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*選べるのか
(参加者)
さきほどの智子さんのお話が印象的だったのですが、実際に自分で手を動かして感じるというということの大切さを自分も経験したことがあります。その場に行って触って自分の五感で感じるということは、本で読むのと全然ちがうんだな、ということです。
 それから帰るところがあるとか、ないとか、そういうことに気付いたり感じたりするというのは、ふつうに生活していたらないのではないかなと思いました。私も日本を出たことがあって、その時外国人から「日本人ってこうだよね」っていわれた時、実際は自分はそうでなくて悔しい思いをしたことがります。その時はじめて日本人って何なのだろうと考えました。帰る場所があるのかと。

(参加者)帰るべき場所というのが大切に思える人と、大切に思えない人がいると思います。それはアイヌの人々に限ったことではなく、ひとりひとりがそれを大切か大切でないかを、決めていっていいのではないかと。ある人はそれを掴みたいと思い、ある人にとっては取るに足らないものだから掴まなくていい、それを決める自由がほしいと思います。自分の属性や他の人にこうすべきだ、と決められるのではなく。

(参加者)これは憶測ですが、アイヌの血をひいていても和人として生きようと決意されている方もいらっしゃると思います。アイヌの伝統文化が自分には馴染まないという方も、馴染むという方もいらっしゃる。それは自分の心の中から生まれてくる何かによるものなのでしょうか。

(参加者)それは心の中で生まれてくるものではないと思います。やっぱり学校でもアイヌのことに関して、きちんと教えないからアイヌに対してマイナスイメージしか持てないようになる。さきほど計良さんがおっしゃったように、日本人であることさえ考えなくていい状況、アイヌのことを知らなすぎるという状況に対してバランスをとる、つまり日本人とアイヌを同じくらいまで教えて選ばせることが必要なのではないかと。
 親の代は進んで同化しようとしていた。同化すれば、血が薄まれば、いつか差別されなくなるだろうと思っていたのです。僕の子供も孫も、アイヌと呼ばれるのでしょうし。「自分はアイヌでない、アイヌでない生き方をしたい」と言っても、どこかでお前はアイヌの血を引いているのだいう枷をはめられる。選ぶ選ばないというよりも、アイヌを選べない人がほとんどだから。状況の方が変わらない限り、アイヌを選べない状況もまた続いていくのかと思います。

(智子)自分は両方持っているということを、堂々といえる状況がなぜできないのでしょうか。そう言える状況ができたらすごいな。

(参加者)自分にとってわからない文化にパッと出会った時、とりあえず自分の中にプールできる人と、わからないからといって排除してしまう人がいます。とにかく居場所が確保できてそれを判断できるまで、ずっと持っておくことができるようになったなら、本当に生きやすくなると思うのですが。なるべくニュートラルな状況になるように、教育や表現を通じてやっておくほかはなく、それが和人として私ができる精一杯のことです。

(智子)違いを認め合い、大切にするというか。

*マジョリティー/創られる文化

(参加者)和人として、日本人として生きていった時、何も考えなくていいという状況があるというお話が出ました。自分は何の属性もない、意識しなくても生きていける。僕はそれがまさにマジョリティーとしてのマジョリティ側の生き方だと思います。そうであっても生きていける。
 一方で、自分が何者であるか考えないと生きていけない所に位置する人たちがいる。それはなぜかというと、先ほどのお話からいえばたとえば身体的特徴であったりとか、血筋とか、文化の違いとか直接自分が選んだわけではない何らかの理由によって、周囲との違和感を感じざるをえないからです。
 何も考えないで生きていける方がいいのかというと、それはマジョリティの立場に安住しているわけだから、よくないと思います。ところがマジョリティだった日本人も、ひとたび外国にでるとそうも言っていられなくなる。「自分って何者なんだろう」という考えがでてきて、それがそのまま「日本人って何なんだろう」に置き換わる。そうすると、日本人を取り戻すのだというナショナリスティックな運動になっていきかねない。
 アイヌだって地域差があって多様な文化があったんですよね。だから自分なりのアイヌという場所、自分の固有の場所を一生懸命つくっていこうとするわけでしょう。つまりアイヌや日本人といった概念とは無縁というわけではないにせよ、自分はこう生きていきたいというところで自分を創っていく、それがいわゆる「文化の根っこ」なのではないでしょうか。
 踊りのステップを覚えることは大事なんだけれど、踊りのステップを通して自分のアイヌの文化というものを個人の生き方として創っていく。そういうところから文化は創られていくんだと思います。

(光範)アイヌの踊りって一人で踊れる踊りってないんですよ。人数が結構いないと踊りも歌もできない。小人数で何かやってくださいという依頼が、一番困るのです。ところが、男一人で踊れる踊りが一つだけある。「クーリムセ」という弓を使った踊りです。それは所作も踊りの振りも非常にトラディッショナルなものを感じさせる踊りです。この踊りの名人だったのがひかわ善次郎さんという人で、有名なエカシ(長老)でした。「これエカシが皆に教えた踊りなんだよね」とエカシに聞いたことがあるのですが、するとエカシは「うん。俺が創ったんだ」と答えたわけです(笑)。一人で踊れる踊りがないから困るから創ったんだ、と。今この踊り全土で踊られているんですよ。保存会のみんなでおぼえて古式ゆかしい踊りだとして紹介し、踊ります。

 善次郎さんが創った50年前の踊りだから、じゃあそれが嘘かというと、実はそうではないのです。その踊りが広まったのは、それが創られたとはいえ優れているからなのです。刀を持って二人組みで踊る伝統的な踊りがありますが、これはかなり古いものです。クーリムセも基本的にはこのステップに準じています。「クーリムセ」は観光地が生み出した、いわば古典なんです。
 さきほどカナダのインディアンの話をしましたが、彼等はいろんな地域のインディアン文化をとにかく今は取り入れている。アイヌもそうです。文化というのはこのように日々新しく創られていくし、生まれかわっていくし、そして優れたものが継承されていくのです。「クーリムセ」が一番わかりやすい例だと思うのです。もちろんアイヌの内部から、創った踊りであることを批判されたこともあります。その時善次郎さんは言いました。「俺のように生きてきたら、こうする他なかったんだ」と。

(参加者) カタルーニアの人々が伝統舞踊を福岡で紹介してくれたことがあります。その中には遠くキューバの踊りや、自分たちで創作した部分も含まれていました。そのことを思い出しました。

(参加者)アイヌの結婚式という映画に関連したお話なのですが、私は以前ブライダル雑誌の記事を書く仕事をしました。結婚式の和式衣装のことを調べていて驚いたことは、花嫁が胸にさす房のついた「懐剣」です。これは江戸時代に武家に嫁ぐ者に志として、胸にさしていた刀の名残なのです。武家への庶民の憧れが今も形に残っている。また白無垢も、昭和初期は殆ど黒い紋付だったのです。昔は神前ではなく、家庭の中で、近所の人々の中で行ったのですが、近代以降そういった宴は贅沢すぎるということで、神前形式がひろまり、それに伴って白無垢が広まっていったようです。 このように様々に変遷がある中で、もし私が正しい、伝統的な日本の結婚式を挙げようとしたら、どうしていいのかわからない。構造的に今は結婚式はブライダル産業がとりしきっているわけですが、ではブライダル産業がこんなことを真剣に考えているというと、それはないわけです。そこでは古式ゆかしい方法として、衣装で神前式で挙げるというコピーをうたってしまうわけです。個々人に事情を話せる場合は別ですが、パブリックに紹介するとき、「古式ゆかしい」という言葉を私も使ってしまいました。結婚というのは人生の中で重要な儀式であるのも関らず、自分のルーツの納得のいくところにスッと落とせないというのを感じます。
 日本というのは、日本以外に対してもひどいことを随分やってきましたが、実は日本自身に対してもひどいことを行ってきたというか、大切なものをドンドン捨ててきたように思います。暮らしの中でのすり替えということが行われてきたのではないかと思います。

(参加者)自分は文化とは無関係と思っていても、結婚や出産、死者を送るなどの節目の儀式の時、何か自分を問われる場面が出てくるように思います。

(光範) 家の中に神棚も仏壇もあって、結婚式は教会でやるというのは普通でしょう?それは基本的に何も信じていないからできるんだと思います。「古式ゆかしい」の古式っていつなのか。どこからどこまでが「古」なのか。…「私」の結婚式でいいんじゃないか、と思いますけどね。ちなみに、私とかみさんは仏前であげたんですよ。家族だけで。

(参加者)自分が何なのか、ということを自分も考えたことあります。でも答えは出なかった。出なくて当然だと思うし。ただ智子さんたちが正月にやる儀式のように、自分のものになった文化、家族の中で行う文化というのは素敵だな、と思いました。そういったものを自分も持ちたいなと。