安積遊歩さんの語り
 九州大学 芸術工学部  「市民参加の社会デザイン」 2007年7月12
近藤加代子先生より  この授業は「市民参加の社会デザイン」です。アダムスミスという学者は、市民参加の社会デザインのためには「人々の共感能力」「立場交換による想像力」が重要であると言いました。彼は最終的には神が社会デザインを行うとしましたが、現代は人間、つまり私たちがどう共感しながら社会を作るのか、ということを考えていかなくてはいけません。そこで安積さんにぜひこの授業でお話を伺わなければならないと思ったのです。
障害を持つ人々を中心におく  こんにちは。安積遊歩です。私は東京の国立市から参りました。国立に住んで20年、その最初の10年間は日本中、世界中を飛び回っていました。人々の共感能力・想像力に期待して、障害を持つ私たちの現実を変えていくために活動してきたのです。私たちの現実がよくなるということは、障害を持たないみなさんも生きやすくなるのだと信じて活動をしてきました。今も信じています。特に重い障害を持つ人々に注目し、その方々を社会の中心におくことができたなら本当に安心できる世の中になるのです。

 なぜならば、いつでも誰でも障害を持つことができるからです。おめでとうございます。想像してみてください。目が覚めたら急に下半身が動かなくなっていたとしたら。帰り道に目の前がぼやけ視力を失うとしたら。ホラー映画のように感じるかもしれませんが、私の友人は実際にこのようなことがおきて障害を持つようになったのです。交通事故、スポーツによって障害を持つこともあります。スポーツは競争原理に則っているので障害を持つ確率は高くなります。もしそれが楽しむためのものだったら、もっと自分や相手の身体を大切にしながらできるのです。しかしあまりに勝ち負けにこだわるために、障害をもつ可能性が高くなると感じています。障害をもつ仲間ができるのはいいことですが、だからといってわざわざ、例えば水俣病、森永基礎ミルク、イタイイタイ病のような障害を持つ人々が増えなくてもいいと思いますよ。そう思いながら、あまりにも想像力が足らないので、やはり「おめでとうございます」と言わないとこの優生思想社会を覆すことはできないのです。

命によりそう仕事  経済的にお金がかかるからと、障害者ばかりにお金をかけるなという論もあります。でもそれも全く違うと思いますね。障害のある人々の必要を満たすサービスを提供できる世の中は、戦争のために人手をとられ、人間として生き生きとしえないような仕事に多額のお金を回す必要がないのです。ほんとうに「命によりそう仕事」に人手をまわすことができたなら、年間3万数千人の人々が自殺する世の中を変えられるのではないかと思います。

収録の一時間後に放映されるというNHKの番組にでたことがあります。私がボランティアとして関わっているバタバタの会代表(フィリピンの障害児支援をおこなうNPO)として出演したのです。そこで私は「障害をもつ人たち、子供たち、認知症と呼ばれるお年よりの方々が本当に生き生きと生きるためには人手が必要です。だから自衛隊を解散してでも人々に介助者やヘルパー、コーディネーターなど命に寄り添う仕事をしてほしい」と話したのです。自衛隊は要するに人を殺すために莫大な予算を使っているわけです。もっと人間が人間らしく生きる仕事にお金をまわしましょう、そう言ったものですからプロデューサーが飛んできました。「危険です。そんなこといったら安積さん、右翼に命を狙われますよ。」そこで私は「言論の自由を弾圧するなんて憲法違反です!」ってね。(笑)プロデューサーは驚いて「安積さん、本気ですか?とにかくNHKなのだから、そんな過激なこと言わないでください」と言う。ふさわしいふさわしくないかではなく、どうせカットされるって決まっています。静かにカットしてくれればいいのに(笑)私はそこで「自主規制をすべきである」というメッセージを刷り込まれる気がして、非常に不愉快になったのです。こんな風に本当のことを言うことを、どんどんできなくさせられるのです。だって本当のことなのですよ。

フィリピンの障害児支援  私は障害者運動に30年間関わっています。最初の頃は、アメリカ・スウェーデンなどから自立生活運動などいいところを学び、日本の障害者の権利の獲得や地位の向上のためにがんばってきたのです。もちろんそのアメリカでも州によって格差があり人種差別に絡んだ問題もあるのですが。今日私も車椅子に乗ってきましたが、日本では行政から車椅子の支給があるのです。フィリピンの仲間から声をかけられ、講演会に行ったとき驚きました。日本では見られないのですが、ハイハイしている大人がいるのです。講演後に障害を持つ人がハイハイをして握手を求めてきたのです。あまりにも日本とは現実がちがう。社会保障がまるで機能していないのです。お金がある人はアメリカなどの車椅子中古品を買えるかもしれません。しかし講演会に来た人々はハイハイで、もしくは友人の車に乗せてもらったり、リアカーを改造した手作りの車椅子を使ったりしていました。私が想像していた状況よりもっとひどい状況だったのです。

何かしなければいけないと思った次の日に、私を招いてくれたグループが「フィリピン障害児支援を始めたい。子供たちにあってもらえませんか?」と声をかけてくれました。そのとき抱っこした2才の障害児が、生後2・3ヶ月の乳幼児くらいの大きさしかなかったのです。そのことにものすごい衝撃を受け、何かできることはないかと考えました。月に2千円あれば生きていけるという話を聞き、その2千円を何人分集められるかわからないけれどがんばって集めるよ、と言って帰ってきました。それをバタバタの会と名づけ、様々な人々に声をかけました。一番スポンサーが集まった時で約200人でした。私はいろんな活動に関わっていてどれも大事なものですが、そのひとつとしてバタバタの会がありました。障害児中心の活動を9年続け、それを障害のない子供も含めた教育支援活動まで広げ5年くらいたったところで、私は親であることに、もっと力を入れようと考えました。今11歳になる娘がいるのですが、私と同じ障害を持って生まれたので、たくさんのエネルギー、愛情をあげたいなと思ったのです。様々な人々の現実をみていろいろな活動を同時進行で行い、娘が生まれてからも5年くらいはバタバタの会を続けました。しかし子供の手術に直面したことを契機に、この活動をもっとゆっくりとしたペースで行うことにしたのです。今でも古着やおもちゃは集めて送ったりしています。ただフィリピンのケースワーカーと連携して、どの子にどの程度の支援を行うかといった活動はお休みをしています。

優生保護法  母親になった、ということも少しお話します。11年前思いがけなく妊娠しました。優生保護法という法律、知っていますか?名前からしてこわいと思いませんか?「優れて生まれる」と書くのです。1948年「女性の身体を戦争のための産む道具にするな」という女性の声が後押ししてできた法律なのです。女性の自己決定・選択権を大事にしようとしてできた法律だったのですが、残念なことにそこに障害者差別の条項が入っていたのです。第1条に「母体の保護」と「不良な子孫の出生を予防するものである」とありました。不良な子孫の出生を予防するというところが、大きな障害者差別だと私は思います。みなさん、どうですか?自分が不良な子孫と呼ばれたら、どんな気持ちがするでしょうか?私は中学の時にその法律を見つけて読んだのですが、これは障害者のことを言っているなとすぐにわかりました。そして別表を読むと、私と似たような障害名がずらりと書いてあったのです。そのような障害を持つ人は不妊手術をしてもいいですよ、という法律だったのです。不良な子孫と呼ばれた人々は「子供を産むな」ということですね。生まれてくるな、ということです。中学の頃大きな衝撃を受けました。「この世の中は、私に生まれるなといっている」と。感受性の強い私は、その後何度も自殺未遂を繰り返したのです。


 でも、もちろん死ななくてよかったです。なにができるかということに気づきました。不良な子孫の出生を予防するという法律をやめさせようと、6・7年後に思えたことはラッキーでした。そう思えたということ、すごいと思いませんか?気づいたのは中学生、それを変えていいのだと気づいたのは20才の頃です。それが「市民である」ということの自覚ですよね。社会を作っているのは政治家や官僚だけではないということ。その法律が正しいものか、有効で必要性があるかどうかを決める主人公は私たちなのであると、障害をもつ仲間たちと出会うことによって自覚していきました。

 「母よ、殺すな」(生活書院)という本が今度復刻されますから、ぜひ読んでほしいです。これは障害者運動の古典というべき本です。横浜で障害をもった子供を殺したお母さんが減刑嘆願運動をされました。障害児の子供の首を母親が絞めて殺してしまった事件です。周囲の人々は「子供は障害児なのだから殺されても仕方がない。母親がかわいそうだ。刑罰を軽くしてほしい。」と運動したわけです。障害者側からすると、障害を持てば殺されて当然なのかという問題を提起した事件でした。今までもそのようなことはたくさんあったし、今でもあるのです。障害をもつ40代の娘を60代の父親が殺す事件が2ヶ月前にありました。そのような社会的現実を後押しするかのように優生保護法があるのはよくないのではないかと、障害を持つ仲間たちは自覚したのです。その減刑嘆願運動に対して「母よ、殺すな」というチラシを撒き、優生保護法に対しても強力な運動を行おうとしました。しかし車椅子の人々が集まるということだけでも大変なエネルギーがいるのです。だから少しずつしか活動できなかったのですが、1994年にエジプトのカイロで国連主体の大きな国際人口会議が行われると聞いたのです。私は比較的小回りがきき、また本気でこの法律を変えたいと思っていたので、NGOのメンバーの一人としてこの会議に参加することに決めました。


 政府間会議とNGOフォーラムが並行して同時に行われたのですが、私が参加した後者の会議では2000人以上の参加者のうち車椅子の人は私一人でした。日本から、いや世界から私一人だったわけです。だから大きな使命感に燃えました。そこでは人種差別やアジア・アフリカ地域の人口爆発をふせぐための不妊手術の現実について語る人々がいました。文字のよく読めない女性たちの腕に不妊のための薬を埋め込み死亡や病気に倒れるという現状等を、当事者として語るというものです。私は優生保護法によって、人口の調節を図るという政策のあり方を問題提起しました。優生保護法は人口調整なのです。

 
 今も少子化、少子化と騒いでいますが、子供を産むための状況があまりに悲惨であり、与えられる情報が偏り、間違っているために少子化になるわけです。生まれた子供たちへのよりよい支援があれば変わるかもしれません。例えば遊び場の充実、特に東京の子供たちが家でゲームするしかないという状況です。女性にとっても様々な価値観がありますが、子供に寄り添うよりもっと価値があることがあるという刷り込み。あるいはすさまじい美容産業の攻撃の前に、やせなければ、化粧をしなければ、と身体をいじめ続けていったら、子供だってなかなか生まれようとしないですよ。それは個人的な女性の決定でなく、社会がそうさせているわけです。スウェーデンでは、子供に対する社会保障、あるいは結婚しているか・していないかによる差別を一切なくしました。そうすると少子化がとまり出生率が上向きになったのです。少子化ということは、社会のひどい現実が女性に産むことをためらわせてしまうのだということを覚えておいてほしいのです。


カイロ国際人口会議  第二次世界大戦前は「産めよ。増やせよ。」という政策がありました。女性の身体を国家の道具として使っていたのです。今でも、堕胎罪というものがあります。中絶をした女性と医者には禁固刑と罰金を課すという法律です。女性を国家の道具に使うなという主張の中で、障害者に対するまなざしだけは変わりませんでした。戦後この法律をもとに、多くの仲間たちが強制的に不妊手術をさせられました。スウェーデンでは10年ほど前から、不妊手術を強要された人々が、その怒りと悲しみから立ち上がって損害賠償を求めるという運動も起こっています。日本でも数万人の人々が手術をされたにもかかわらず、スウェーデンのような補償は全くされようとしていません。そこで私はカイロの人口会議において、「障害をもつ人々の産む自由を奪おうとしている!」と大声で言ったのです。車椅子一人ですし、目立ちますよね。政府間会議にきていた外部大臣にまで会うことになりました。大臣に、「優生保護法ってご存知ですか?」と聞きました。「知らない」と答えるので、「障害者に対してとても差別的な法律なのでやめてほしい」と言いました。驚いた大臣は厚労省からファックスを取り寄せ、読んだらしいです。1994年の会議を経て、なんと1996年には優生保護法が改訂されたのです。もちろん私だけの反対の声ではないですよ。20カ国集まった会議の中で、日本にはまだまだ差別的な法律が残っているということが宣伝されたわけですから。


 ユダヤ人大虐殺を行ったヒットラーは、ユダヤ人を殺す前に同じ民族の精神障害者・身体障害者、それから同性愛者などを虐殺しているのです。ご存知ですか?その虐殺の根拠になったのが、優生学という学問でした。そこから優生学を根っこにした優生思想はヨーロッパ各国、アメリカ、日本にも広がっていきました。日本では障害名まで載って、堕胎が容認されてきました。日本でも優生保護法がある・なしに関わらず、施設などで「生理介助が面倒だから」と子宮を摘出されることがありました。親から子宮摘出手術を強制された障害を持つ方々が、私の仲間にもたくさんいます。これがこの社会の障害をもつ人々に対する共感能力のなさ、残酷さ、自分とはちがうと見限ってしまう意識ですよね。いつでも誰でも障害者になれるにもかかわらず。


優生思想  講義の最初に「軍隊がいらない」と言ったのは、戦争のために障害者を差別する方向に動くよりも、また施設を作って障害者を隔離するよりも「共に生きること。対等に生きること。」のためにお金を費やすべきだということです。これが今の日本ではできていません。スウェーデンなど北欧は進んでいる方です。アメリカでは人種差別がありますが、白人で裕福な人々への福祉は進んでいるといえます。特にこの国は戦争がやめられないので、傷痍軍人への福祉はいいのです。最近聞いたところによると、脳性麻痺福祉はお金がかかるので莫大な研究費を投与して遺伝によるものかどうかを研究しているのだそうです。この研究は、もし遺伝によるものだったら出生前診断で排除するという、こわい側面があります。

 これが優生思想です。優生思想とは「障害をもって生まれることは不幸なこと。あってはならないこと。生まれるべきではない。」ということ。障害=ダメという思想です。障害を持つ人の出生の割合、どのくらいだと思いますか?100人生まれて1・2人?5・6人?10人くらい?多数決はあまり好きではありませんが、真ん中の5人くらいです。環境ホルモンなど様々な影響で流産・早産・死産が増えているかもしれない、というデータもあります。それを含むと5・6人より増えるかもしれません。どの子も素晴らしい命なのです。こわいのは差別しあうことです。障害を持って生まれることは、こわいことではないのです。

血族  私の友人で不妊治療した人がいます。不妊治療が残酷なのは、多くの場合女性が犠牲になるのです。男性とちがって女性が卵子をとる際、とても痛いのです。彼女は痛い思いをして5つ卵子をとりました。顕微鏡の下で受精させ、そのうち3つをおなかに戻しました。3つ全てが受胎しました。そこで3択問題です。お医者さんはそのとき何と言ったでしょうか?おめでとう?(挙手なし)問題の出し方が悪いよね。いつも娘に「遊歩!問題の出し方が悪いよ」って怒られるの。(笑)実際は、お医者さんが「失敗だ。」と、うめいたのです。3つ全て受胎すると障害児が生まれる確率が高くなるというのです。なんて失礼な話でしょう。でも彼女たち夫婦は3つ全て受胎したことを喜びました。出産後忙しくなったとしても待ち望んだ子供なのですから。3人の子供のうち、男の子2人が障害を持ち、女の子は障害なく生まれました。出産後、お医者さんから「失敗だ。」と言われたことに改めて腹が立ってきたそうです。生まれたどの命もかけがえなく素晴らしいのに、障害を持って生まれたら失敗で、障害を持ったら余計苦労するのが当たり前だという社会のあり方に、ものすごく腹が立ったわけです。そこで彼女たちは私を招いて講演会を主催しました。その後彼らは養子縁組の問題を取り上げました。子供は自分の子供でなくてはいけない、つまり血族でなければいけないのだという思い込みによって様々な差別を受けることになったのだ、と彼女は気づいたのです。自分の血が通わない子供だって、とても大事な子供たちなのです。

本当の情報  優生保護法の話にもどりますが、私が娘を産んだその年にこの法律はなくなりました。母体保護法と名前が変わったのです。法律内で女性が中絶をする権利は守られました。しかしこれは子供の側からみれば残酷なことなので「女性の権利」と言い切っていいのかという問題もあります。問題を女性の側に引き寄せ、自由を獲得するという努力は大事なことです。ただ「母体」という名前はひどいですよね。また「母親」だけです。「女性の健康と権利に対する法律」にしたいと思うのですが、優生思想の部分を切り取って母体保護法となりました。

 ほんとうにまだまだ途上です。全ての問題は途上なのです。だから、頭をつかって、羅針盤をたてて「何が本当の情報か。真に必要な情報なのか。」を考えていってほしいのです。自分のための社会なのだ、と考えていいんだよ。自分は他人のためだけにいるのではなく、まず自分のためにあると考えていいのです。この社会は自分のためにある。まず自分がいないのなら、この社会がどうであるかなど関係ないですよね。自分がいるのだから、この社会にいっぱいの希望と夢を抱いていいのです。その中で美容産業などのどうでもいい情報によって自分を傷つけるような方向に翻弄され、人と繋がることを寸断され、「自分が主人公なのだ」と忘れさせられるのは本当にもったいないことなのです。私たちの一回限りの人生です。自分の身体も心も大切に生きるということは享楽主義ではない本質的な生き方なのだと、そう自分を信じてあげてください。人と人とが助け合い、支え合う世の中であってほしいと誰でも望んでいると思うよ。

 小さい人たちを見れば明らかです。小さい人というのは子供たちのことです。大人たちがどんなに幼い子供たちに競争を教え込んだとしても、子供たちにかけっこさせて誰かが転ぶと心配して寄っっていきます。どうしたの?と泣いている子のそばでしゃがんだりしています。私たちはとても優しい人として生まれついています。あまりに過酷な競争原理や、勝ち負けなどのくだらない情報の中で、わけがわからなくさせられているのです。私たちはいい人だからこそ自分のためだけに生きられないし、そして人のためだけに生きる必要もないのです。私たちはお互いに協力しあい、大事にし合える社会を作れるのだ、と覚えておいてほしいと思います。

 「はたらく」という字は、「はた」を楽にするというところからきた言葉だそうです。自分の仕事をすることで相手を楽にして自分も楽に生きられる、そういうことを意識していい仕事をしてほしいと思います。
私はあらゆる問題に関して自分の意見を持っていますのでいろいろ話しましたが、二回目の講演でもあり疲れていますので、このへんにしておきます。質問があれば聞いてください。今日はありがとうございました。

(会場から質問)

「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」(熊本市の慈恵病院が設置した、親が育てられない赤ちゃんを匿名で受け入れるポスト)について、安積さんはどのように思われますか?

こうのとりのゆりかご  この間も同じ質問を受けました。もしそこに障害をもつ赤ちゃんを置いていくとしたら、それは本質的な解決策ではないと考えます。そして議論をし続ける必要があると思います。先ほどもいいましたけど、血族としての家族にとらわれているというのも確かです。養子縁組や里親制度というのは世界中ではたくさん事例があります。しかし日本では血族としての家族という考え方があまりに強いですね。とはいえ実際に3歳の子がゆりかごにおいていかれましたね。その3才の子はつらいと思います。あのように話題になること自体、いいのかという思いもあります。一方で目の前の虐待を受けている子供のことも真剣に対処しなくてはならない。だから簡単にだめだといいきれないのです。ひとつ言えるのは本質的な解決ではないなということです。

結婚と戸籍制度
 結婚制度そのものに問題があるのかもしれません。日本には戸籍制度がありますよね。戸籍は世界共通の考え方だと思いますか?戸籍制度はほとんど日本だけなのです。日本が植民地支配した韓国と台湾には、似たようなものが少し残されています。夫の姓になって当たり前だと考えているのは日本だけです。戸籍制度に固執しているかぎり、血族への固執も変わらないでしょう。なぜ戸籍制度が必要になったのでしょう?それは健康な男子を徴兵制度によって持っていくためなのです。軍隊に男性を入れるためなのです。だからみなさんは、戸籍に入ることを単純に嬉しいこととは考えないでほしいのです。どうせ戸籍を入れるなら男性が女性の戸籍にいれるのがいいと思いますよ。その先駆けというか、知足さんのところはそうですよね。それでほんの少しは問題提起になります。どれほどくだらない戸籍制度のことで、それをくだらないと思えなくなっているのか、ということを感じてください。まるでそれが本当のような、そうしなくてはならないかのような幻想に、どれだけとらわれているか。

 私は3ヵ月間籍を入れたのですよ。私の本「車椅子からの宣戦布告」読んでくださいね。エスタスカーサ(同日に講演会を行ったNPO団体)にも置いてあります。

 私はあまりにも過酷な結婚差別を受けました。今51才ですが、33才の時結婚したいと思いました。籍を入れようとしたら「悪魔、たたり」と言われたのです。洗濯も料理もできないような女がうちの息子の嫁になれるわけはないだろう、と。私は悪魔ってどこにいるのかと、後ろを振り向いてしまいました。

自分の人生を  私は医者から20才までしか、ひどい医者だと3才までしか生きられないと言われていました。子供が産めると言った医者は一人もいませんでした。でもそれもできました。私は外務大臣に会ってから、社会を変えるためには政治家にならなくてはいけないと思いました。1994年のカイロの人口会議でそう決意したのです。そのためにまず市会議員に立候補しようとしてビラを撒いた日に、私のことを心配し続けた母親がくも膜下出血で亡くなったのです。命がけで止められたなとさすがに思い、政治家になるのを保留していた間に娘を妊娠したのです。文部大臣になるより、びっくりしましたね。私の身体は幼い頃から取り続けられてきたレントゲンによる放射能被爆で絶対妊娠しないと思っていたのです。あの薄いレントゲン写真を大量に収納した棚が、重みで落ちるくらいの枚数のレントゲンを撮られました。私の身体はほぼ生体実験の対象でした。


 薬害エイズ、731部隊の問題、みんな書いておいて。知らなきゃいけないこと、いっぱいあるんだよ。日本の医療は「命に寄り添う」というところから出発していません。そのような経験から得たことは、自分の人生は徹底的に自分のものであるということです。誰かがこういうから、親がこういうからと、自分の人生を人に任せないでください。愛おしみ、頬ずりして自分の人生を生きてくださいね。誰からも傷つけられなくていいし、自分からは絶対に傷つけてはだめだよ。お酒やタバコやお薬に、自分の人生を滅ぼされることのないようにしてください。携帯電話にも気をつけて。電磁波がどれだけこわいものであるか、調べてください。イギリスでは16才以下の携帯電話の使用は禁じられています。東京の議員が東京都の子供たち全員に携帯電話を持たせようとしていると聞き、あきれてしまいました。携帯電話を頭にあてるとき、電子レンジに頭をつっこんでいるくらいの電磁波をあびているそうです。電子レンジに頭を突っ込んでいる図っておかしいですよね。脳腫瘍の興味深い実験データとして日本は注目されていますよ。食品添加物、農薬の問題にせよ、先進国の中でも日本は危険な状態にあります。車の排気ガス規制のおかげで、東京も少しは空気がきれいになりました。しかし使えなくなった車をフィリピンやバンコクに行って売っているのですよ。アジア諸国では喘息の人々が増えています。排気ガスを出す車を日本は輸出しながら、国内では排気ガス規制の車を売っている。経済のグローバリゼーションだけはいやですが、様々な問題をもっとグローバルな視点をもってきちんと見てほしいと思います。ありがとうございました。