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*都市生活と伝統的生活
(参加者)
アイヌの方々の中で、実際に森の中で狩猟生活をされている人は殆どいらっしゃらないわけですよね。札幌など都市生活をしてれば、昔ながらの生活を行うということは不可能です。都市生活をしてれば一年の大半は、ビデオを借りてコンビニで御飯を買っているかも知れない。そのような和人の都市生活というのがあり、それはアイヌの伝統的な文化とは歯車が合わなかったりするわけですね。今のアイヌの方々が伝統的生活をするわけにはいかないという時、では都市生活とどう歯車をあわせていくか?という問題がでてくると思うのですが。

(智子)都市生活の中で、今の生活の中で、少しでも今まで持っていなかったものを取り入れていきたい。私の家の例ですが、年明けにカムイノミ(アイヌ式の祈り)をやっています。それは、どこかに行ってやって人に見せているというものではありません。自分達の一年間への感謝や様々な思いを、カムイノミを通して「生活」の中に取り入れていくということなんです。

(光範)それは霊験がどうのということではなくて、やると私達が安心するというものなのです。今はどんな田舎に行っても都市化してますからね。
 それでもアイヌらしさを自分の中で“実感”できるものを、自分の力で獲得できるかということです。全部知っていなければ、全部獲得していなければアイヌらしくないと、そんなことは絶対ないと思います。

*文化の取り戻し
(参加者)
文化は繋がっていくつなぎ目で創造されていくものだと思います。過去からの思いを途切れさせないで、繋がっていくことを意識するための自分への儀式というか。思い出すために何かを行いたいという思いを感じているのは、実はアイヌの人々だけではないと思います。

(参加者)さきほどの映画の中で、お嫁さんが自分の足で嫁入りする村へと歩いていくシーンがありました。ところが、全て歩いて行くのではなく、大部分は自動車に乗る。私はあのシーンがとても印象的でした。結婚式自体も、一度失われたものをもう一度取り戻すという形でした。けれどもその取り戻しという作業は、前あったものをそっくり復元することではなく、取り戻しながら何か新しいものを創っていくというものでした。

(光範)つまり自分の足の裏で、アイヌとして嫁に行くということを実感できる「時間」があればいいと。それを獲得するためにやっていっているんだと思うんです。

(参加者)さきほど町づくりに関してのお話が出ていましたが、では札幌の町をどうするか、という問題があると思います。取り戻そうとする時に、都市化が進んだ町ではそれが難しい状況です。ですから残ったものを手がかりにして、自分達の文化を再び創るしかないかと思うのです。その中で違ったものがたくさんでてくる。それをもって自分自身を安定させていく。自分なりのアイヌとしての生き方はこういうものだと、納得して生きていくというか。

(智子)そういう時にやはり「体」で、体で動いていかなければ。本だけ読んでいてわかるものではありません。刺繍をやっていても、ひとつひとつ仕上がる度に実感できるし、「私はできるんだ」という誇りになるし。本だけ、話だけでは絶対だめ。料理だってまず味を知らなければ。実感として感じてやっていく中で、また新しいやり方も生まれていくのです。自分の部屋の中で行いながら、新たな縫い目をみつける、新たな技術を発見する、それがこれからの新しい方法ではないかなと私は思います。

(参加者)質問なんですが、アイヌの人々が伝統的生活と近代生活とのギャップを埋めていくという時、見つけられるものがあると思います。ただ札幌の内地人(和人)は一体何をやっているのかな、というのがよく分からないのですが。

(参加者)アイヌの人々にとっては再発見ですが...。本州あたりからやってきた開拓者というのは、僕達九州の者とは違う、開拓者としての文化を持っていると思うんですね。僕はブラジルの島にいっていたことがあるんですが、そこはポルトガルからの移民が多く、その文化と先住民文化が融合していたところでした。北海道に住んでないから呑気に言えるのかもしれませんが、融合という形ではいけないのですか?

(光範)文化というのは、遺伝子よりも確実に伝播するといいますが、その島の場合はもともとの文化がベースになっていたからできたことだと思います。
 和人の小学生に弓矢の作り方を教えたことがありました。その時の彼等の感想は「アイヌっていいな。こんなことやっていたなんて。」だった。ちょっと待ってくれ、と言いたい。弓矢を使ってたのは何もアイヌだけじゃないんだよと。アイヌだ、和人だ、というのではなくて「生活の中の何を文化だと感じるのか、そして何を伝播していくのか」そこがズボッと抜け落ちてしまっているという点では、和人もアイヌも一緒なのではないかと思うのです。

**************《休憩》***