2. 過去作を振り返る
2.1. 2014年『脳がシビれる心理学』

この自著の中で紹介した心理実験で、再現性が疑われているものを一つ紹介してみよう。
被験者にペンをくわえさせ、口を左右に開いてもらう。別の群の被験者には眉間に小さな2つの丸いシールを貼って、そのシールがなるべくくっつくように眉をしかめてもらう。これらの状態で漫画を読んでもらうと、口にペンをくわえた群では、漫画がより面白いと判定され、眉のシールを近づける群では、漫画がより面白くないと判定されてしまう。その原因は、ペンをくわえて口を左右に開くと、顔が強制的に笑い顔に、眉のシールを近づけると、顔が強制的にしかめ面になるからだと考えられた。強制的に作られた笑顔やしかめ面の原因を、脳が「漫画が面白い(面白く無い)から」だと勘違い(誤った原因帰属)してしまうというのだ。

Niedenthal の 2007 年の論文より転載。
2016年の追試論文では、17の研究室が1894名の被験者を用いて、最初の報告とは比較にならないほど大規模な実験を行なった結果、同じ結果は出なかった。はじめに報告した研究者ストラックは、すでにこの実験の結果が世間に知られていたり、追試の実験者がネガティブな結果を積極的に求めていた可能性を、追試失敗の理由に挙げたが、科学界ではそれが理由として成立しているとされなかった。
2.2. 2016年『おどろきの心理学』
この本の冒頭で、2008年の「ジャーナル・オブ・パーソナリティ・アンド・ソーシャルサイコロジー」という国際的な学術誌に掲載された「赤い服を着るとモテる」という心理実験を紹介した。
その実験では、女性の見た目の評価をしてほしいと伝えられた27名の男子大学生が被験者として参加し、パソコン上に白黒の女性の写真が提示された。このとき、女性を取り囲む背景の色が白のものと赤のものの二条件が存在しており、女性の魅力度は1点「全くもって魅力的ではない」から9点満点「もの凄く魅力的である」で評価するというものだった。
結果は、赤背景の写真を提示された被験者の魅力度評定の平均点は7・2点程度だったのに対して、白背景の写真を提示された被験者では平均点が6・2点程度まで下がってしまい、全く同じ人物なのに、赤背景の女性の方が魅力的だと判定された。さらに追試に成功したという報告論文もあったので、「赤い服はモテる」という言説が心理学的に正しいと私は書いた。
しかし、執筆後に発表された論文で、830人もの男性被験者を用いて追試を行なった結果、赤い服が性的魅力を上げるというデータは得られなかったと報告されており、最初の実験の再現性が疑われる状況になっている。
『おどろきの心理学』では、以下のように書いている。
“皆さんにとって、心理学のイメージは、取っ付きやすくて面白い反面、どこか「うさん臭い」「怪しい」といったものではないだろうか? それどころか、心理学は「エセ科学」であると主張する人さえいる。
実際に社交の場で、私が「職業は心理学者です」と言うと、周囲からどことなく侮蔑的な反応があったり、冷笑を浮かべられることもある。そもそも「心理学者です」と名乗る心理学者のなんと少ないことか!
「あの(うさん臭い)心理学ですか⁉」
といった対応を頻繁に受けるから、「心理学者です」とうかつに名乗れないのではないか、と私は思う。
なぜ、こんなにも人気があるにもかかわらず、心理学と心理学者は冷笑の的になってしまうのだろうか?”
この心理学への冷笑や、心理学の胡散臭さが、2015年再現性の不足という形で、はっきりと科学界から突きつけられたのだと思う。そして2016年の段階で自作に書いた再現性問題への反駁は、以下のような限定されたものだった。
“心理学は科学なのか?再現できなければ科学ではない。科学論文には、なんらかの普遍的事実が証明されている。完全に同じ手続きで、追試を行えば、かならず同じ結果が導ける。この追試の再現性があってはじめて、科学的で普遍的な事実だと認められる。それでは、トップジャーナルに掲載された心理実験の6割は、捏造だったのだろうか?この論文が出てから、SNSや対面で、この論文に関する意見を心理学者から広く聞いてみたが、彼らの感想を一言でまとめると「驚くが、同時にそんなもんだろうなとも思う」というものだった。私も心理学者の6割が捏造したとは思っていない。真面目に取り組んでも、心理実験の再現性は4割を切るようなものなのだと思う。「捏造ではなくても、再現できない」ここに心理学の大きな限界、心理学が科学になりきれない性があると、我々心理学者は自覚している。”
そして再現性が低くなる最たる理由を二つ紹介した。
一つ目がサンプリングバイアス。心理実験は、文化、性別、年齢、生い立ちなどなど、もの凄い個人差があり、ありとあらゆる剰余変数の影響を受けてしまうのに、実験者が実験をするときには、自分の周囲で被験者になってくれるごく一部の人間しか用いない。そのため、被験者が変わると結果も変わってしまうことが多い。
例えばハーバード大学の心理学者が、優秀なハーバード大学の学生100人を集めて、認知能力を計測した結果が、人間全体の平均値と同一にならないことは、簡単に予想できる。日本の女性学生100人に松坂桃李と松平健のどちらが好きかを聞いた結果と、アフリカの砂漠で女性100人に聞いた結果が同じにならないことは容易に想像できるだろう。
もう一つが実験者のポジティブバイアス。心理学の実験者(実験を実際に進める作業をする人のこと)はほとんどの場合、その実験の発案者か関係者である。そのため、実験者として被験者に接している人物は「なんらかの効果があるはず」と思って実験を行ってしまう。すると、被験者は無意識のうちに実験者の意図を感じ取り、実験者が求めるような反応をしてしまうという事実が知られている。
これは、教師が「この子は優秀だ」と思い込んで接すると実際にその子は優秀になっていくという、ピグマリオン効果という名前で呼ばれるものと同じだ。
ただ、今や、ピグマリオン効果も再現性が疑われる心理実験の一つに数えられている。心理学の再現性の問題の背景には、複雑で多様な要因がある。それらを学術的に学びたい人には、論理的な考察を専門書から学んでほしい。ネットで探すだけでも学術的な議論を、丁寧に追うことができる(例えば、日本心理学会提供の解説記事等)。
私が伝えたいことは、それとはまた別のことだ。
2016年の段階で、私が書いた再現性問題への対応策は「科学論文を鵜呑みにしない」というごく簡単なことだった。以下に短いバージョンで引用したい。
“院生時代、当時の指導教官から「データを信じるかどうかは、最後は自分で決めなさい」という指導を受けた。つまり、心理学は再現性が他の科学分野に比べて低くならざるを得ないという不可避な構造を持っていて、それを受け止めた上で、何を信じるか自分で決めろという指導を受けたのだ。心理学者には、そういう科学ならざる、明記しえない文化が脈々と受け継がれてきたのである。
もちろん「そういう心理学の時代はもう終わらせろ。心理学を科学に押し上げろ。被験者は最低でも数百人から数千人、実験者も第三者、被験者も第三者を原理原則とせよ。心理学が科学として認められるために、今こそ時代を変えろ!」という主張も聞こえてくる。その姿勢の良さはわかるし、私自身もそれもまた望ましいと思う。
心理学は科学にたるためのさまざまな工夫、ルール作りをしてきた。少しでも高い再現性を保つために、論文における方法の記述はときに滑稽なほど精緻になされている。その滑稽さがある種の心理学の面白さでもあった。
「プロレスは人間として劣った者が見る茶番」という趣旨の発言が世の中にあるが、心理学も「科学として劣った者がやる茶番」と思われてきた歴史がある。
「理解しよう」という情熱がなければ、プロレスも心理学も茶番にしか見えない。しかし、もし学者が心の面白さ、不思議さに真摯に向き合いたかったら、心理学を選ばざるをえないと私は思っている。プロレスにはプロレスの良さがあるのと同じで、心理学には心理学だからこその魅力がある。
総合格闘技隆盛のさなか、故ジャイアント馬場選手はこう言った。
「みんなが格闘技に走るので、私、プロレスを独占させていただきます」
私は言いたい。
「みんなが脳科学に走るので、私、心理学を独占させていただきます」”
当時はこれくらいの量にして、メインで扱わなかった。その理由は、自分の言葉がきっかけで、業界全体や大切な仲間が傷つくのが嫌だったからだ。
あれから10年が経ち、世の中はすっかり変わった。
2. 3. 2016年『脳は、なぜあなたを騙すのか:知覚心理学入門』(ちくま新書)
人間には自分が正しいと信じた物語を追い求め続ける確証バイアスと呼ばれる認知のバイアスがある。同時に、人間の特徴を見つめれば、煩悩具足の凡夫だと知ることになる。だから、心理学者が、急ぎかつ自分だけが正しいと主張すれば、再現されない実験結果が、モノの世界に正しい順序よりも早く産み出されてしまう。そうなると、その実験結果の再現性は4割程度に落ちてしまう。
確証バイアス以外にも“ふつうの行動に現れる心の働きの偏り、歪みのようなもの”を広く「認知バイアス」と呼んでいる(青山学院大学の認知心理学者、鈴木宏明教授による一連の著書に詳しい)。これについて過去作を引用し、具体例で解説してみたい。
<モンティホール問題>

閉じられた扉が三つある。このうち、どれか一つだけ扉の向こうに正解のご褒美がおいてある。被験者には三つの扉のうちから一つを勘で選んでもらう。正解は一つなので、もし被験者が正解の扉を選択しているとすれば、選ばれなかった二つの扉の向こうにはご褒美は置いていないことになる。また、もし被験者がはずれの扉を選んでいる場合には、残された二つの扉のうち一つの扉は、はずれであり、向こう側にご褒美はない。
ここで、ゲームのマスターが「今選ばれなかった扉のうち、一つは確実にはずれですから、私が開いてしまいます。」と言って、一つ扉を開く。
ここで、ゲームマスターが被験者に問う。
「正解の扉は残り二つのうち、どちらでしょうか? はじめの選択のままステイしてもいいですし、残りのもう一つの扉に変更(ムーブ)してもいいですよ。」
このとき、被験者はステイするべきか、ムーブするべきか? みなさんはどう思われるだろうか。
「三つの扉から一つ選ぶのだから、確率はどの扉も1/3だ。一つ扉が開けられたとしても、確率は変わらないからどの扉も成功の確率は1/3のままである。であれば、ステイしてもムーブしても同じではないか。同じ確率なのに、ムーブしてもいいという提案があるのはなんだか怪しい。だから、ステイした方がいいのではないか?」
多くの人はこのように思うのではないだろうか。だがしかし、実際に数学で確率を見積もると、ステイで得られる正解率は三三・三%であるのに対し、ムーブすると六六・六%の確率で正解する。
必ずムーブする戦略を取ればゲームの流れは二通りとなる.①最初の選択で「正解」を選んでいた場合は、ムーブしたら「はずれ」となる。②最初の選択で「はずれ」を選んでいた場合は、ムーブしたら「正解」となる。つまり最初の選択で「はずれ」を引いていれば、必ず正解できるわけである。はずれの扉は三つ中二つなので、はじめの選択で外れている可能性は六六%となる。つまり、ムーブする戦略なら六六%の確率で正解できることになる。さて、ご理解いただけただろうか?
これが数学的に正しいのだが、にわかには信じられない。つまり、人間の直感は数学的ではないのだ。
客観的な統計と主観的な統計にはズレがあり、他にも人間には無数の認知バイアス(思い込みによる間違った戦略)が存在している。
物理的正解と主観のズレは、認知や認識以前の段階、知覚においても存在している。特に視覚の場合、それを「錯視」の形でデモンストレーションすることができる。
上記では、それぞれ、物理的には合同な図形が主観的には異なって見えてしまう。その物理世界と心の世界の間にあるギャップを理解し、埋めようとする学問が心理学だった。
だがここには“個人差の問題”があった。だから平均値を取ることで人間の傾向を掴もうとしたのだが、今度はサンプリングバイアスの問題にぶつかった。

例えば、1963年に都会に住む欧米人に比べて、アフリカの部族では幾何学錯視の錯視量が小さく、全く起こらない人も居るという心理実験の報告がなされた。筆者らは、都市には人工的な3次元構造物が多いが、アフリカにはそれが乏しく、線遠近法に親しみがある集団と、無い集団とでは錯視の量が異なるという解説を施した。
だが京都大学名誉教授の藤田和生の研究によれば、ハト、アカゲザル、チンパンジーでもポンゾ錯視は起こる。だから、1963 年の実験結果には再現性が無いと言われている。
錯視が起こらない人はほとんど居ない。それと同じように認知バイアスが生じない人もほとんど居ない。そんな人間が人間の認知を実験した結果が心理学の論文として報告されて来た。はじめの設定からして、無茶な取り組みだったのだ。でも「だからやめよう」では、面白くない。そう思って心理学は進められて来た。
2.4. 2019年『売れる広告 7つの法則』
“この本では「心理学を活用することで生まれる、ビジネスへの大きな可能性」が具体的に提示できたと信じている。この本によって、心理学自体をより身近に感じてもらえたならば、幸いである。活用されることで活きる学問としての心理学。心理学者のカーネマンは、ノーベル経済学賞を受賞した。それは彼の心理学上の理論が、経済学つまりビジネスの世界で大いに活用できることが分かったからである。恥を忍んで大言すれば、カーネマンの志を、この本では引き継いでいたつもりだ。少しでも心理学の価値・面白さが提示できており、その理解の一助になっていれば、最高の喜びである。”
イスラエルの心理学者ダニエル・カーネマン(1934-2024)は、経済学に人間心理を導入した「プロスペクト理論」を提唱した行動経済学の創始者だ。
急に一万円をもらえる喜びと、急に一万円を奪われるかなしみ、どちらがより心を揺さぶるか?と聞けば、多くの人は後者のカツアゲ(おやじ狩り)の方だと答える。カーネマンはこれを“人間には損失回避傾向がある”と説明した。 同じ一万円なのに、心理的価値は同じではない。「それって当たり前」なのだが、従来の経済学では合理的な人間を想定してきたので、かなしみなどの感情を含めた行動経済学は、ビジネス界には待望の理論だった。合理的人間による経済には人間の計算で動かす余地が乏しいが、人の心理が経済に影響しているのであれば、それを操作すれば経済を動かせることになる。この理屈を端的に表した言葉が「ナッジ」だった。肘でつくという意味の英語だが、心理学の実験結果を転用し人間心理をうまくつつけば、売り上げを簡単にあげることができた。例えば、最初の1ヶ月を無料にして定期購入を開始させれば、現状を変えたくないという認知(現状維持)バイアスが働くせいで、何ヶ月もその契約をやめられない状況を作ることなどができた。
カーネマンはこの功績によって2002年、心理学者としてはじめてノーベル賞(経済学)を受賞し、彼の著書『Thinking, Fast and Slow』(2011)は世界的ベストセラーになった。その本に引用された論文はどれも面白くストーリーが際立っていた。だがそれら引用された実験の半数ほどに、再現性が無い可能性が指摘されている。
そんな疑念から行動経済学は、それ自体が認知バイアスで、誤解に基づいた作り話だったのではないかという批判も生じている。ちなみに、行動経済学以外にも心理学が関わった周辺領域、例えば社会学や歴史学における科学論文の再現性についても、同様に疑義がかけられていて、程度の差はあるが追試に成功しないものが多数あると考えられるようになった。
行動経済学の旗手の一人でウォルマートを先導してきたジェイソン・フレハという研究者は、2020年に「行動経済学は死んだ」と表現し自ら幕引きを提案した。彼の一番の主張はプロスペクト理論の肝である“損失回避傾向”さえ再現性が無いというものだった。
そんな中、老いたカーネマンは2025年に自死(安楽死)を選択した。認知症になった母と妻の最期を看取ったことの影響が指摘されているが、正確な理由は分からない。
現在、プロスペクト理論は、追試に成功することが確認され、再現性が十分あると再々評価されている。一方でその評価が「未来でまた覆らないか?」と聞かれれば、私の答えは「わからない」というものになってしまう。私個人は「100%の再現性を維持し続けられる心理実験はこの世界には無い」と思っているからだ。
心理実験の結果は時代とともに変わりうる。『脳がシビれる心理学』で紹介した2005年の論文では、2004年のオリンピックのボクシング、テコンドー、レスリング及び、同年の国際サッカー『EURO2004』の試合結果を解析すると、赤い服の選手(チーム)が青い服のものより数%ではあるが有意に勝利している傾向が発見、報告された。しかし1996年から2020年のオリンピックと2005年から2021年の世界ボクシング選手権の6,589試合という膨大な数の結果を分析した2024年の研究論文によれば、「赤で勝つ」効果は2005年以前まででしか確認されず、2005年以降、赤い服の方が統計的に勝ちが多いという事態は消失してしまっていた。心理学者たちは、2005年以降「赤が有利」という研究結果が広く知られるようになり、それを補正しようとする心理が審判や選手たちに働いたのでは無いかと考えている。
心理実験の対象が人の心である以上、それは時代とともに変遷する。異性愛が常識で同性愛を異常だと言った時代もあれば、同性愛が今よりももっと普通に受け入れられていた時代や地域もある。心の世界に絶対は一つも無いのかもしれない。
カーネマンらがつくった行動経済学ブームは、どこか「心理学は絶対だ!」「心理学はきちんとした科学だ」という信心とセット売りされてしまっていた。
だが本当にセット売りすべきだったのは「心理学は怪しいから、常に疑っておいてほしいんだ。でもそれは私たちの“できっこないことへの挑戦”だからだということを、わかっていてほしい。」という態度だったのでは無いか?
少なくとも「心理学が志していることは、現時点の科学には無理なことだけど、やれる範囲で数値(データ)にしているんだよ。」という解説をし続けねばならなかった。目からウロコの面白い本には、そういう説明書をセット売りせねばならなかった。心理学は胡散臭いということを標榜し続け、その責めを心理学者が引き受け続ける必要があった。
自死は思考の放棄で、賢者の選択ではない。心理学者を名乗るなら、心理学の誇りを取り戻す仕事が、まだ残っている。
2.5. 2021年『心理学的決定論』, 2022年『僕という心理実験』
見てきたことがある。深夜まで机にかじりついていた後輩、毎日実験暗室の椅子で寝落ちしていた同期、全力で自分の問題を乗り越えようとしていた者、人の役に立つ面白い発見をして笑っていた子。私の知る心理学者は、皆一生懸命にやっていた。
“この本はトンデモ系である。”
“自分が気持ちを素直な形で世界に提示できないなら、それは〝病〟だ。病だがあなたは悪くない。誰が悪いかは追及しても新しい価値はあまり生まない。それよりも治す方向に歩み出して欲しい。どうか心理学を学んでください。それは心に向き合ってきた人たちの魂の連なりです。僕は心理学が大好きです。”
この気持ちは何も変わらない。