「オルタナティブ・タナトス ー芸術・農と食・福祉・環境・教育とのゆるやかな交差

知足美加子 萌芽研究申請書(2007年度)

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 本研究は新しい死生観の萌芽が、芸術・農と食・福祉・環境・教育分野を交差する領域を生み出しつつある現実を明らかにするものである。

 次世代に命と環境を受け渡すための真摯な取り組みが、自ずと他領域を巻き込んでいく実践を調査する。既存の社会システムに依存しない場ーフリースクール、NPOなどーで、小規模に且つ自発的に始まっている実践である。これらの現場の根底には、今までとは別文脈の死生観(オルタナティブ・タナトス)の存在がある。各活動を形成している類似的必然性と根拠を明らかにすること。そして現代が要請している新しい死生観への論理的言及、社会的包容力を拡大するパラダイム構築を本研究の目的とする。

  近代、死生観に言及したものはルドルフ・シュタイナーが中心となった「神智学」(1875年H・P・ブラバツキー創始)や英国ヴィクトリア朝の心霊主義(霊魂が死後世界も個性を保ったまま存在し、魂の不完全さを是正するために再生・誕生するという思想)などがある。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、列強諸国が植民地経営や権益争いに乗り出した帝国主義時代に現れた思想である。ダーウィンが提唱した進化論は「社会が進化するためには不適当な人間は淘汰されるべきだ」という弱肉強食の差別思想(社会ダーウィニズム)として利用された。ファノンによれば植民地主義は他者の系統だった否定であり、他者に対していかなる属性も拒絶しようとする凶暴な決意であった。文化の核を奪われた被支配側諸国の現実は、サィード「オリエンタリズム」やオクタビオ・パス「孤独の迷宮?メキシコの文化と歴史」の中で明らかにされている。(*1) 神智学や心霊主義が列強諸国側の関心を集めた根底に、把握しきれぬ存在の脅威を理性に変換しようとする強迫的心理があった。また大戦を引き起こすにいたる極端な唯物思想、人命軽視及び文化ヘゲモニー操作に対しての人道的呵責が存在する。芸術においても象徴主義から表現主義・ダダイズムなど「精神世界への傾倒」や「既存の価値を否定する動き」が起こる。

 日本は明治期、文明開化の名のもと対外的のみならず自国内に帝国主義を推し進めていった。大規模な思想統一政策である。北海道アイヌ民族への同化政策、沖縄琉球王国の琉球処分。富国強兵政策を前に、障害者やハンセン病患者は数多くの苦難を経験した。廃仏毀釈・修験道禁止令によって古来の信仰は弾圧され、天皇崇拝へと集約された。 英国心霊主義と入れ替わるように、霊魂説は前近代的なものとして葬られることになった。

 昭和に入り、帝国主義の帰結として世界大戦が勃発する。原爆を契機とした降伏と、アメリカによる教化によって日本の精神的支柱は完全に空洞化したのである。明治帝国主義と敗戦という二度にわたる歴史的断絶は、近代日本人に自分自身から始まることを強いる。それから半世紀、日本は欧米追随主義と懐古主義の間を浮遊している。現代美術家の村上隆は『芸術起業論』(2006年)において、日本人の(特に敗戦後の)「基盤を抜き取られた世界観」は今後世界中で共感を受ける文化として拡がるだろうと語っている。1995年神戸大震災から続く大規模天災、2001年アメリカ同時多発テロを経験した今、人々は世界の価値観自体が揺らいでいることを知っている。世情不安から、より競争的な経済思考、物質至上主義に拍車がかかっている。

 この歴史的文脈を背景に、非常に小規模でありながらオルタナティブな活動を展開している人々がいる。それらに共通する事実とは、歴史的断絶や周辺に生きる「痛みの自覚」にある。彼らは芸術的表現活動に関わることが多い。そうせざるを得ない精神的必然性がある。 その表現および活動には、存在の対価というべき重さがある。既存のシステムに依拠せず、複合的な領域を含むことも多い。

 これらの具体的活動内容と契機をひとつひとつ抑えていくことから、未来が渇望するものがあぶり出せるのではないだろうか。「なぜ生きるのか」を問う本質的な彼らの活動は、アートの枠を超えオルタナティブ・タナトス(死生観)として捉える必要がある。

 唯物思考と利己主義が蔓延する世情が、精神の避難所としての新しい死生観を要請する。それは歴史的亀裂を修復できずに浮遊するポストコロニアル社会の亡霊である。この心理空間は、安易な現実逃避に結びつく場合が多い。より道徳的・教育的な次元に落とし込んでいく実践が、既存システムへの真摯な提言となる可能性がある。歴史的な考察をふまえつつ、あくまでも現場の調査から醸し出される萌芽こそが本研究の契機となる。


*1 拙著「ポストコロニアル状況下における芸術的意識構造ーメキシコの彫刻家スニガ」デアルテ第16号 2000年

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