとやれる」と思っていたに違いない。
フロイトの「無意識」は人それぞれにあるモノだったが、ユングはそれを集団レベルの無意識へと深化させた。人類全体が共有する先祖代々の抑圧された記憶や経験。その場所(無意識)に「集合的無意識」という名をつけた。そしてその集合的無意識から生まれる人間が持つ遍的イメージやシンボルを「元型」と呼んだ。例えば、母親のように包み込むモノを元型“Great Mother”、人格中心・心の全体性・一元論的統合性の元型“Self”といった具合である。
西洋のScienceは、宗教世界を超克する過程で「心」そのものを研究対象から捨ててしまった面がある。心を専門にした心理学さえ内側を問わない“行動主義”に走ったくらいだ。フロイトの無意識・リビドーの発見は、心の働きをScienceの中に戻さねばならないという当たり前の提案だった。
フロイトは心の概念をもっぱら性的なもの(リビドー)に還元したが、これはダーウィン以降の科学(例えば進化心理学)において 「適応度」(DNAの伝播率) という言葉になって発展していく。いかに自分にDNAを拡散できるか?生命とはそういうものだという考え方だ。
だが人は技術や言葉によっても自分の情報を次世代に引き継ぎ、拡散することができる。例えば、 向田邦子 のように作品を子供のように残した作家たちが沢山いる。その作品が生んだ彼女のファンは、孫が祖母を慕うように向田を後世に伝えている。そういう情報伝播のことを科学では「ミーム」と呼ぶが、一般に「文化」と呼ばれるものと大差ない。もっと言えば足跡を砂地に残したり、建物に傷をつけることで、世界に自分が存在した情報を維持するができる。そういった些細なことを含め、自分がいたことを世界に示し残すこと「自己情報量の増大」(現在、業界ではこれを「自由エネルギー」と呼ぶことが多い)が、生命の働きであると考えられている。これは仏教の言葉で言えば「業」、因果を超えた「因縁」である。ユングはこういった東洋思想を知っていたから、フロイトのリビドーを「集合的無意識」に拡張することができた。
7.4. ニューサイエンスの機運
東洋と西洋の心理の学びを融合する夢を見る流れは、“ニューサイエンス”と呼ばれていた。
仏教学者 鈴木大拙は、ハワイ大学やコロンビア大学で著『禅の思想』(1943)の内容を英語で講演していた。彼は日本人の心理の学びを「日本的霊性」という名で呼び、この「霊性」が”Spiritual”と訳されたことが、現在広く使われている「スピリチュアル」の語源になったという説がある。同時期、パイ中間子を発見した湯川秀樹も日本思想と量子力学の類似性について主張していたが、当時その先見性を理解できた人は少なかった。
臨床心理士の育成や心理療法の普及に尽力した 河合隼雄 (1928-2007)は学生時代、京都大学で数学を専攻していたが心理学に転向、天理大学での助教を経て1959年にアメリカに留学し、ネイティブ・アメリカンの調査でナバホへ行っている。地面に色のついた砂で自然や神を描くことで、人々の 心の内面 を浮き上がらせる儀式の様子を記録し、感銘を受けたという。 ドイツでゲシュタルト心理学をヴェルトハイマーから教わり迫害を逃れアメリカに移住していたブルーノ・クロッパーというカリフォルニア大学の教授にスイス留学を勧められ、1965年までチューリッヒ・ユング研究所でユングの思想を学んだ。帰国後、京都大学で”集合的無意識”と“元型”の考えを日本に広めた。日本の神話・昔話の内に日本人の元型を見出す 作家としての仕事も秀逸だった。
河合より3つ年上の 湯浅泰雄 (1925-2005)は東京大学文学部出身の実存主義哲学者で、禅、仏教、易経、ユングの思想から独自の心理学を構成し、筑波大学などで教えた。易経を含めた占術を日本の学術界に正式な形で残し普及することに尽力し、その思想は 深川宝琉 ら占いを生業にする者達にバトンされている。
占術では「客観的に心理をモノの世界に見出す技術」と、「依頼者の心の回復を目指し幸せを祈る寄り添いの姿勢」の二つが優劣なく共に大切だと、 深川宝琉は教えている。 これは実験系と臨床系の二つが統一されてこそ心理学であるというのと同じで、大切なことは共通している。
客観的、科学的という範疇を超えて、心そのものをダイレクトに理解し、言葉にして他者に伝えることを諦めない。それが心理学者の目標だった。
7.5. 神々の沈黙
1976年プリンストン大学心理学科教授のジュリアン・ジェインズは『神々の沈黙』という本の中で面白い考えを述べている。紀元前2000年以上前の世界の神話、例えばエジプト・ピラミッド壁画にある「神から啓示を受ける場面」は、神が人に直接語りかけてくる様子ばかりが描かれているが、それは実際そのように知覚されていたからだと。

図:トトメス4世が神々からイニシエーションを受ける様子の壁画(日本では『不思議少女ナイルなトトメス』(フジテレビ)が1991年に人気を博している)。
人間の内省の中身は意識によって言語化され、現代人なら太宰治の『人間失格』のように「自分の声」が心の中で響くことが多い。だがかつて内に響く声を人は本気で神の声だと思っていたのではないか?
社会が大規模化していき、神の声は王として崇められた祖先や親の声に置き換わり、最終的に自分自身の声(すなわち意識)にすげ替えられた。神は死に人が残り、決定論的世界観から自由意志的世界観へ移行した。そんな人間の5千年間だったとジェインズは言った。
これを右脳から左脳への移行であるという人もいるが、私は「脳の場所」の議論に本質は無いと感じるのでその話はここでは省く。脳の神話を安易に信じることの危険性については、これまでに多くの科学者が指摘していて、詳しく知りたい人は東京大学の認知神経科学者、
四本裕子先輩による警鐘記事を読んで欲しい。
尚、脳の中の声ではなく、宇宙人(未来人/地底人)が人間に教えたのではないか?という言説も可能だが、それは突き詰めると、その解釈を社会全体で信じれば、そういうモノ(事実)が世界に降りてくる(シンクロニシティが起こる)というだけのことで、全体の合意をモノとしてどのあたりにするか?は心の多数決で決まるだろう。
7.6. 臨床認知科学
東京大学の下山晴彦や京都大学の子安増生らを中心にした臨床心理学者たちは、脳ブームが起こっていた1990年代から、“科学とされるモノの枠外を積極的に科学に取り込む心理学の可能性” 「質的研究としての心理学」を模索していた。
中でも関西大学の心理学者 野村幸正は、 一人犀の角のように道を歩いていた。彼は実験心理学を身につけた後、河合隼雄から臨床系心理学の薫陶を受け、さらにインドに渡って仏教哲学、ヒンドゥー教、ヨガのクンダリーニ瞑想を身につけた。
瞑想の中で得たインスピレーション、心と体を分離させないアプローチを、どうすれば現在の科学の文脈で人に伝えることが出来るかを思案した野村は、伝統工芸の職人が「技」を弟子に伝授する過程を研究対象に据えた。「技」という暗黙知の伝授は、言語化されない「心」を異なる人間の内側に再現させた事例であると野村は考えていた。

その「内側に築かれた再現性」の記述は、西洋科学ではまだ十分に記述されておらず、野村は1999年の著書『臨床認知科学』の中で、この”内側にバトンされ、再現される「技」と「心」”を科学の枠組みに入れこむ挑戦が、もっと科学者に理解されれば、心理学が積年目指してきた目標(志)も、ぐっとわかってもらえるようになるだろうと言っている。そして「心を全体で(ゲシュタルト的に)捉えること」の重要性を説いてもいる。
女の子が泣いているのをみて、かなしみを知覚した時。その心は、目を通し脳にはいる視覚入力、それを処理するさまざまな脳部位だけでなく、その子が外の世界に居ることも含まれねばならない。心には、その子も私も含まれている。さらに、もしかなしみの眼差しでその子を見つめ、その子がそれに気がつけば、その「かなしみ」は必ず変化する。それが「心」なのだと、生駒の仏師となった野村は、奈良で私たちに説いてくれた。
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