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*ナショナリティーとは(責任として)

(参加者)私は大学一年生で、今まで学校教育の中で同和教育もたくさん受けてきました。でもいつも思うのは知識を与えられ教育を受けること自体が、いいのか悪いのかわからないということです。自分はとても単純で、なおかつ残酷な思想を持っているんじゃないかな、と感じることがあるのですが。私は北海道 イコール、アイヌと考えたこともないです。先ほどカミングアウトのお話が出ていましたが「私はアイヌである」というカミングアウトを聞いても、私は何も思わないのです。その人がアイヌであろうと、ゲイであろうと、私はその人自身を知りたいと思うし。帰るところを探すというお話がありましたが、私にとってそれは日本でも和人でもなく、私の友達や家族だったりします。だからといって日本人という意識がないわけでなくて、私は日本人であるということに誇りを持っているし、自分が自分の親から生まれたことやこの人の友達であるということに誇りを持っています。そういう風にアイヌや和人を意識していないっていうのは、教育を受けたにも関らず意識してないっていうのは…だめなのでしょうか?(笑)

(光範)それが、あなたのいう「残酷さ」ということなのかな。だいぶ前になるんですが、あるアイヌの女性が結婚におよんで相手に「気がついているかもしれないけど、私はアイヌなのです」と打ち明けた。すると相手は「そんなこと何でもないじゃないか」と言った。それを聞いて女性は死ぬほどショックを受けた、ということがありました。
 それは「私がもの心ついたときからこんなに悩んでいきたことが、この人にとっては何でもないことなんだ」という衝撃だったのです。それを知ったその男性は慚愧(ざんぎ)の念に絶えなかったという話がありました。ほんとにそんなこと気にすることないじゃないか、という言葉自体には、なにも悪意がないんですね。何を人が気にしているか、あるいは重荷であったり、何を課題にしているか、どうやって生きてきたか分かっていない状態で「そんなことたいしたことない」と言ってしまうことの恐ろしさだと思います。私だって毎日、自覚させられたり反省することあるんです。

(参加者)その人の持っている記憶に接近することが、その人を大切にすることに繋がるかもしれません。越えられないのだけど、近づこうとすることはできると思うのです。差別意識はないから、越えられないものも「ない」とするのではなくて…。

(智子)関連することかどうかわかりませんが、アイヌの問題は遠いにしても、福岡で部落問題は身近なのではないですか?部落差別を自分はしていないといっても、その地区で子供が生まれているんだったら、行動する「責任」があるんじゃないかというか…・できることあるんじゃない?と思うのですが。私にとっては部落差別って信じられないことですよ。

(参加者) そう言われると痛いところつかれている感じがします。でも僕は正直いって、部落差別を実感したことが一度もないんです。頭ではわかっているのですが、自ら積極的に関っていこうというまでにいたらない。身近にそういった友達もいないし。そこまで積極的に動く必要があるのかと思うんですよね。

(智子)アイヌの問題も、部落の問題も、アイヌや部落自身の問題じゃない。あなたが所属してる、あなたのグループの問題なんですよ。

(参加者)私は中学校で少し働いたことがあるんですが、部落出身の生徒って想像しているよりたくさんいるのです。でも彼らは言えないんですよね。言えない重さがあるんです。

(参加者) 私は北海道にいたのですが、実は高校になるまでアイヌ差別があることを知らなかったんです。そういう消されたもの、見えなくされているものを、意識して見ていくことからはじめなければと思います。

(参加者) 部落問題で難しいと思うのは、アイヌや在日の方にはカミングアウトすることで、そのアイデンティティーによって生きていくんだというのがありますよね。それに対して、これは僕の認識不足かもしれませんが、部落の人々は部落のアイデンティティーを保持する必要があるのかな、というのが疑問なのです。

(光範)部落の場合は作られた階級差別なんだから、そこにアイデンティティーを求める必要はないんだ、と言えるようないい状況にはまだなっていないから、その階級差別が残っている間はそれを解消するまで私達は行動するしかないのではないかと。それを時間がたてば解決するだろうと構えているのが政府のありかただったんですが、現状ではやはり差別が残っている。北海道でも浄土真宗の寺の壁に落書きをされたことが問題になりました。最初の落書きは個人の名前を書きその人を誹謗するものでした。二度目の落書きは被差別部落とアイヌをからめて差別することが書かれていました。部落のない北海道でそんな落書きがあったのです。

(参加者) ちょっと話が戻りますが、先ほどのお話で「日本人であることを誇りに思う」と話された方への質問です。あの話の流れでは「私は自分の身近な人々を大切に思う。日本人であるかどうかは関係ない」という方向にいくかと思ったら「日本人であることを誇りに」と言われたので意外でした。僕にはちょっとわからないので、それがどういう感じなのか教えてもらいたいのですが。

(参加者)日本人であることを誇りに思うのは、私は当たり前のことだと思うのです。だから日本人として責任をもたなければならないし、戦争の時の慰安婦事件というのは私たちが謝るべきだと思うんですよね。なぜ自分が日本人だと思うかというと、海外に行って帰れるというのは日本人という国籍があるからじゃないですか。国籍不明の人でなく、日本人であるということで信じてもらえたりするじゃないですか。

(参加者) 僕は先ほどアート&ジェンダーという講演会にでていた者です。僕の場合、男であるにも関らず女性の問題を語る。もうひとつはイギリスや台湾の先住民の問題について研究しています。その時先住民側から必ず出るのは「日本人のお前に何がわかるんだ」という話です。なんで日本からきて、俺たちのことをわざわざ調べるんだと。それに対する説得力のある答えというのはないんです。
 日本人として責任を持たなければいけないというのは、逆に僕はあまり思ってないんですよ。むしろ我々は、従軍慰安婦と一緒になって国に対して闘いを挑むべきだと思う。要するに「日本人である」ということと「私である」ということの必然的な繋がりってない。教育で伝えられたことは人工的なトータルリイコールであって、SF映画のように埋め込まれた記憶でしかないのです。その程度の人工的な結びつきをもって、自分と日本人であるということに関係があるということを言うことは難しい。でも逆にいえば先ほどお話でていたように「近づくことしかできない」のかもしれないけど、(自分たち日本人が人工的なのと同じ程度に)ひょっとしたらアイヌの人々が持っている記憶みたいなものを、がんばって共有することができるかもしれない。そう信じて近づいて入っていくしかないと考えるわけです。
 日本の歴史自体、ひとつの歴史として慣性的に語られているんだけど、例えば台湾の人からみた記憶、3つ、4つの記憶をもつことも可能です。理想的かもしれないけれど、日本軍として非常に悪いことをやったという記憶も含めて、考えていきたいんですね。いろんな人の記憶を共有していって、もしその中に悪いことがあったなら、そういう日本に対して戦える「我々」を作っていきたいと思うのです。その程度のものとして、日本と呼ばれるものを戦う事もできる相手として、やはり僕はがんばるべきだと思う。

(智子) 私もそう思います。

(光範)1970年代、アイヌの運動が立ちあがり始めた時、アイヌ問題に対する「原罪性」ばかりがワーッと立ちあがってしまったことがある。あなたは和人だから、あなたの先祖は悪いことをしたんだから、いまそれを償え!というのです。そんな形でしかアイヌが発言できなかった時期がある。わりとその期間は長く続いたんです。そうすると和人は本当に何も言えなくなる。なぜなら原罪、つまりもともと持ってる罪だから。じゃあ謝るしかないのか。
 それをアイヌ自身も払拭するのにだいぶ時間がかかったんですけど、原罪性を言っても何も意味がないですよ。ただ責任はもっていなければなりません。和人が北海道に移住してきた時その時アイヌに行ったひどいことを、いま生きている人間に罪があるのだ、というのは理不尽な話ですよ。でもその時の「体制」がいまだに持続しているんだよ、ということになればその体制を持続している今現在の自分の責任ということになる。罪ということではなく、責任ということで考えていかなくてはいけないのではないか、ということでやっと軌道修正ができたのです。
 アイヌを抑圧するという構造が行政や人の意識に残っているならば、それを現在に生きている人間が変えていく責任があるんじゃないかと、そういうことだと思うんですよね。
 だから何もしない、というのは、原罪だからしょうがないんだ、というのと全く同じなのです。今を生きている人間が無責任になっているということです。

(参加者) 原罪が残っているなら、いま起こっている世界の民族問題も、永遠に解決しないことになりますね。

(参加者) 現実に差別が続いていると、その差別構造のうちで現に自分が生きていることをどこかで自覚しなければ、共に闘うこともできないと思います。「まったく差別意識はありません、だから一緒に力を合わせましょう」というのではなくて。そういう問題に気づかない構造の中に生きていることに、ちゃんと気づくことができるか、計良さんがあの本の中で糾弾ということで言わんとしていることは、まさにそれだと思います。

(参加者) 私はこの中で一番年齢を重ねている人間です。(笑) 何も知らずに無意識に差別しているということはあります。だから知ろうとしてここにきました。アイヌの話はまさに自分の問題です。日本人という類型化された者のひとりとして墓場にいくのは、どうも残念だという思いがしてます。もう少し前に死んでいれば、そんなこと考えずにいいサラリーマンとしてあの世にいってたかもしれないんですけど (笑)、今このように暇ができてしまうと考えざるをえない。自分のルーツなんて大した事ありません。日本人とか、民族とか言う前に、おのれが人間として、どうやって安心して墓場にいこうかなというのがあって…。アイヌの人々が言葉をもって文化を持っていたということを勉強していくにつれ、アイヌの人々というのは随分といい故郷があるんだな、と感じていた次第です。作られた階級という部落問題や沖縄の問題も含めて、連帯の心をもって学んでいこうと思います。ありがとうございました。

(光範)糾弾ということについて少し話をさせて下さい。糾弾というのはソッタクなんだそうです。ソッタクというのは禅の言葉だそうですが、卵から雛がかえるとき、中から雛が殻をつつく。その時親鳥も、外から卵をつつく。糾弾というのもそういうものだと考えてほしい。だから責める/責められる、攻撃する/攻撃されるとか、それだけではないのです。両方の共同作業なのです。そのようなことを大事にしたいなあ、と思っている私の思いだけをお伝えしておきます。えらそうに説教じみたことも申しましたが、お許しください。

(智子)今日は本当にありがとうございました。ぜひ北海道にいらしてください。

(司会)今日は素晴らしいお話、ご意見ありがとうございました。ここで話されたことのひとつひとつを抱きしめて私もやっていきますから、みなさんもこれが正解ということでその他を排除するというのではなくて、とにかくここで話されたことを抱えておくことで、日々の中で見えるものも違ってくるかもしれません。ありがとうございました。

九州芸術工科大学 図書館セミナー室 1999年10月16日