アイヌ関係企画を起こした契機について 

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九州芸術工科大学、芸術情報設計学科・芸術文化論講座助手の知足院(ともたり)美加子と申します。私の専門は彫刻ですが、以前海外青年協力隊として中米に美術教師として派遣された経験があり、現在メキシコの植民地時代以後の芸術についても勉強をすすめています。

 本年度は3つのアイヌ民族関係の催しを企画いたしております。その企画を立てた動機についてお話しします。

 北九州在住の二風谷アイヌ出身の友人から二風谷ダム施工後の話を聞いたのは2年前でした。アイヌ民族の勝訴以後の報道に頻繁にふれられなかったこともあり、そのメディアの情報と現前の友人の語りの重みの違い、.....そのときの重さが心からどうしても離れませんでした。なにか自分にグサッと刺さるものがあったのです。何度か北海道に足を運び、本を読み、最終的に制作をするにいたりました。(唯一、私ができることですので)

 当初はダム横に設置するといったビジョンはもっていなかったのですが、昨年末、二風谷ダム裁判原告の貝沢耕一氏と福岡でお会いできる機会に恵まれ、私の作品を寄贈させていただくこととなりました。それに前後して講演会を企画しています。

 二風谷ダム問題は、アイヌ民族差別問題はもちろん、観光業や公共事業の問題や、ダム建設に関するアイヌの方々内での意見の相違等、とても複雑に絡み合っており............今でも結論はだせないままです。ただ問題の所在に対して、自分を開くことを続けていこうと思います。既成事実によって物事が正当化されることが、システムの力でまかり通るとき、それは取り返しのつかない結果を招きます。真剣に再検討し、自分たちの認識の隅々に刻み込む努力(家庭や社会教育にいたるまで)を続けていれば、ずっと以前に二風谷ダム問題や諫早湾、長良川問題を解決する道筋も作り出せていたかもしれません。アイヌ民族に関わる問題とは、つまり日本人問題なのです。

 

 私事ですが、私は自分の家系である英彦山(ひこさん)山伏文化に対して(明治期の同化政策で壊滅したのですが)葛藤をかかえており、明治とは、日本とは一体何であったのかを考えたいという思いを強くもっています。民族差別においてマジョリティ側である立場の加害性を自覚しいくと同時に、その問題を自分自身の家系の問題におきかえて考えてしまいます。壊滅した山伏文化と、中南米で海外青年協力隊として働いた経験、中学校の教員時代に目の当たりにした部落・在日韓国人に関する問題.....それらを考え、関わる中で日増しに私の中で解消できないものが膨れていったのです。

 そして私は今、国立大という国のシステムに依存したところで生活しています。学生の認識に教育の中で影響を与え、芸術表現の中でイメージを創造する立場にいます。私と私の周りの人々こそ、引き裂かれた自分の立場を自覚し、慎重に学ばなければいけないと思うのです。

 もう少し、山伏文化のことをお話しさせて下さい。もちろん私の語りはごく一部をきりとっているものにすぎません。

 ポストコロニアル関係の本で読んだことがあるのですが、同化させようとする側(植民地宗主国側)は自分のやましさ、野蛮性、コンプレックスを他者にそのまま投影してしまうそうです。攻撃し、見下すことでそれを解消しようとするのです。

 考えてみると里の人は、戦争時代は明治天皇を崇拝し、山伏文化を壊滅させました。明治政府がつくった貴族階級の名字に「院」という字を使うため山伏の名前から「院」を取り上げてしまったのです。戦争後は一変して外国崇拝となり、山の人々が大切にしていた考え方を田舎だとか遅れているとか、さんざん見下してきました。異文化を尊重するのは外国に対してだけです。現在でも新興宗教(オーム)や右翼的考え、そういったイメージと山岳信仰をオーバーラップされるのです。映画やアニメで、山伏のイメージは乱用されています。今、山伏の修行してる人もいるのですが、大部分は(アートの傾向と同じく)どこかファッションとしてみています。明治期の痛みなんて、すっぽかしたところから始まっています。みんな、どこかずれていて.......表面的だと私は思うのです。

 英彦山には、水脈には龍神がいて、みだりにさわってはいけないという考え方があります。山水を直接引いて、飲んでいれば、そういう考え方になるのも自然だと思います。(川はコンクリートで岸を固められたら、水流が早くなりすぎて微細な生き物が生息できなくなります、これは普通に考えてもわかることです)巨岩や大木は、山そのものを支える基礎の象徴であり、尊重されています。土を動かすのも、そこには霊的(虫、植物、バクテリアの世界もふくめて)なものがあるから、慎重にしていたそうです。私の先祖たちは、そういった物事の摂理を、言葉でなく、山で生活するという実体験の中で学んでいたのでしょう。

 話は飛躍するかもしれませんが、例えばアートの世界で申しますと、堅くなった粘土をどうやって再生させたらいいかも知らないまま「創造」だけしてしまう学生が増えたという事実があります。リアルな世界(ものの摂理)との関わりをすっぽかしたところで、アートを観念的・表面的にしかとらえられない現代芸術の気質はここから生まれてしまうと思うのです。それはどこか、楽観的な認識による開発事業という「創造活動」に重なる側面を持っているのです。

 ずいぶん前ですがアイヌ文化の本を読んでいましたところ、彼らは自分の全存在をかけたような対話を大切に考えていて、それをチャランケとよんだということを知りました。そのルールは、最後まで問いつめない。逃げ道を必ずつくってやることだったそうです。話し手はわかってもらうように工夫する。聞き手は、まず相手の言い分を知ろうとする。本年度企画した催しに際して、事前の勉強は最低限の礼儀です。知識をよく租借してなければ(感じてなければ)、対話という同じ土俵にはなかなかあがれません。できるかぎり対話できる準備はしたいと思います。参加を予定されている方は、機会があれば次にあげる本のどれかに目をとおして下さい。アイヌ民族、ポストコロニアル関連図書

 企画に趣旨にご賛同下さり、またご関心のある方にお話していただけると、大変嬉しく思います。