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知足美加子「書評:精神病者はなにを創造したのか」 図書新聞 2015年4月11日

書評:ハンス・プリンツホルン『精神病者はなにを創造したのか ーアウトサイダー・アート/アール・ブリュットの原点』林晶/ティル・ファンコア訳ミネルヴァ書房、2014年

知足美加子 2015年4月11日

 1922年、ドイツの精神科医師であるプリンツホルンは、ヨーロッパ各地から精神病者の作品を5千点以上集めた。本書はその芸術的価値について論じたものである。制作者(彫刻)である私は、本書の造形に関する記述には唸ってしまった。これは芸術療法の解説書ではない。「人間の芸術創造とは何か」という普遍的な問いに貫かれ、精神病という切り口からその青写真をみせている。本書が医学関係者よりも強く芸術家に支持された理由は、まさにこの点にある。

 近代美術史には、産業革命と世界大戦という二つのターニングポイントがある。これらは人間不信を招き、芸術家たちの存在意義を危うくした。機械にできず人間にできることとは「創造」である。合理的社会への抵抗や、独自性を重んじる現代美術の流れが生まれた。この潮流は、原始美術や精神病者の表現に芸術性を見出そうとした。プリンツホルンは患者の作品を「芸術」ではなく「造形(Bildnerei)」という言葉によって表現する。その造形衝動は、主に遊戯本能と装飾本能から生じているという。これらは「主体的・能動的意志」によって世界を構築しようとする本能である。患者の作品は人を魅了する奇妙な違和感に満ちており、特に「我々の文明に絶望した者」はこれらに魅了されると結論に書かれている。これにはプリンツホルン自身も含まれるであろう。美学者だった彼は、妻の精神病罹患を契機に医学を学び、大戦中は野戦病院に勤務した。大量殺戮の狂気を前に、人間の理性に疑念を抱いたといわれている。

 本書は理論的に、芸術における抽象概念を説明するものになっており興味深い。患者の作品は直観像を重視し、最重要部分の選択とその階層的配置によって構築されている。その造形は形式・抽象・法則へと向かう傾向をもつ、とプリンツホルンは分析している。抽象画は1910年にカンディンスキーが(逆さまに置かれた自らの作品によって)発明したとされる。私が驚いたのはヨーゼフ・デルという患者の作品《神の動機づけられた描写》である。これはまさしく統一した色調の抽象絵画である。「超自然的な存在は抽象的なものからざわめきのうちに現れる」とデルは語っている。学習することなく彼が実現した抽象概念を前にして、プリンツホルンは誰もがもつ普遍的な創造性を信じるようになったのであろう。健常者と精神病患者の造形の基本的傾向について「その本質からして両者においては同じであると、わたしたちは見なしている (p.378)」と彼は述べている。

 さらに興味深い記述がある。「造形に成功した事例は(患者作品)全体の2%にも満たない(p.428)」というものである。健常者についても同様の割合であることから、病は才能のない者を芸術家に仕立てるのではなく、潜在するものを活性化するのだ、と彼は考えた。患者たちを駆り立てるもの、それは「絶対を追及する意志」だという。不可視の力(宗教・エロス等)から救済されるため、彼らは探究へと狂奔する。幻覚を含めた現実を、凝縮・融合・混交しながら造形し、意味づけすることによって支配しようとする。それは患者が生き延びるための必然的な行為なのである。患者に向き合うことなく、安全な場所からこの攻防を傍観し、アートとして享受しようとする自分の残酷さに、ふと気づかされる。現代において障碍者の表現への関心は高まる一方である。障碍者芸術に関する私の持論としては、個々の作品の芸術性をみること(カテゴライズ化した礼賛を避ける)と同時に、当事者の社会的側面を意識するという、そのバランスこそが必要と考えている。プリンツホルンは彼らの作品を「自閉的個別化と、恐ろしい独我論の反映」と表現した。ネット社会に生きる現代人の意識が、当事者の社会的苦悩をアートという言葉で透明化しながら、自閉的個別化そのものに「共感」として接近しているとしたら、恐ろしいことである。

 プリンツホルンは、患者の作品を「社会的に無(p.140)」と表現した。本当に無であったのか。出版後、本書はシュルレアリストを中心に多大な影響を与えたが、第二次世界大戦中は前衛芸術家を卑しめるために利用されていく(ナチスの「頽廃芸術展」)。その後、芸術家のジャン・デュビュッフェがこの本に光をあてる。彼は1945年よりスイスにおいて精神病患者の作品収集を行い、伝統の支配から解放されたこれらの芸術を「アール・ブリュッ ト(生の芸術)」と名付けた。これが70年代の「アウトサイダー(アカデミック美術の外にある)アート」という概念を作る。90年代の日本において、これらの概念は社会的包容力を広げることを目的とした障碍者芸術運動として展開していく。

 社会と断絶している(そのことに価値がある)と考えられた精神病者の作品は、実は歴史や社会にコミットし続けたのである。このことは何を物語っているのか。それは作者が発信を意図するか否かに関わらず、「それを芸術とみなす力」が芸術を創造してきたという事実である。近年の芸術表現は鑑賞者の主体性を重んじる傾向(インタラクティブアート等)が強くなり、「美的コミュニケーションの総体」として捉えられるようになっている。この枠組みからみると、本書自体がエネルギーの交差の場であり、芸術の一部として機能してきたといえないだろうか。

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