autonomical arrcitecture
■住み手主体の居住環境をデザインする
■使い手の探求的行為を誘発するデザインをする
■公共性・事業性を有する空間デザインの可能性を探る
●余白論・計画の余白
例えば、建築の専門家が予測出来得なかったこと、価値を見いだせ得なかったこと、あるいは技術上・意匠上 等の専門家的視点から無視してきたことなどに対して、住み手自らが働きかけを行うといった行為がある。
これらの行為は、計画側がこれまで目標としてきたぎっしりと中身の詰まった計画コンテンツに対して、主に その余白(margin)へと働きかけられる。
このような、計画側からみると不完全な計画、あるいは計画の余地とも呼ぶことのできる、住み手の働きかけ が可能な計画上の余白のことを「計画の余白」と定義する。この「計画の余白」とは、環境と人間とを結びつける媒介と言い換えることもできる。このような媒介としての余白(margin)を照射したい。
そしてさらに建築の専門家の概念体系と一般市民の間に横たわっている溝について再認識せねばならない。
●実行・実践可能な建築計画
例えば、現場に携わる人々(建築現場にいる人々、あるいは農村環境を構築している人など各々の現場にいる 人々)は日々研究・研鑽・努力している。それに対して世の多くの「計画」の《研究者・学者》は彼らに接してその上積みだけを盗み、あたかもこれら について知った風の《研究論文》を発表する。もし、これが《学術的》に価値があるなどという評価を受けよう ものなら、その内容がマニュアル化され、あるいは指導指針として固定化される。
そうなるとこれらの人の日々の研鑽は禁止される。
「計画」学研究そのものがいろんな創造力を圧殺してはいないか?
あらゆる「計画」においては、「小さな計画」とでも呼ぶべき、即時遂行可能な戦略を組みたてるほうが実効性がある。それはシステマティックな計画とは異なって、殆ど自動発生してくる個別の間題を、対症療法的に解決するものでもある。全体像は示されない断片的なものでもあるが、「環境」の多様性や個別性を「計画」という全体性の中に埋没させないための療法でもあろう。
ここでも勿論、デベロップメントプランは必要である。しかし、旧来の限られた記述法でしかない計画と違い、さらに多様な外部的要因を組み込むこんで行くことを重要視したい。
決して、システマティックな整序された過程を経ることはなく、その都度起こった問題を個別に解決することになる。ゆえに、それは絶え間ない判断の集積で、その個別の決定のプロセスは全て異なったものとなるであろう。
そこには一般論的な「計画」は存在しない。
対象はそこにこそある。実行・実践可能な「計画」研究を行う。
●サバルタン・アーキテクチャ(Subaltern Architecture)
弱者・飢えている人・病人・家のない人・土地のない者・放浪者・体の弱った者・障害者など。
彼らに学ぶこと。使い手のサイエンス。そして自律・デザイン。
●既発表論文
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